ミミズ畑で見える展望、あるいは予想外の想い

 平和に過ごす私たちに、朗報が飛び込んできたのは冬の終わりごろだった。


 冬休みが明けてすぐ、ハロルドが研究院に提出していた論文の評価が決まったという連絡が入った。内容は複数の回路を複雑に組み合わせることのによる何だかについてだ。残念ながら、私には概要すら理解できない。


「認められた。俺の研究院への入学が、確定した」


 ハロルドが涙ぐんでいる。高等部1年生での快挙は滅多にないこと。学園を挙げてのお祝いとなった。


 ハロルドは、学園生活と研究院での授業に合わせて、テオとの事業も運営している。


 朗報は続く。ついにテオの工房との間の中継施設が全て完成した。全部で15か所に設けて、中継施設同士の通信は既に確認出来ているそうだ。


「いよいよ、最終確認だ」


 ハロルドの声が緊張で少し震えている。


 最終確認の日時については、テオと手紙でやりとりしたそうだ。王都側の端末はエレナさんの祖父の主任教授が用意してくれた研究院の1室に設置されている。


 この端末とテオの工房の端末が、中継施設経由でつながれば成功だ。部屋には私たちとエレナさんの他に、主任教授と他の研究院たちが大勢詰めかけている。全員が、固唾を飲んでハロルドの操作を見つめている。


「では、いくよ」


 ハロルドが端末を操作する。すると、しばらくの沈黙の後に何かが聞こえてきた。


「ハロルド? 聞こえますか? こちらは今3時5分です」


 テオの声だ!顔も映っている。真っ赤になって坊主頭に汗をかいていることまで見える。時間も、こちらとぴったり合っている。


「「「成功だ!!」」」


 その場の全員が一斉に歓声をあげる。つながった。王都とテオの工房が、ついに通信でつながったのだ。


 馬車で1日分の距離を経た場所にいる人間の顔を見ながら会話が出来る。前の世界の私たちには珍しくない事だけど、ここでは今まで誰も考えたことも無い、夢のような事が出来るようになったのだ。


 主任教授が涙を流している。周りの研究院たちも、ハロルドを抱きしめて口々に感激の言葉を伝えている。


(エレナさん⋯⋯)


 彼女は、部屋の隅で俯いて肩を震わせていた。中継施設を作る事にも、色々な困難あったと聞いている。ハロルドは根気強く対処を重ねて実現させた。


「ヴィクトー、ありがとう」


 ハロルドがヴィクトーの手を握った。顔が涙でくしゃくしゃになっている。


「君の力添えで、侯爵のお力をお借りすることが出来た。侯爵の力添えなしでは、中継施設の確保も実現も出来なかった。それに、君の母上がテオと俺を引き合わせてくれたから、これだけの事を成し遂げられた」


 ヴィクトーも感激して涙ぐんでいる。私とマノンはとっくに涙が止まらなくなっている。


 ハロルドは、次にマノンの手を握った。


「前の世界の俺は、自分と仲間だけが儲かる事を考えていた。そうじゃなくて、自分が思いついたアイデアを他の人に共有して、社会全体が豊かになる事を目指せるようになったのは、マノンのおかげだ」


 ハロルドとテオは今回の技術を広く公開することにしたそうだ。例え真似をされて自分たちが利益を失ったとしても、誰かがこの技術を生かして、次に何かを成し遂げることを選んだという。


 そういう人たちが、テオの工房の周りに集まり、新しい交流や事業が生まれ、あの街が魔力回路の街として発展することを望んでいる。


「シリコンバレーだ!」


 私の言葉に、ハロルドが笑う。


「住んでいた俺からすると微妙に違うけど、一般的なイメージのシリコンバレーは、そういう場所なのかもしれないね」


 既に、テオの工房では蓄電池の改良を進めている。今はまだ生活に欠かせないような魔道具は存在していないけれど。蓄電池を改良することで、実用化できるものが多くあるそうだ。 


 まずい、私だけ役に立っていないじゃないか。そんな思いをくみ取ってくれたのか、ハロルドは私も褒めてくれる。


「ここにつながったのは、イリスのおかげだよ。主任教授とつながるきっかけを持ってきてくれたのも、フォーラム・バージョン3を保護者たちから守り、侯爵夫人を動かしてテオにつなげてくれたのも君だ。


