ここは回路の生まれ故郷

 馬車にゆられて着いた先は、王都よりももっと雪深い土地だった。見渡す限り真っ白な雪原が広がっている。


「ここは、岩が多くて農作には向かない土地なんだ。でもあの山――」


 ヴィクトーが雪原のずっと奥の高い山を指す。


「――あそこを中心に、国の中でもここでしか採れない岩が多くある」

「回路の原料だね」


 ハロルドの答えに、ヴィクトーがうなずく。


「ここの領民は、回路や他にも採れる石を使った製品で生計を立てているんだ」


 回路が石で出来ていることは知っていたけれど、石の種類を選ぶとは知らなかった。不思議そうな顔をする私に、ハロルドが補足してくれる。


「魔力の伝導率が石によって違うからね。ここの石の中でも、さらにランクがあるんだ。俺たちのフォーラムは、精度を求めないから下のランクのものを使ってるけど、ランクが高いものは驚くほど高価だ」


 宝石など希少なものを測るような魔道具は、魔力が伝わりやすい高級なランクの回路を使うらしい。


「らしい、というのは実用品として魔道具を使う人が少ないから、俺も詳しくは知らないんだ」


 私たちには身近になりすぎた魔道具だけど、何せ魔力を使うと疲れてしまうものだ。疲れに見合うくらい便利な魔道具はほとんどなく、普通の人たちはあまり使わない。


 そういう意味で、自分の魔力をほとんど使わなくて済む蓄電池は画期的なものと言える。


 白い景色の中に、ぽつぽつと集落が見える。やがて街が見え雪道から石畳に変わる。王都のように人手をかけて雪を処理していることから、街の豊かさがうかがえる。


 街の奥に大きなお屋敷が見えた。ここが領主の館だろう。


 中に案内された私たちは、すぐに着替えて侯爵夫妻に挨拶をした。


「あなた方の活躍は方々から耳に入ります。息子の良き友となって頂けたことを感謝しています」


 ヴィクトーの父は、『侯爵』というイメージにぴったりの、威厳のある方だった。そんな方に感謝を述べられ、私たちは恐縮して固くなるばかりだった。


(ヴィクトーはお父さん似なのね)


 ジャガイモをこよなく愛するうちの父男爵とは雰囲気が全く違う。微笑みのかけらもない厳めしい顔つきなのに、冷たさは感じない。温かい威厳としか言いようがない、説明しがたい空気を醸し出している。


 あのヴィクトーも、いつかこうなるのかと思うと不思議な気持ちになる。


「屋敷の離れに、領民から献上された回路が多くあります。私たちより、あなた方の方が活かせるだろうから、必要なものは全てお持ち頂いて構いません」


 ハロルドの顔が輝いた。


 ヴィクトーはナカムラらしさのかけらもなく、落ち着いた顔をして父侯爵の話を聞いている。


 侯爵夫人はいつものように、にこやかな笑顔で出迎えてくれた。


「あなた達に紹介したい人がいて、わざわざここまで来てもらったの」


 挨拶もそこそこに、私たちは再び外出用の服に着替えて侯爵夫人に連れられて街に出た。学園では制服を着てれば良いけれど、家にいると状況に合わせて何度も着替えなければならない。貴族って大変。休みの日に1日ジャージで過ごすことがあったハセコとは大違いだ。


「馬車でもいいのだけど、あなた方のことだから自分の足で歩いて街を見たいだろうと思って」


 確かに私たちは街の雰囲気を感じながら歩ける事が嬉しいけれど、侯爵夫人を付き合わせることが申し訳ない。そんな私たちの気持ちに気が付いたのか、ヴィクトーが笑いながら言った。


「母は、馬車に乗っていたら領地の様子が分からないと言って、馬車を嫌って、いつも徒歩か馬なんだ」


 侯爵夫人も笑いながら言う。


「ほら、あの腹立たしいジュリアに言われたように私は低い身分の出身ですもの。徒歩を嫌うような上品な育ちはしていないのよ」


 ジュリア!私を土まみれにした、ヴィクトーの元婚約者。そういえば侯爵夫人の出身を蔑んでいた。何度思い出しても、絶対にあの人とは分かり合えないと思う。


 ジュリアの事を知らないマノンとハロルドに簡単に説明した。王立学園には確かに身分にこだわる生徒も一定数いるけど、彼女ほど激しい人は見かけない。彼女が学校に溶け込めているのか、二人は彼女の学園生活を心配していた。


 侯爵夫人がこじんまりした建物の前で足を止めた。街の中心地からは少し離れたところにあり、人通りも少なく静かなところだ。門をくぐると建物の奥に広い庭とそこに積まれた大きく切り出された石が見える。石の上には雪が積もり小さな山のようだ。


「こんにちは。テオはいらっしゃる?」


 侯爵夫人は広い建物の方に行き、開いたままの扉の向こうに声をかけた。年老いた使用人らしき人が顔を出してぶっきらぼうに応える。


「中におりますので、このまま入ってしまってください」


 とても立場にふさわしい応対とは思えないけれど、侯爵夫人は気にする様子もなく進み私たちを招きいれた。そのまま慣れた足取りで奥に進む。広い作業場のあちこちに作業机があり、職人たちが黙々を回路を削っている。


