マノンは政治家を志し、ハロルドは侯爵に事業計画をプレゼンする

 朝起きてもまだ、昨晩見たウリオンの姿が頭から離れなかった。ヴィクトーがウリオンをきっかけに魔獣を好きになったというのも、ウリオンについて書かれた本がたくさんあるのも分かる気がする。


 そんな、ウリオンの事を考えてぼんやりしていた頭も、朝食後にマノンが口にした言葉でハッキリした。ヴィクトーも同じだったようで、急にシャキっとした顔になった。


「私、爵位を継いで宮廷で政治に携わろうと思うの」

「え! 政治家になるってこと?」


 マノンは伯爵家の長女だから、爵位を継ぐことは可能だ。でも、この国の大抵の家では娘の夫として養子を迎え入れて夫に爵位を継がせる。


「侯爵夫人とお話させて頂いて、この国でも女性が発言権を持って行動出来ることが分かったの。私は挑戦してみたい」


 王都に戻ったら両親と話をしてみるそうだ。


 私は、マノンと二人だけになったタイミングを待って、そっと聞いてみた。


「ジュールさんとは将来、結婚しないってこと?」


 ジュールさんが身分の問題を乗り越えてマノンの家の養子に入ることが出来たとしても、食堂を続けることは難しいだろう。自分の食堂と、訪れた人にそこでお腹いっぱい食事させてあげることを、心から楽しんでいるように見えたジュールさんがその道を選ぶだろうか。


「イリス、結婚しなくても、生涯を共にする事は出来るのよ。私は貴族という身分を使って人を救う。ジュールは自分の方法で人を救う。私たちは生涯、同じ道を共に進むことができるわ」


 マノンの考え方は、私にはとても新鮮だった。



 工房に様子を見に行くと、ハロルドは昨日の場所にはいなかった。聞けばテオの研究部屋に行ったとのこと。場所を教えてもらって私たちもそこに向かった。


「こんにちは」


 声をかけると中から大声で、入るよう案内された。恐るおそる覗くと、予想通り部屋の中にぎっしりと回路や道具が詰まっていた。ハロルドもテオも声はするのに姿が見えない。


「どこにいるの?」


 回路の山を崩さないよう、ぎくしゃくと中を進むと、壁際の机に向かって二人で何やら書き物をしていた。


「俺とテオで、新しい事業を始めるんだ」

「事業?」


 マノンが驚いたような声を上げたけど、ハロルドとテオはもう作業に戻って私たちの存在を忘れてしまった様子だ。私たちは、二人の作業が一区切りするまで待った。マノンは思索にふけり、私とヴィクトーはあっちむいてホイをして暇をつぶす。盛り上がりすぎて、マノンに『うるさい』と叱られたりもする。


「ごめん、ごめん。夢中になってしまって」


 かなり待った後に、やっとハロルドが顔を上げた。もうお昼近い時間になっている。ヴィクトーが家で用意してきた食事をテオに渡すと、テオが机の上の物をガサゴソと片付けて並べてくれた。椅子も何とか見つけ出して来てくれて、やっと私たちは座ることが出来た。


 テオとハロルドがすごい勢いで食事を始める。何と、昨日のお昼頃に別れてから今まで、飲まず食わずだったらしい。


「私たちは、すごいアイデアを思いついたんです」


 テオが顔を輝かせて説明してくれる。


「私が考えた新しい回路で、魔力を今までの50倍以上、遠くまで飛ばすことが出来ました。複数の種類の石を組み合わせた素材で作る特別な回路です」


 回路の石には数種類あるとの事だったが、最高ランクの石で作ると魔力を飛ばす距離が相当伸びたらしい。でも、最高ランクの石は高価だ。


「回路のうちの一部分だけ高価な石を使えば、費用は抑えながら性能は維持することができます」


 ハロルドの計算によると、フォーラムに使用した場合、今は学校内だけに設置している端末を、王都のあちこちに配置できるくらい魔力を飛ばすことが出来るようになるそうだ。


「テオが作った回路を、俺がアイデアと共に売る」

「アイデア?」


 私が首をひねると、ハロルドがにやりと笑った。


「ここと王都で、リモートで会話できたら便利だよね」

「通信の設備を作るのね!」

「マノン、正解!」


 基本的には前の世界で電波を利用して通信する事と同じ仕組みだと言う。王都からここまで数か所に、魔力を中継する設備を配置し、そこに強化した魔力を飛ばす回路を設置することで、通信出来るのではないか、ということだった。


 テオが、先ほどまでハロルドと書いていた紙を見せてくれる。


「ここから王都までの距離を考えると、私たちの計算だと15か所ほどの中継施設が必要なんです」

「そこで、ヴィクトー、お願いがある」


 急に名前を出されたヴィクトーが、びくっと顔を上げた。


「俺?」

「侯爵に『プレゼン』させて下さい」


 テオが熱く言う。顔を赤くして、寒いのに坊主頭にたくさん汗をかいている。


「ハロルドに『プレゼン』という行動のことを教えてもらいました。馬車が来るのを待ち構えて直訴するよりも、もっと良い方法があるって。無計画に言いたいことを話すのではなく、伝える順番や、見せる資料に工夫が必要ということを教えてもらったんです。


