フォーラム・バージョン3をめぐる、PTAとの攻防

 レオナードは本当に充電池のポグーの様子を見に来た。せっかくなので、私の活きが良い捕れたばかりのミミズを披露すると、すごく感心してくれた。


「イリスが言う通り、買ったミミズとは違うね。これを毎日捕りに行っているの?」

「ヴィクトーと交代で行くから、毎日ではないの」


 気を付けないとハセコモードになってしまう。レオナードは、いつも優しく穏やかなので、つい気が抜けて素が出てしまいそうになる。


「イリスは生き物が好きなんだね」

「そうなのかな」


 レオナードが面白そうに笑った。


「気がついていなかったの? これだけポグーに愛情注ぐなんて生き物が好きだとしか思えないよ」


 思い返してみると、理科系の授業の中では生物が一番得意だ。子供の頃から動物園に行くのが好きだったし動物番組も良く見ていた。そうか、私は生き物が好きなのか。


「レオナード、ありがとう」

「ふふ。何でお礼言うの。そうだ、うちに生物学者が書いた本が何冊かあるよ。読んでみる?」

「生き物が好きなら面白いと思いそうな本?」

「うん、少なくとも僕は面白いと思ったな」

「じゃあ、貸してくれる?」



「ねえ、生物学者になるのって難しいと思う?」


 ナカムラが『耳を疑う』のお手本のような顔をする。


「どうしたんだよ、急に」


 私はサンドイッチを置いて、レオナードが貸してくれた本を見せた。


「レオナードに言われて気が付いたんだけどね、私、生き物が好きみたいなの。生物学者になろうかな」

「お前、自分の成績を分かってて言ってるのか」


 痛いところを突かれた。そう、イリスは残念ながら成績が悪い。歴史と語学だけは何とか人並みだけど、後は壊滅的だ。


「そうだよね、これからの私は勉学に励むよ。もう剣術部にも行かないし、魔道具も落ち着いたし。私に残ったのは、ポグちゃんとミミズと勉強だわ」

「剣術部、辞めたんだ」

「⋯⋯うん」


 舞踏会の後何度か、アレン先輩が私に話しかけようとする気配を感じたけど、近づかないよう逃げ続けている。もともと剣術ではなくアレン先輩目当てで所属していた。アレシアは残念がってくれたけど、剣術部に未練はない。


「成績がいいヴィクトーさん、分からない所があったら教えてください」


 ナカムラが苦笑した。


「いいけど、高いよ」

「えー。じゃあ、質問1回でミミズ当番1回」

「考えとく」



 マノンが怪我をした。ジュールさんの所で炊き出しを手伝っていて、喧嘩に巻き込まれたらしい。


 『らしい』というのは直接聞けていないからだ。状況どころか、怪我の具合すら分からない。貴族の娘が平民に危害を加えられたという事実は、かなり重大な事件だ。マノンは今、両親がいる領地に戻されていて学校には来ていない。


 問題はどんどん大きくなっていった。そして、マノンがフォーラム・バージョン3に投稿した内容までが問題になり始めた。マノンの投稿に『賛同』していた他の生徒たちも、マノンに感化されて街で同じ振る舞いをして危険に身をさらすのではないかと、多くの親が心配したのだ。


「良くない知らせだ」


 ハロルドが重いため息をついた。魔道具の先生から、いったんフォーラム・バージョン3を停止させるように言われたという。


「本体と蓄電池だけ稼働させておけば、蓄積した情報を失う事はない」

「でも、マノンが作りたかった交流の場は無くなってしまうってことでしょ?」


 端末が無ければ、情報を見る事も投稿することも出来ない。


「気に入らないな」


 ナカムラが不愉快そうに眉をしかめた。


「気持ちは分かるけど、ここはいったん引くべきだ。逆らって、全てを失うよりは一時的に撤退して様子を見るべきだと思う」


 ハロルドが正しいのだと思う。悔しい気持ちを押し殺して、私たちは校内の端末を撤去した。


 しかし、事態はそれでも収まらなかった。マノンと交流を持っていた生徒の両親を筆頭に、保護者たちが学校に説明を求めたのだ。特にフォーラム・バージョン3を自由に使わせていた学園長と魔道具の先生がやり玉に挙がっているらしい。


