ヴィクトー、ゴリマッチョになるの?
数週間経ち、本当にレオナードの家から、私の家に婚約の申し出があった。
お気に入りのレオナードが相手だったので、両親が領地からすっ飛んで来た。父が今にも承諾の返事を出しそうな勢いで私から事情を聴き、母と妹は目を輝かせて、根掘り葉掘り詳細を聞こうとする。
レオナードが家に本を届けてくれるくらい仲が良い事は知っていたけれど、魔獣とミミズの話をする娘に、まさか婚約を申し入れるとは思わなかったらしい。レオナードの相手の好きなものを尊重する姿勢に、父はいたく感動している。
「どうして、こんないい話なのに迷うんだ」
両親は私を説得し始めた。
「きっと、レオナードと結婚したら、家でポグーを飼ってくれるんじゃない? お姉さまにはぴったりだと思うわ!」
妹も大賛成という空気になり、あっと言う間に外堀が埋まってしまった。ポグーの事は私の心を少しだけ動かした。
舞踏会の練習をしていた時の、おどおどした印象が強かったので、そういう目で見たことがなかったけど、レオナードは長身で顔も整っている。誠実で優しい人柄で頭も良い。生き物が好きという共通点もある。家柄も釣り合いが取れている。実は結婚相手として申し分ない人だった。
(何で、すぐに婚約するって決められないんだろう)
なぜか、この事を考えようとするとヴィクトーの顔が浮かんでしまう。不貞腐れた顔、私に悪戯を仕掛けるときの顔、バカ話をして笑い転げる顔、サンドイッチの感想を真剣に聞く顔。思えばこの1年のイリスの大事な思い出には、全てヴィクトーがいる。
誰もいない教室で踊ったダンス、月明かりの中で見たウリオン、毎日くだらない話をした中庭、フォーラム作りに熱中した毎日。
お昼休み、サンドイッチに手を付けず、ぼんやりする私をヴィクトーが心配してくれる。
「今日は、お前の好きなハムなんだけど、気分と違った?」
「そんなことないよ、ありがとう」
「⋯⋯具合悪いのか? 保健の先生のところに行くか?」
もしレオナードの求婚を受け入れたら、このお昼休みは終わりにしなければならない。レオナード以外の男性と二人になることは可能な限り避けるべきだ。
(ヴィクトーと、こうやって話をすることが出来なくなる)
嫌だ。絶対に嫌だ。
(私はヴィクトーと一緒にいたい。ヴィクトーの見た目でも、前の世界のゴリマッチョのナカムラの見た目でもいい。――きっと私は、この人が好きだ)
『好き』と『恋』と『憧れ』の区別は今でも良く分からない。でもレオナードよりも、今ここにいるこの人と一緒にいたいと思った。
ヴィクトーの家柄を考えると、もし私の好きを受け入れてもらえたとしても、結婚できるかどうか分からない。いずれ離れる道が待っているかもしれない。
それでも、一緒にいられる限り離れたくない。私は勇気をだしてヴィクトーをまっすぐに見る。
「私、ヴィクトーとずっと一緒にいたい。駄目かな?」
少しだけ驚いたような顔をした後、すぐにヴィクトーは嫌そうな顔をした。眉をしかめて、本当に嫌だと思う時にする顔。
「えー、さすがに無理だよ。何考えてんだよ」
恥ずかしさで消えてしまいたくなる。涙も出てきてしまった。私はそのまま走って逃げた。具合が悪いと言って、午後の授業もサボって、家に帰って部屋に閉じこもった。
◇
初めてミミズ当番をすっぽかした。
数日間、具合が悪いと言い張って部屋に閉じこもり、何とか外に出られるくらいまで気持ちの整理をつけた。ヴィクトーのことは忘れて、レオナードの求婚を受け入れることに決めた。
つまりそれは、ハセコとお別れすることだ。
2年生になるタイミングで、フォーラムの世話も抜けさせてもらおうと思う。予算があるのでミミズを購入することも出来る。ミミズ捕り以外で大した戦力になっていない私が抜けても、みんなの負担が増えることはないだろう。