 私たちは侯爵のお力をお借りして、領地内に中継施設を作らせて頂きたい。それに、実現のための費用を出資して頂きたい」


 ハロルドもテオに負けずに興奮した様子だ。


「もちろん、俺の家から費用を出すことも出来る。でも今回は、テオの工房の事業として、正式にここの領主の侯爵から支援を頂きたいんだ。出資して損はさせないと思う」


 改良された魔力を飛ばす回路を売るのではなく、それを使って実現した通信技術を売る。それを侯爵に支援してもらうため、計画をまとめていたそうだ。


「分かった、戻ったら頼んでみる」


 ヴィクトーが頼もしい。



 約束通り、戻ってすぐにヴィクトーは父侯爵に、ハロルドとテオのために時間を作ってもらうよう頼んだ。侯爵は驚きつつも、快く了承してくれたそうだ。


「明日で大丈夫なの?」


 昨日テオと出会ったばかりなのに、ずいぶん展開が早い。今晩もハロルドはテオの所に泊まって作業をするらしい。


 翌日の午後に現れたハロルドとテオは、目の下にクマを作って、身なりも乱れていたけれど満足気な表情で顔が輝いていた。


 疲れ切った様子だったので侯爵との約束の時間まで眠るのかと思いきや、入浴して身なりを整えて出て来た。ハロルドはテオにも同じように身なりを整えさせ、自分の服を貸している。


「それなりの額の出資を求めるんだ。信頼を得るために身なりを整えるのは絶対に必要な事だよ」


 驚いた事に、目の下のクマまできれいに消えてすっきりした顔をしている。自分でマッサージしたのだというハロルドにマノンがものすごい熱意でマッサージ方法を教わっていた。


 テオの工房の事業だからテオにプレゼンをさせようと、ハロルドは苦心して教えたらしい。でも、何度練習しても上手くいかないので、今回はハロルドがお手本としてプレゼンすることにしたそうだ。


「俺だと、見た目の年齢が若くて頼りないから、本当はテオの方が説得力があるんだけどな」


 ハロルドは出来るだけ大人びて見えるように、マノンに相談して髪型を整えていた。


 約束の時間になると、侯爵は執務用の部屋で話を聞いてくれた。許可を得て、ヴィクトーとマノン、私も部屋の隅で見学させてもらっている。


「侯爵、離れた場所にいる人と、まるで隣にいるかのように話したいと思ったことはありませんか?」


 ハロルドが資料を見せながら、昨日、私たちにしてくれたような内容を侯爵に説明する。昨日とは同じ内容なのに全然違って聞こえる。言葉だけでなく、口調や態度、伝わる熱量が違うのか。これがプロの『プレゼン』なのだろう。


「王都とここ、距離が離れていても一緒にいるように顔を見て会話できる、その、便利さが認知され、通信技術が国中に広がったとしたら。回路の需要はかなりのものになります」


 ハロルドが夢見るように熱弁する。侯爵もその熱意に引き込まれたかのように、真剣に話を聞いている。もはや、息子の友人に付き合ってやっているという態度ではない。


「今後、魔力回路の可能性に気づいた他の若者たちが、新たな夢と発想を持って事業を興したいと思ったら、ここにやってくるでしょう。そして、同じ志を持つ若者たちが交流を深めて、また次の新しい発想が生まれる。


 貴族を始めとする富裕な人たちは王都にいながらにして、若者たちの発想を聞き、その夢を支援することが出来る」


 もしかしたら、工房を継ぐ若者が減って来たという問題も解消できるのかもしれない。回路がたくさん売れることで、この領地だけで収支が合うようになっていくのかもしれない。

 

 ハロルドの話は、私ですら頭の中に夢が広がるものだった。


「どうか、私たちの夢に力を貸して頂けないでしょうか」


 ハロルドが話し終えると、侯爵は、ふう、と大きく息をついた。そして、ハロルドとテオが用意した資料を見返す。部屋の中に緊張感が漂い、私たちはみな身じろぎもせずに侯爵の動きを、じっと見つめた。


 侯爵は、もう一度、ふうと大きく息をついだ。そして、ハロルドとテオを見てほほ笑んだ。


「素晴らしいね。とても、ヴィクトーと同じ年の子供が考えた事とは思えない。テオ、君がハロルドを指導したのか」


 テオが顔を真っ赤にして首をふる。


「いいえ、とんでもありません。私は新しい回路のアイデアを彼に伝えただけです。通信技術の発想も、誰かに出資をお願いするという発想も、全て彼が考えてくれました。私はハロルドの指示のもとで、資料をまとめただけです」


 侯爵はしきりにハロルドを見て感心している。ハロルドは苦笑いしていた。


(だって、ハロルドは子供じゃないもの。本当は、私たちより侯爵の方が、年齢が近いんだから)