 石なので、もっと大きな音でガンガン叩き割るような作業をイメージしていたけれど、細かい部分を少しずつ削る繊細な作業を行うようだ。そういえば、回路は少しの歪みでも正しく動かないとハロルドが言っていた気がする。


「テオ、こんにちは」


 頭を丸刈りにした30代くらいの男性が背中を丸めて、回路をのぞきこんでいた。ちらっと侯爵夫人に目を向けると、すぐにまた回路に戻る。


「こんにちは」

 

 それでも回路に視線を向けたまま、口だけは挨拶してくれた。


「テオは、領内でも難しい回路を作ることが出来ると評判なの。回路の設計についても詳しいから面白い話が聞けるかもしれないわよ」


 そして、テオに向かって言う。


「あなたが会いたがっていた、フォーラムを作った子供たちよ」


 テオが勢いよく頭を上げて私たちを順に確認した。そして、テオの手元の回路に視線を向けているハロルドに向かって言った。


「私の回路を見て欲しい」


 テオの回路が気になって仕方なかったハロルドが、すぐに回路をのぞきこんで質問を始めた。テオも回答しながら色々質問している。


「テオはこの工房の責任者なのよ」


 侯爵夫人の言葉に少し驚いた。この工房には30人ほどの職人がいるように見えるけれど、テオはその中ではかなり若く見えたからだ。


「もっと若い頃から天才的なひらめきで、他の人が思いつかないような回路を作り上げていたんだけど、回路以外には全くの無頓着なものだから人と上手く付き合うのが苦手なの。そのせいで、優秀なのに工房を転々としていたそうよ」


 侯爵夫人が少し困った顔でテオを見た。ハロルドとテオは、ついさっき初めて会ったとは思えないほど熱中して激論を交わしている。


「でも、数年前にこの工房に来てからは落ち着いていたらしいの。昨年亡くなった工房の責任者が懐の広い人でね、人とぶつかってしまうテオに相手を尊重する事を教えたって」


(尊敬する師匠ってことかな?)


「その責任者が亡くなった後、テオは人が変わったかのように他人の話を聞いて彼なりに上手く付き合うようになった。回路を作る腕も熱意も抜群だから、ここの皆に推されて責任者になった」


 テオは受け継いだ工房を発展させるために寝食を忘れて仕事に取り組んだ。そして考えた新しい発想の回路を世に広めるために領主に力を借りようとして何と直訴をした。


「驚いたわよ。御者がどれだけ叱っても、馬車を追いかけて走ってくるんですもの」


 真っ赤な顔をして『回路を見てくれ』と懇願する坊主頭のテオに心を動かされて、制止する夫を振り切り侯爵夫人はその場で馬車を降りて話を聞いてあげたそうだ。


「言ってることがさっぱり分からなかったわ。でも、あなた達のフォーラムのことを思い出したの。研究院に行っているハロルドなら興味を持つのではないかと思って誘ってみたんだけど、正解だったようね」


 テオとハロルドを見て侯爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。二人の話が終わらないと判断した侯爵夫人は私たちを外に連れ出した。


「この街には、こういう回路や石製品の工房が多くあるのよ」


 街はとても静かだ。王都の町は同じように雪が多くても、もっと賑やかな気がする。


「でも最近は、若い人がもっと華やかな仕事をしたがって後継者が不足しているの。誰もが使いたくなるような魔道具が増えたら、またここも賑やかになるかしらね」


 続いてマノンのために、取り組んでいる福祉について案内してくれた。街の雪が丁寧に処理されているから豊かだと判断したのは間違いだった。


 これほど整えられているのは侯爵家の取り組みのおかげだった。回路が思うように売れなかったり、後継者不足で工房を閉鎖せざるを得なかった人たちの為に、侯爵家でまとめて雇い入れて仕事をしてもらっているそうだ。


「体を使うのが得意な人には雪の処理をして頂くし、手先が器用な方にはあちこちの修繕をお願いするの」

「その方たちへの賃金のために、この街では多くの税を取るのですか?」


 マノンの質問に、侯爵夫人は優しく笑って否定する。


「いいえ。この領地だけで考えると収支は合わないわ。でも幸いうちには多くの領地があるの。豊かな領地からの収益をこちらで使うのよ。本当はこの領地だけで、収益が賄えるようになるのが理想だけど」


 この取り組みについて、マノンは賛成ではないようだ。前の世界の知識を使って侯爵夫人と議論している。すっかりマノンとしての話し方ではなく、前の世界の大人のグウェンになっている。


「私が高等部の学生だった頃には、こんなに立派な考えを持っていなかったわ」


 侯爵夫人が驚くのも無理はない。グウェンは立派な大人で実績もある人だったのだから。


 マノンと侯爵夫人の話を、分かるような、分からないような、と思いながら聞いていると、ヴィクトーが素晴らしい提案をしてくれた。


「ウリオンを見に行かないか?」

「え、いるの?!」


 絶対に見たい。

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