先にみんなに報告をしてから、正式にレオナードに返事をしようと思って、学園に向かった。お昼休みを過ごしたくないので午後からの通学にした。教室に入るなり、レオナードが私の体調を心配してくれる。ヴィクトーとハロルド、マノンは心配そうに私を見るけれど、レオナードがべったり張り付いているので、話しかけにくそうだ。
気が散って、授業の内容は全く頭に入らない。
そのまま放課後を迎えてフォーラムの部屋に入った。そこには、新しい回路の組み込みを試すハロルドと、投稿内容を確認するマノンとヴィクトーがいる。見慣れた大好きな光景。
「イリス! もう体調は良くなったの? 教室では元気が無いように見えたけど」
マノンが心配そうに声を掛けてくれる。ハロルドとヴィクトーの心配そうな眼差しも優しい。
「ありがとう。もう大丈夫。ヴィクトー、ミミズ当番ごめんなさい」
「うん、お前がミミズ休むくらいだから、かなり体調悪かったんだろ。気にするなよ」
私は黙って頭を下げた。3人ともまだ心配そうな顔をしている。
「えっと、今日は報告とお願いがあって」
緊張する。私は上着の裾を握り締めた。
「2年生になる時に、フォーラムの担当を抜けさせてもらえないかな」
3人が驚いたように動きを止めた。
「どうして?」
ハロルドが落ち着いた声で聞いてくれる。
「えっと、婚約することになって、その人には前の世界の話はしていないから、もうその事は忘れようかな、と思って」
「婚約⋯⋯? 誰と?」
ヴィクトーがひどく乾いた声を出した。
「レオナード」
3人が険しい顔をした。特にヴィクトーは、苦しそうにも見えるほどだ。
「どうして急に⋯⋯何で?」
『何で?』ナカムラだけには聞かれたくないことだ。
私はこの前の消えたくなるような恥ずかしさを思い出した。やっと、折り合いをつけた悲しくて仕方なかった気持ちが、またあふれ出てくる。
「何でって、ナ、ナカムラが私のことフッたからじゃん! レオナードの申し出を断る理由なくなっちゃったんだもん!」
思わずナカムラと呼んでしまった。その呼び方はもう止めようと思ったのに。みっともなくて恥ずかしい私。涙が出そうだ。
「フッたって⋯⋯」
マノンとハロルドが、驚いたようにヴィクトーを見ている。ヴィクトーも驚いたように私を見ている。
「フッた? 俺がハセコを? 何で、いつ? 何の話?」
「だって、ずっと一緒にいたい、って言ったら『無理、何考えてんだよ』って言ったじゃん。忘れちゃったの?」
涙でぼやける視界の向こうで、ヴィクトーが記憶を探るように斜め下を向いた。そして、急に顔を上げてこちらを見る。
「お前、この前の! あれ、具合悪くて保健の先生のとこに行く話じゃなかったの? 男女別だから、俺は入れないだろうって思って⋯⋯」
マノンが呆れたような顔をして立ち上がり、私を優しくハグしてくれた。
「もどかしさも、ここまで来ると笑ってしまうわ」
ハロルドも立ち上がって、フォーラムの本体と充電池に何かをした。
「俺もハイスクールの時には、こんな感じだったのかもしれないな。思い出したら恥ずかしくて立ち直れない。マノン、行こう」
二人で部屋を出て行く。
「あ、監視カメラは切っておいたから」
ハロルドが爽やかに笑って部屋の扉を閉める。
ヴィクトーは脱力したように床の上に大の字になって転がった。
「ほんっとに、上手くいかねーな」
深くため息をついた後、寝っ転がったまま私の顔を見上げて、おかしそうに笑った。
「俺さ、ハセコのこと、ずっと好きだったんだよ。全然気づかなかった?」
(え? ヴィクトーが私を?)
「ずっと、っていつから? 舞踏会とかその辺? ウリオン見たとき?」
「違うよ、もっとずっとずっと前。小学校の時から」
(小学校? ナカムラの時から?)