 さすがに、ここでハロルドの精神年齢を明かすわけにもいかない。聞いてる私たちは、微妙な顔で目線を交わした。


 侯爵はハロルドを『さすが研究院が認めた才能の持ち主』と、天才として扱うことにしたらしい。その場で希望額の出資を決め、領地内に中継施設を作ることを許可してくれた。


 翌日から帰るまでずっと、私たちは工房でハロルドとテオの手伝いをした。私とヴィクトーは工房の人たちに蓄電池の詳細を伝えた。


 代わりに、工房の人たちが充電池の外箱を作ってくれた。回路用の石のかけらをつなぎ合わせて作ったもので、今の木箱よりももっと土の魔力の伝導率が上がるのではないか、と言っていた。帰ったらすぐに試してみようと思う。



「せっかくだから、若い女の子とお話したいのよ」


 侯爵夫人の強い希望で、私は二人きりでお茶をしている。マノンは朝から街に視察に出かけてしまった。ハロルドはテオの工房にいて、ヴィクトーは『女の子と話がしたしたいって言ったでしょう』と追い払われてしまった。


「ハロルドとマノン、あの二人はとても子供とは思えない特別な才能の持ち主ね」


 私は二人が素晴らしいのは、前の世界で大人だった事だけではないと思っている。二人が今の私の年齢だった頃にも、私とは比べられないくらい、物事を考えて熱心に取り組むものを持つ子供だったのではないか。


「はい、持って生まれた才能も素晴らしいのですが、私は、それを磨き、想いを実現する為に努力をする姿勢を尊敬しています」


 心から尊敬できる、私の素晴らしい友達。


「でも、私はヴィクトーさんの事も尊敬しています。大切な友達の為には、躊躇なく行動することが出来ますし、それを恩に着せたりは絶対にしません。友達の成功を自分の事のようにも喜べる方です」


 思えば、ナカムラもそうだった気がする。さりげなく人に親切にし、それを当然の事だと思う人だった。中学生の頃、体の大きいナカムラには必ず力仕事が回って来たのに、一度も面倒そうな顔をしているのは見た事がない。迷惑がるどころか、頼みにくそうにしている人には、ごく自然に手助けしていた。


「ありがとう、あの子が聞いたら喜ぶと思うわ」


 嬉しそうに微笑んでくれる。他になにかヴィクトーのことで、侯爵夫人が喜ぶような話がないか、一生懸命に記憶を探してみる。


「あの子が、あなたと仲良くしたがるのが、分かる気がするわ」


 多分、前の世界の記憶を共有する仲間だからだと思うけれど、侯爵夫人はそんなことを知らない。なぜ、ヴィクトーが素晴らしい才能の持ち主のハロルドとマノンだけじゃなく、私とも仲良くするのか理解しにくいのだろう。


「あなたは、その人の良い面を、自然と見つけることが出来るのかもしれないわね。私たちをあれだけ罵ったジュリアですら、あなたを悪く言わなかったのよ。あの子なりに、あなたを好きになったみたい」


 迷惑でしょうけど、と侯爵夫人は笑う。ヴィクトーの元婚約者のジュリアが私の悪口を言わないのは、王族に嫁ぐアイデアを教えてあげたからだと思う。


「あなた、うちの料理人が作るサンドイッチが好き?」


 お昼ご飯のことだ!私が毎日ヴィクトーにサンドイッチをもらっていることを、ご存じなのだ。私は恥ずかしくて顔が上げられなくなった。


「はしたない事でお恥ずかしいです。申し訳ございません。いつも頂いています。とても美味しいです」

「ごめんなさい、責めてるのではないのよ。王都の屋敷にはね、サンドイッチについての書付けがたくさんあるの」


(サンドイッチの書付け?)


「ヴィクトーが毎日、料理人にサンドイッチの感想を伝えて改善させるのよ。料理人が控える書付けが、すごい量になっていて驚いたわ。


 それに料理人が、どうもヴィクトーの好みではないと不審がっていたの。昼食として持って行くには量がずいぶん多いし。


 ジュリアの話を聞いた時に、あなたが一緒にお昼ごはんを食べてくれてるって気が付いたのよ」


 ヴィクトーがそんな気をつかってくれているとは知らなかった。確かに、毎日感想を聞かれるとは思っていた。美味しい、と言うと登場回数が増えることも嬉しく思っていた。


「侯爵家に身を置いていると、良かれ悪しかれ人柄よりも家柄が重視されてしまうの。一人の人間として見てくれる人にはなかなか出会えない」


 侯爵夫人は、私の手を取ってぎゅっと握った。


「これからも、ヴィクトーと仲良くして頂けると嬉しいわ」


 あっという間に滞在期間が終わった。ハロルドは出発ギリギリまでテオの工房から戻らず、明るいうちに王都に着きたい御者をやきもきさせていた。


 私たちは実りある休暇を過ごすことが出来た。ヴィクトーのご両親に丁寧にお礼を言って、領地からお暇して王都への帰途についた。

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