ミミズ畑で起こる決闘、あるいは予想外の襲撃

 もうすぐ夏休みを迎える。日が沈みかけた夕方とはいえ、まだ外は暑くて汗が止まらない。特に日中温まった畑の土からは、ゆらゆらと熱が噴出しているように感じる。


 早くミミズを掘り出して室内に戻りたいのに、土が乾燥しているのでミミズが奥に隠れてしまっていて、なかなか見つからない。


(携帯扇風機みたいな魔道具欲しいわ)


 ハンカチで汗をぬぐいながら作業をしている私の手元が影で隠れた。後ろに誰かが立ったのだ。香水のような香りがする。


 振り返ると美しい女の子が立っていた。繊細なレースをふんだんに使用した日傘を差している。通りすがりという様子ではなく、強い視線を私に向けている。ミミズの木箱を持ったまま、私は立ち上がって女の子の方を向いた。


 遠慮ない視線を向けてくるのに、口を開く様子はない。金色の長い髪の毛が日傘のレース越しに夕日に照らされてキラキラ輝いている。真っ白な肌には、汗ひとつかいていない。私と同じくらいの年頃だろうか。整った顔には冷たい表情を浮かべている。


「何かご用ですか?」


 沈黙に耐え切れずに聞いてみた。暑い。私は汗をハンカチでぬぐった。


「あなた、イリス・メルシエ?」

「はい、そうです」

「そう」


 この人は名乗るつもりはないのだろうか。私を観察する視線から悪意のようなものを感じる。この場を立ち去りたいけれどミミズがまだ足りない。いよいよ日が沈み始め、辺りが赤く染まり始める。女の子は空を見て日傘をたたんだ。


「まだ、用事が済んでいないので続けますね」


 木箱を少し女の子に向けて見せた。女の子は中身を見ると、口元を覆って不愉快そうな顔をした。


「ミミズ? あなたくらいの身分だと、平気でそういうものにも触れられるのね」


 ものすごく悪意を感じる。私は無視してミミズ捕りに戻ることにした。しかし、女の子は話し始めた。


「私が誰かお分かりになる?」


 いけ好かない女の子だけど、口ぶりから身分が高そうなので、丁寧な態度を崩さないようにして答える。


「存じ上げません」

「私はジュリア・リーズ」


 誰だろう。聞いたことが無い名前だ。名前に全く反応しない私に苛立ちを感じたのか、先ほど以上にとげとげしい口調で告げる。


「ヴィクトー・ローランの元婚約者よ」


(なんと!  ナカムラの元婚約者!)


 悪意を向けられる理由が推測できた。


「あなた、私に何か言うことはないの?」


 恐らく、サンドイッチ協定に関わることだろう。ヴィクトーが婚約破棄をした後、近づく女子を防ぎたいと言うので、私が表立って仲良くすることで女子からの盾となる約束をした。風当たりの強さを我慢する報酬は、侯爵家の美味しいサンドイッチをお昼ご飯として頂くこと。


(そういえば、1か月って言ってたけど、ずっともらいっぱなしだ)


 今日はキュウリと卵のサンドイッチだった。うちの料理人が使わないようなスパイスを使っているので、シンプルなのにとても美味しい。うちの料理人は、父男爵の好みでイモ料理ばかり作るのだ。


 そんな事をぼんやり考えていたら、ヴィクトーの元婚約者に催促されてしまった。


「言うべきことが、あるでしょう?」


 女子からの盾になる約束をしたものの、すぐに魔道具が注目を浴びた事で、私とヴィクトー、ハロルド、マノンの4人は一緒にいるのが当然と認知されるようになった。そのため、ヴィクトーや人気急上昇のハロルドと二人でいても、誰も何も言わなくなっていた。


 このジュリアは魔道具のことを知らないから、私が原因で婚約破棄に至ったと勘違いしているのだろう。説明するのが面倒だ。早くミミズに戻りたい。


「ごめんなさい、心当たりがないです」


 ジュリアの顔に怒りが浮かび、たたんだ日傘でミミズの木箱を思い切り払われた。木箱と一緒に、私もよろけて土の上に転ぶ。


「いった!」


 ガタン、と木箱が転がる音が響く。


(良かった、畑の上じゃない)


 トイプードルの教授と、畑には入らないと約束している。畑で育てる作物の中には、人間に付着している菌に弱いものもあるそうだ。何の対策もせずに畑に踏み入ってはいけない。


 畑の中に転ばなかったことは幸いだったが、木箱からミミズがこぼれてしまっている。私は木箱と箸を拾い上げて、ミミズを中に戻した。手元を見れば、汗で湿った腕に土が張り付いて、ひどく汚れている。制服も土まみれになっている。