「説明の場には、俺だけが行くよ」


 作成者として、ヴィクトーと私も呼ばれているのに、ハロルドは一人で行くと言う。


「いや、俺は行く。⋯⋯来校する保護者の中に俺の母もいる。保護者の取りまとめ役をやっているから」


 ハセコの世界で言うPTA会長ということか。貴族世界は身分の高さがものをいう。天井に位置する侯爵家がPTAでもトップを任されているのだろう。


「事前に、お母さんにフォーラム・バージョン3の意義を説明しておくことは難しいの?」


 ナカムラは難しい顔をした。


「母は領地から直接学校に来る事になっていて、事前に話す時間をもらえそうに無いんだ。手紙を書いてみようと思うけど、忙しい人だから読んでくれるかどうか分からない」

「二人が行くなら私も行く。役には立たないけど、どうなるか見届けたい」


 マノンが戻るまで、フォーラム・バージョン3を守りたい。私たち3人に共通する思いだ。



 迎えた保護者の説明会には、研究院の主任教授が出席していた。保護者たちも、私たちもみな驚く。『エレナが口添えしてくれたのだろうけど大丈夫かな』、とハロルドが少し心配そうな顔で言う。


 本体がある部屋は狭いので、別の広間の中央に端末を数台集めて設置し、その周りに椅子を並べてある。1学年の生徒が50人もいない学校だから、来る保護者は高等部全体でもせいぜい10人そこそこだろうと思ったのに、100人近くもいた。広いはずなのに圧迫感を覚える。


 学園長と魔道具の先生が経緯を説明した後に、主任教授がこの魔道具がいかに画期的な素晴らしい技術なのかということを滔々と話した。途中で、ハロルドに端末を操作させて実演もする。簡潔という言葉を知らないのではないかと思うくらい、丁寧に時間をかけて話す。それはもう、長い長い時間をかけて、誰もが圧倒されるほどの熱量で。


「教授、もう結構です。魔道具が素晴らしいことは理解しました」


 耐えられなくなった、司会役の保護者が主任教授の説明を無理やり遮った。


「魔道具自体が悪いのではなく、使い方が問題ということですね。では学校側で、投稿内容についての規則を具体的に細かく決めて、教師の監視のもとで使わせるなら良いでしょう」

「事前に承認した内容だけを投稿させたらどうですか?」


 保護者から学園長へ次々に要望が投げられた。すると、ハロルドが立ち上がり落ち着いた声ではっきりと言った。


「私たちはこの魔道具を『困窮者の支援について話し合いをする場を作りたい』という想いで実現させました。投稿者が自由に発言できない場になるなら、この魔道具は役目を果たせないことになります。それでは、この魔道具は死んだも同然です」


 保護者たちが一斉に色めきたった。


「まだ善悪の判断もつかない子供に、任せられないでしょう」

「あんな事故がまた起こったら、学校はどう責任を取るおつもりですか」

「大体、素晴らしい技術と、それを子供たちに使わせることは別の問題でしょう」

「子供たちには、他にもっと優先するべき事があるはずです」


 口々に感情的に発言している。PTAの親玉はどう思っているんだろう、こっそり侯爵夫人の方を窺うと魔道具に近い場所で背筋をぴんと伸ばして座ったまま口を閉ざしていた。表情からは何も読み取れない。


「では、魔道具の撤去を検討して、また改めてご報告いたします」


 学園長が力なくつぶやくも、保護者の発言は全く止まらない。


「学園側の指導が至らないから、こんなことが起こるということを分かっているのですか」

「先生は、この事を今後どう活かされるおつもりですか」


(フォーラム・バージョン3が無くなってしまう。マノンの投稿も、賛同してくれた人たちの意見も、全て無かったことになってしまう)


 嫌だ、と思った時にはもう、席から立ちあがってしまっていた。ガタンと椅子が大きな音を立て、全員の目が私に向いた。


「教えて、頂きたいんです」


 心臓が早鐘を打ち、声が震えそうになる。3回深呼吸をした。


「皆様がおっしゃる通り、私たちは子供で、まだとても未熟です。だからこそ、正しい方法を教えて頂けないでしょうか」


 誰も口を挟まない。聞くだけ聞いてみよう、という事だろうか。勇気を出して続ける。


「恐らく、マノンのやり方は間違っていたのでしょう。でも困っている人を助けてより良い国にしたい、という志は皆さまと同じだと思います。


 こちらにいらっしゃるのは、マノンの意見に『賛同』した生徒の保護者が多いと聞いております。


 その賛同が皆さまの背中を見て育った結果だとしたら、皆さまの方が強い志をお持ちで、多くの経験もされていると思います」


 うなずく保護者もいる。


「未熟な私たちはまだ、その志を、どう表して良いのかが分かりません。皆さまの志を、お子さまを経由してこの魔道具――フォーラム・バージョン3を使って、共有して、私たちをお導き頂きたいのです」