 君が、ここにつながる色々な人を結び付けてくれたんだ」


 ありがとう、ハロルド。半分はヴィクトーの手柄でもあるけど、感謝してもらえたことは嬉しい。


 そしてハロルドは、人をかき分けてエレナの前に立った。


「エレナ、君の協力なしではここまで来れなかった。この成功は君の成功でもある。本当にありがとう」


 ハロルドがエレナさんに手を伸ばすと、なぜか主任教授がハロルドに飛びついた。ハロルドの服が主任教授の涙で濡れている。ハロルドもエレナさんも苦笑していたけれど、とても幸せそうだった。 


「いたいた!」


 トイプードルみたいなふわふわ頭の農学部の教授が、私とヴィクトーの顔を見ると笑顔で駆け寄って来た。


「あなた達の蓄電池だけど、試してほしいことがあるの」


 土を変えたらどうか、という提案だった。私たちはポグーが快適に暮らせれば土は何でも良いと考えていた。でも教授は、農作物における魔力が含まれた土について研究している学者と協力して、より魔力伝導が良さそうな土を取り寄せてくれていた。


「この土がある地域は、畑にポグーがたくさんいるんですって。ポグーが好む土じゃないかと思って研究をしていたそうなの。恐らく魔力の伝導率も高いのではないか、と推測していたわ」


 ヴィクトーと私は、すぐに試してみることを約束した。



「香草もう少しくれる?」


 ヴィクトーが袋から香草をひとつかみ出して土に撒いてくれた。私は香草をまんべんなく混ぜ込む。


 充電池の外側は、冬休みにレオの工房で作ってもらった石造りのものに変えてある。中の土をトイプードルの教授に頂いた土に取り換えている。


 レオナードが大き目の木桶を抱えて、一時的に避難させたポグーの様子を確認している。ポグーを大掛かりに引っ越しさせるので、レオナードも手伝ってくれている。


 最初、ヴィクトーは自分がやると言っていたのだけど、香草を魔獣研究部から分けてもらう過程で耳に入ったらしく、レオナードの方からやってきた。


 私は、滅多に全身を見れないポグちゃんが何匹も集まって木桶に入っているので、作業そっちのけで木桶のポグちゃんばかり眺めに行って、ヴィクトーに『さっさと作業をしろ』と怒られてしまう。


「じゃあ、僕がイリスの近くでポグーを確認すればいいね」


 レオナードが木桶を持って、私が作業しているすぐ隣まで来てくれた。喜ぶ私に、ヴィクトーがますます不機嫌になる。


 前から感じていたけれど、ヴィクトーとレオナードはあまり仲が良くないようだ。今日も全く話をしない。必要な事を話す時にも、何だかぎこちない。


 沈黙するのも空気が重いので、何か共通の話題をと思って色々振ってみるけれど、全然話が続かない。


(男同士って女子みたいに、おしゃべりしないものかもね)


 同じ部活だからと言って、私とアレシアのように仲良くなるとは限らないのだろう。面倒になったので、3人で楽しく会話することはあきらめた。


 香草を混ぜ込んだ後に、試しに1匹だけ土に戻してみる。あっという間に土の中にもぐりこんでいった。


「新しい土も大丈夫そうだね」


 レオナードが残りのポグちゃんを土に戻してくれた。ヴィクトーが魔力測定器を何か所かに差し込んで計測し記録している。のぞきこんで数値を確認したけど、まだ最初に混ぜた糞しか無いので、効率が良くなっているかどうかは分からない。数日間、毎日数値を計測しないと判断出来なそうだ。


 落ち着いたところで、ミミズをあげようと木箱とお箸を取り上げた。ヴィクトーがそれに気づき、もう一つの木箱を手に取ろうとしたところで、レオナードが先に声をかけてくれた。


「ミミズ捕りに行くなら、一緒に行くよ」


 もう冬じゃないので、たい肥場ではなく畑なのだけど、せっかく言ってくれているので一緒に行くことにした。ヴィクトーは不貞腐れた顔をしている。


(何だかんだ、ヴィクトーだってポグちゃんにミミズやりたいんじゃないの。素直ポグちゃんの可愛さを楽しめばいいのに)


