雪山の王、それはウリオン
ウリオンは狼に似ていて、魔獣の中でも希少な存在だ。普通の動物の狼が魔力を多く蓄えることでウリオンになるとも言われている。
魔獣がどうやって生まれているのか判明しているものは少なくて、ポグーのように繁殖出来るほど解明出来ているものは稀だ。普通の動物だったものが長い年月をかけて魔力を蓄えることで魔獣化する事もあると言われているが、正確な事は分かっていない。
「あの山の主は、ウリオンなんだ」
ヴィクトーが来るときに回路の石が採れると言っていた、雪原のずっと奥の高い山のことだ。
「俺たちは昔からウリオンを山の王として敬って石を分けてもらっている。襲われたら人間なんてひとたまりもないけど、俺たちが節度を持って行動している限りは大丈夫だ」
「姿を見ることが出来るの?」
「夜、山頂に領内を見下ろすようにして立つことがある」
「遠吠えしたりする?」
「1頭きりで、群れではないから遠吠えはしないな」
夜の山頂に立つウリオン。どれだけ素敵だろうか。想像するだけで心が震える。
「いつでも見られるわけではないけど、冬のこの季節は現れることが多いんだ。だから俺は冬の休みはいつもこの領地で過ごす」
「ヴィクトーが魔獣好きなのは、ウリオンがきっかけなの?」
ヴィクトーが少し恥ずかしそうに笑った。
「多分ね。魔獣研究部でもウリオンは人気だよ」
今日の夜、山に連れて行ってくれると言う。ハロルドとマノンにも声をかけたけど二人は来ないそうだ。ハロルドはテオと回路の話が盛り上がり、何と今日はテオと一緒に工房に泊まり込んで、一緒に考えた回路作りを試すそうだ。
マノンは、侯爵夫人との議論から思いついたことを書き留めてまとめたいとのこと。私とヴィクトーだけが見に行くことになった。
◇
空には大きな月が浮かんでいる。風がないとはいえ雪山はひどく冷える。私とヴィクトーはウリオンが現れるまでの間、足踏みをしたり体操をしたりして体が冷えないように温めた。
「ラジオ体操、第2までしか覚えてないや」
「第3なんてあったっけ? 俺、第2も怪しい。あれ? そこそんな動きだっけ。こうじゃなかった?」
少し離れた所で私たちを見守る使用人たちが怪訝そうな顔をして眺めている。聞きなれない音楽を口ずさんで、同じ動きをする私たちが奇妙に見えるのだろう。
「ウリオンって、真っ白で大きいんでしょ?」
「うん。良く知ってるな」
「レオナードが貸してくれた本、ウリオンが出てくるものが多くて」
「⋯⋯レオナードに、そんなに本借りてるんだ」
「そうだね。この前、かなりの量を持ってきてくれた」
「家に来たってこと? 俺、お前の家に行ったことない」
すごく不満そうな様子だ。
「来たいの? そんなに楽しい事はないと思うけど。あ、愉快な父男爵が見たい?」
「お前の家に行きたい」
確かに、ヴィクトーの父侯爵とイリスの父男爵はまるで違う。会えば新鮮で楽しいのかもしれない。
「じゃあ、今度招待するね。でもジャガイモいっぱい食べさせられるから覚悟して来なよ。この前、レオナードもめっちゃ食べさせられてた」
「ジャガイモが好きなんだっけ」
「そうだよ。だからうちの料理人はジャガイモ料理しか作らないもん。さっき頂いたような、あんな美味しい食事はうちでは出てこないね」
侯爵家のお食事はとても美味しかった。普段の私がジャガイモ料理以外を食べられるのは、学園のお昼休みくらいだ。休暇になってからは毎日ずっとジャガイモだったので、今日のような美味しい料理は本当に嬉しい。
「ジャガイモといえばさ、俺、コロッケ食いたくて料理人に作ってもらったんだよ。パン粉とかいろいろ説明してさ」
「おー! コロッケ!」
この世界で、パン粉がついたような揚げ物は見たことがない。ジャガイモ料理ばかりのイリスの家でもコロッケは出たことがない。私もコロッケ食べたい。
「でもさソースがないと物足りないんだよ」
「あー、ソース味懐かしい! ナカムラはさらさら派? 私はトロッと派」
「俺はさらさら派。ソースの説明がどうしても出来なくて、すっげー悔しい」
ソースがどんな味か、確かに知らない人に説明するには料理の知識が足りなすぎる。自分で作るのも難しすぎる。
「ナカムラ、私はたこ焼きが食べたい」
「うわー! 思い出させるなよ。焼きそばとかお好み焼きとかも食いたいな」
「雪山なのに、夏祭りを思い出すね」
ナカムラの家の神社では、夏に大きなお祭りが催されていた。幼いころから夏になるとお祭りの日を指折り数えて楽しみにしていた。
「あれ、結構大変なんだよ。夏は祭儀を行わないから多少楽なんだけど、それでも地域の振興が目的だから人の出入りがとにかく多い。俺は毎年手伝いに駆り出されて、ゆっくり楽しんだことないよ」
「そっか、神社の息子は大変だったんだね」
「それでも、時間を見つけて屋台を回るのは楽しかったな」
懐かしい思い出。小学生の時は友達と待ち合わせてみんなで参加することが多かった夏祭りも、中学になる頃から彼氏と行く友達がちらほら出てきていた。ハセコも浅見先輩と一緒に夏祭りに行くことに憧れていた。
「浴衣、着たことないんだ。着ておけばよかったな」
「女子は浴衣が多かったけど、ハセコは着なかったんだ」
「ハセコは背が高くて女の子っぽくなかったでしょ? ああいうの似合わなかったんだよ」
「⋯⋯そんなこと無かったと思うよ」
「ありがと、優しいね。⋯⋯もし、前の世界に戻ることがあったら、浴衣着るから一緒に行こうよ。あ、手伝いあるからダメか」
ナカムラが意外そうな顔をした。
「浅見先輩と行きたかったって言うかと思った」
「言わないよ。たこ焼き食べれないじゃん。口に青のりついても、ナカムラなら気にならないし」
夏祭りの喧噪。屋台から漂うソースや焼けた醤油の香り。並んだ色とりどりのお面や綿菓子の袋。射的の音。夏の熱気。蚊取り線香の香り。記憶に蘇ってくる日本の夏の光景。
ナカムラがゆっくりと優しい声で言う。
「もし戻ったら、一緒に行こう」
でも私たちはもう分かっている。多分、戻ることはない。
◇
どれくらい経っただろうか。ヴィクトーの顔に緊張が走った。
「静かに。あそこ見て」
山頂付近、岩が突き出した所に真っ白で大きな獣がいた。
月明かりに照らされた美しい毛並みは、白というより銀色に輝いて見えた。ウリオンは堂々とした姿で立ち、辺りを睥睨する。漆黒の瞳に私の姿も捉えられたように感じた。
痺れるような畏怖の念が沸き起こる。王と言われるのも納得だ。生き物としての格が違うと感じた。
声を出すどころか、呼吸をすることすらはばかられる。レオナードに借りた本に書いてあった言葉を思い出す。
『その場のすべてを統べる圧倒的な存在』
ウリオンはしばらく佇んだあと、また静かに姿を消した。
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