「魔道具以外の方法では出来ないの?」


 侯爵夫人が口を開いた。広間に緊張が走る。


「出来るかもしれません。ただ、最善の方法だと考えています。


 このフォーラム・バージョン3を使うと、直接話をするよりも多くの人に意見を伝えることが出来ます。面と向かうと勇気が出せない人でも、フォーラムなら落ち着いて言葉を紡ぎだせるかもしれません。


 マノンはずっと身近にいたのに同じ志を持つと知らなかった人たちと、フォーラムを通じて出会えたと言っていました。


 フォーラム・バージョン3は話し合いや他者の考えを知ることが出来る最良の場だと、私たちは考えています」


 上手く言えなかったけれど、精一杯の思いを口に出すことはできた。侯爵夫人は、しばらく私を真っ直ぐに見つめた後、表情を緩めた。


「私は、子供たちに魔道具を使わせることに賛成します」


 学園長に顔を向けて続ける。


「ただし、無制限という事には反対です。定期的に、社会規範から外れたような内容や、危険を伴う行動を推奨するような投稿の有無を確認する、その程度は大人がすべきでしょう。でもそれは、自由な発言を委縮させるものであってはいけない」


 学園長は緊張した顔でうなずいた。侯爵夫人は保護者たちに向かう。


「これが守られるなら、私は子供たちにこの魔道具――フォーラム・バージョン3を使わせたいと考えますが、皆さまいかがですか?」


 保護者たちが一斉にうなずいた。ほっと胸をなでおろしたところで、侯爵夫人が私に目を向けた。


「私なりに、困窮者に対して行っている取り組みがあります。私もそれを子供たち伝えたいわ。保護者も投稿していいのかしら?」


 ハロルドとナカムラに視線を投げると、二人とも力強く頷いてくれた。


「はい、ぜひよろしくお願いします」


 その後は流れが変わり、保護者たちも興味深げにフォーラム・バージョン3を取り囲んで投稿や賛同を始めた。マノンの投稿に、アドバイスを投稿してくれる人もいる。


 学校外にも設置したいと言ってくれる人もいたけど、現状では本体と端末の距離が離れすぎると通信が出来ない。そのことについて、主任教授とハロルドが激論を交わし始めてしまった。


 写真を撮ってデータにする、という事は特保護者たちの興味を引いたようで、お互いにカメラで撮影し合い、楽しんでいる姿が見られた。


 保護者会は和やかに終わりそうだ。


 フォーラムに投稿したい、という侯爵夫人にナカムラが使い方を教えようとすると『あの子に教わりたいわ』と私が指名されてしまった。私は緊張しながら、操作のお手伝いをし、その周りを、ナカムラがうろうろと心配そうに歩き回る。


「ヴィクトー、煩わしいから、どこかに行きなさい」


 ぴしゃりと言われたナカムラが渋々離れると、侯爵夫人は私をじっと見た。そして少し微笑むと、投稿しながら行っている取り組みについて教えてくれた。


 各地に領地を持っているだけあって、取り組みの種類は豊富だった。


「写真が無いのが残念ね。今度、ヴィクトーと一緒にカメラ⋯⋯だったわよね? あの魔道具を持って、撮影に来るといいわ」


 後でマノンに伝えようと、投稿には書ききれていない内容も詳しく教えてもらう。熱心に質問していたら、突然侯爵夫人がぴたりと口を閉ざした。


 侯爵夫人の視線の先には、いつの間にか私のすぐ後ろに戻ってきていたヴィクトーがいる。


「これ以上の内容は、今度うちでお話するわ。ジュリアの事もお詫び出来ていないし、今度こそ招待を受けてくれるでしょう?」


(私がジュリアに土だらけにされた子だって知ってたの!)


 初めて会ったようなそぶりだったから、私の事なんて記憶にないと思っていた。さすがに、この状況では断れない。


「はい、喜んで」


 絶対にマノンにも一緒に来てもらおうと思う。

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