 やっぱり高校生男子はまだ反抗期なのかもしれない。



 ハロルドとテオが成し遂げたことは、あらゆる所で話題になっていた。ヴィクトーの父侯爵も大変喜んでいるそうだ。


 そして侯爵は、ハロルドの活躍を見てヴィクトーをもっと鍛える事にしたらしい。家庭教師が増えて大変だ、とぼやいていた。


 ヴィクトーは侯爵への道を進んでいる。ハロルドとマノンも自分の道を進み、みんなが眩しく見える。もうすぐ高等部の2年生になる。わたしだけ、取り柄もなく将来も見えない。


「レオナードは、将来の事を考えているの?」


 畑の土を箸でつつきながら聞いてみた。冬が終わって寒さが和らいでいるので、簡単にミミズが捕れる。


「どうして、そんなことを聞くの?」


 レオナードは箸を止めて、少し真剣な顔でこちらを向いた。私は、一緒に頑張っていたみんなは先に進んでいるのに、自分だけ進んでいなくて少しあせってしまう気持ちを説明した。


 レオナードが木箱と箸を地面において、立ち上がった。かしこまった様子なので、何となく私も同じように立ち上がった。


「僕の考えでは、何も決まっていない、ってことはこれから何でも決められるって事だから、悪い状態ではないと思う」


 私が何となくした質問に、真正面から取り組んで回答してくれる。レオナードのそういう誠実さを尊敬している。


「イリスには、色々な道があって、今はどの道でも選べるでしょう。例えば、マノンみたいに君自身が爵位を継いで何かに挑戦する事も出来るし、夫を迎えて共に領地の繁栄に力を注ぐことも出来る」


 レオナードの目に力強い光が見える。最初、のんびりぼんやりしている、と思った彼の中には、強い芯のようなものを感じることがある。今のように。


「妹に爵位を任せて、君自身が誰かのもとに嫁いで、その人の力になることもできる。生物学者になる道だって、まだ捨てなくていいんじゃないかな。


――僕だって全く同じだよ、まだ決まっていないんだ。僕が爵位を継いでもいいし、兄弟に任せてもいい。例えば君が家を継ぐといったら、君の家に入ることもできるし、君が望むなら僕のうちにきてもらってもいい。全部これから決められるんだ。色々な道があるでしょう?」


(まだ、何でも選べる、ということ)


 そんな風には考えたことがなかった。行き詰っていると思った私の将来が、急に可能性に満ちたものに思えてきた。


「ありがとう、レオナード! 元気が出た」


 あと2年のうちに、成績が急上昇して研究院に入る道も開けるかもしれない。良いアイデアを思いついたら、ハロルドのシリコンバレーに行って、私が起業してみるのも面白いかもしれない。


「ねえ、イリス」


 レオナードが、すごく困った顔をしている。


「僕、今、君に想いを告げたつもりだったんだけどな。少し婉曲すぎたよね」


(思い?)


「君が選ぶ道に、僕も一緒にいたいんだ。一緒に進む道を考えない?」

「え? え? え?」


 それって、もしかしてレオナードが私と一緒に将来を考えたいと言うことなのか。


(求婚?!)


 まさか、レオナードがそんな風に私を見ているとは思わなかった。ただの魔獣友達だと思っていたのに。鼓動が早くなり顔が熱くなる。私が意味を理解したことが伝わったのだろう、レオナードは優しく笑った。


「近いうちに、僕の家から君の家に、正式に婚約の申し出をする。それまでに考えてみてくれるかな」

「あ、はい。えっと、あの⋯⋯」


 挙動不審になっておろおろする私を見て、レオナードはしゃがみ込み、ミミズが入った木箱と箸を、私の分まで拾い上げた。


「これは、僕が部屋に戻して、ミミズもあげておくから。今日の君は、これをひっくり返してしまそうだからね」


 そして、嬉しそうな笑顔で言った。


「心を乱してくれたって事は、良い返事をもらえる可能性があるって事かな。それだけでも今日は最高の気分で眠れるよ。ありがとう」


 私は挙動不審のまま挨拶をして、逃げるようにその場を立ち去った。


 レオナードのことはもちろん嫌いではない。家に帰っても、何も手に付かず、考えがまとまらないままだった。

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