 でも、ジュリアに対して怒りは沸いてこない。ただ暑くて、汗と汚れが不快なだけだ。


 私はこぼれたミミズを木箱に入れると、そのまま土からミミズを捕獲する作業を始めた。早く十分な量を捕獲して、ポグちゃんに持っていってあげるのだ。


「何か言いなさいよ!」


 ジュリアが真っ赤な顔をして感情的に叫ぶけれど、私に言ってあげられることはない。私は黙々とミミズを捕獲した。そろそろ十分な量だろう。木箱を持って立ち上がる。


「あなたのせいでしょう?! どうして私が婚約破棄されなければならないの?!」


 ヴィクトーが言っていた事を思い出す。気が合わなくて1年に1度くらいしか会わなかった、そう言っていたはずだ。


「だったら⋯⋯、そんなにヴィクトーが好きなんだったら、もっと会って話すとか分かり合う努力をしたら良かったんじゃないですか?」


 婚約破棄のきっかけは、ナカムラの記憶が蘇った事だろう。でも、その時点でヴィクトーとジュリアの間に確固たる絆が出来ていれば、ナカムラは婚約破棄をしなかったと思う。


「分かり合う? 政略結婚にそんなこと必要ないわ」

「ヴィクトーが好きだから、婚約破棄されて悲しいから、私に不満をぶつけてるんでしょう?」

「好き? 違うわ。侯爵夫人になり損ねたからよ。うちに釣り合う家格の家を継ぐ未婚の男性は、ヴィクトーしかいないの。ヴィクトーだって由緒正しい家柄の妻を持つべきなのに、あなたのせいで下らない感情に流されたんだわ」


 この人の考えは分からない。私は結婚には愛情が必要だと思っている。


「大体、ヴィクトーはお母さまの身分が低かったから中途半端に育ったのよ。侯爵家には、あなたのような低い身分じゃなく、私のように同格の家から妻を迎えるべきだわ。こんなの異常よ」


 ヴィクトーのお母さんが、低い身分の出身だとは知らなかった。でも、品格があって愛情にあふれる素敵な方だった。それをこの人は身分と言う理由だけで貶める。この人とは、どれだけ話しても理解し合える事はないだろう。


「ごめんなさい、身分の低い私には理解できない話だわ。土まみれで暮らしている私から見たら、あなたは身分が高すぎて雲の上に住んでいるようだもの」


 ジュリアの美しい顔が醜くゆがんでいる。


「だから、私なんかにそういう気持ちをぶつけるのは無駄じゃない?言いたいことがあるなら、同じ世界に住むヴィクトーとか侯爵夫人に直接言うといいんじゃないかしら。


 それに、あなたはこんなに美しくて身分が高いんですもの。侯爵家よりも、王族とか王子とか、もっと高い身分の男性の方が、あなたにはふさわしいと思う」


 王族とか王子に、適齢期の男性がいるかどうかなんて知らない。とにかく、暑くて不快で面倒だ。早く帰りたい。


 でも、何かがジュリアの心にひっかかったようだ。


「そうね。確かにあなたの言う通りだわ」


 何か考え込んでいるので、私はさっさとその場を立ち去った。もう日がかなり落ちて暗くなってきている。馬車と共に待つ使用人に、また叱られてしまう。


 土汚れを落とすより、早くミミズをポグちゃんの所に届けよう。幸い生徒はほとんど下校していて人はまばらだ。薄暗いので私が土まみれなのも目を引かないはずだ。


「イリス?」


 こういう時に限って。声をかけてくれたのは、アレン先輩だった。また、遅くまで剣術の稽古をしていたのだろうか。


「どうしたの! その恰好」


 慌てて駆け寄ってくる。こんなひどい姿を見られたくないのに。先輩はハンカチを出して、私の顔についた土をぬぐってくれた。


「すみません、畑で転んでしまったのです」


 先輩の良い香りがする。こんなに近くで、ハンカチまで汚して顔を拭いてくれているのに、今日は心が浮き立たない。早く帰りたい。


「困ったね、この恰好。このままじゃ、帰れないでしょう」

「先輩、ハンカチが汚れてしまいます。もう、大丈夫ですから。私、このままでも帰れるので大丈夫です。本当に大丈夫です」


 逃げようとする私に、先輩が無理やりハンカチを押し付けた。それを受け取り、何度もお礼を言って、私はポグちゃんのもとに小走りで向かう。


 やっと部屋に入り一人になれた、そう思ったのに、そこにはナカムラがいた。


「ミミズセットがないから、まだ畑かなって思って――お前、何でそんなに汚れてるんだよ!」

「あはは。ちょっと畑で転んじゃった」


 ナカムラの目が、私が持つ男物のハンカチの上で止まる。


「ああ、これ? アレン先輩に途中で会ってお借りしたの」


 私は口早に告げて、ミミズをポグちゃんの土の上に撒く。やっと終わった。やっと帰れる。


「遅いから心配したのに、あの先輩と会って浮かれてたんだ」


 なぜかナカムラも不機嫌だ。今日はもう疲れた。本当に疲れた。


 私は返事をせず、木箱と箸を片付けると、無言で部屋を出た。もちろん、使用人には遅くなったことも、土まみれの恰好も叱られる。


 ひどい1日だったから早く眠りたいのに、私は眠れない。


(ヴィクトーが婚約破棄をしたと聞いた時、私は嬉しかった)


 罪悪感が胸を占めている。もし、ヴィクトーが婚約を続けていたら、婚約者以外の女性と二人でいることは避けなければならない。ナカムラの記憶が蘇ったばかりの頃はともかく、落ち着いたら、きっと私とも距離を取っていただろう。


 でも、婚約を解消したことで、お昼休みを過ごすことも、ミミズを一緒に取りに行く事も罪悪感無く続けられた。


 だから、私はジュリアに腹を立てる事が出来なかった。ジュリアの醜くゆがんが顔が頭から離れない。


(私がヴィクトーと一緒にいることで、悲しい思いをする女の子がいる、分かっていたのに。この罪悪感は、それでも一緒にいたいと思った私への罰だ)

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