「ーー分からなかった。だって、小学校も、中学の時も高校の時も、一度もそんな態度取らなかったじゃん。ずっと友達だったじゃん」
特別にナカムラと仲が良かった記憶はない。会えば話すし、もちろん嫌いではなかった。でも、まさか私の事を好きだなんて、一度も考えた事なかった。
「だってハセコは、いっつも浅見先輩みたいな、みんなが憧れるイケメン追いかけてたじゃん。見てて分かりやすかった。俺は絶対に好みじゃないって分かってて、言えるわけないよ」
ヴィクトーが言う通りだ。私は小学生の時から、ずっと憧れと恋の区別がつかないような子供だった。ナカムラのような現実の男の子を恋愛対象として見れていなかった。
「ごめん」
「謝るなよ。別に悪い事してないだろ」
わざとではないけど、きっとたくさん傷つけたと思う。
「だから、あの日。神社でお前のお願い聞いた時『こんなにずっと好きなのに、俺の事好きになってくれないなんて。こんな世界滅びてしまえ』って思った」
ほら、やっぱり傷つけていた。
「そしたらさ、お前が好きそうな王子様みたいな外見で、金持ちで将来性もある男に生まれ変わってさ、お前まで生まれ変わって、一緒にいられるようになって。ここはもう、ゲームかマンガみたいに、完全に俺中心の世界じゃん」
ヴィクトーが私を好きだということが今一つピンと来ないけど、言われてみれば、ヴィクトーに都合良い世界かもしれない。
「これなら楽勝だなって思ったのにさ、結局何も変わらないんだよ。ハセコは相変わらず、憧れのイケメン追いかけてて、俺の気持ちは上手く伝えられないし。
挙句の果てに、急に登場した奴と婚約するって何なんだよ。こっちの世界まで滅ぼしちゃいそうだよ」
ヴィクトーがナカムラ時代から私の事を好きというのが、どうしても実感できない。
「何で私のこと好きなの?」
「何でって言われても分かんねーよ。いつの間にか好きだったんだよ」
呆れたように言った後、ヴィクトーは何かを言おうとして口を開き、また閉じる。次第に顔も耳も真っ赤になってきた。
「だ、だいたいお前こそさ、俺にフラれたって言うってことはさ。えっと、あの、俺の事⋯⋯好きってこと? それは何でか言えるのかよ」
真っ赤なのに、すごく心配そうな不安そうな顔をしている。その顔を見て、私の心がヴィクトーへの好きでいっぱいになる。
(この好きを、言葉に)
考え込む私を見て、ヴィクトーの顔がますます不安そうになる。
「――分からない。ヴィクトーが、ナカムラだから、なのかな。もう、ヴィクトーなのかナカムラなのか良く分からないけど、あなたと一緒にいたい、って思ったの。これって好きってことでしょ?」
私の好きが上手く伝えられない。ヴィクトーにも伝わらないだろう、そう思ったのにヴィクトーはごろんとうつ伏せになって、両腕を重ねてその上に顔を伏せてしまった。
「何よ、照れてるの? 怒ってるの? 顔見えないと分かんないじゃん」
しゃがんで背中を両手でゆすると、何かぼそぼそと言う声が聞こえた。
「聞こえない。何て言ったの?」
「一緒にいたいって、もう1回言って。好きって、もう1回聞きたい」
(な!)
改めて言われると恥ずかしい。
「やだ、恥ずかしい。二度と言わない」
ヴィクトーが、がばっと起き上がって両手を顔の前で合わせる。
「もう1回だけ、お願いします」
その可愛い仕草に、私の心にまた好きがあふれる。
「⋯⋯あなたのことが大好きだから、ずっと一緒にいたいです」
ヴィクトーがまた真っ赤になって、体育座りのヒザに顔を伏せてしまった。
「ありがとう。小学生の俺も、中学生の俺も、高校生の俺も、みんな救われた」
そのまましばらく、ふたりとも物思いにふける。
物音がしたような気がして、ポグーの方を見ると土の表面が動いていた。私のポグちゃんは、今日も元気に暮らしているようだ。
「俺の家から正式に婚約を申し入れたら受けてくれる? レオナードの申し出を断ってくれるか?」
私は少しだけ意地悪な気持ちになった。だって、私はヴィクトーにフラれたと思ってあんなに悲しい思いをしたのに、なんかずるい。
「それは分からないな」
「え!」
「だって、イリスの父が反対しそうだよ。父はレオナードのことがとっても気に入ってるんだもん」
「そうなの?」
ヴィクトーがうつむいて考え込んだ。少し意地悪をし過ぎたかもしれない。
「じゃあさ、反対されたら駆け落ちしようよ」
「え? 駆け落ちってどこにだよ?」
「ハロルドのシリコンバレーとか、いいじゃん」
「お前、自分んとこの領地に駆け落ちする馬鹿がどこにいるんだよ」
少し困った顔で笑う姿は、金髪碧眼の完璧な王子様なんだけど、私にはゴリマッチョのナカムラにも見える。ゴリマッチョといえば。
「さっき、背中さわった時に、意外とゴツイなと思ったんだけど筋トレしてるの?」
「少しだけね。もう習慣でさ、やらないと落ち着かないんだよ」
私は、ひざを抱えて体育座りするヴィクトーの横に並んで体育座りをした。くっついた腕から、ヴィクトーの体温が伝わってきて心が落ち着く。
ヴィクトーがゴリマッチョになるかもしれないけど、それも悪くない。
「あのさ」
ヴィクトーがこっちを向いて言う。
「俺も、お前がイリスでもハセコでも大好きだ。ずっと一緒にいたい」
「えへへ」
私はちょっと恥ずかしくなって、つま先を眺めた。ヴィクトーにくっつけている方の腕を伸ばして、手のひらを上に向けた。ヴィクトーは少しためらうような間をおいてから、自分も腕を伸ばして私の手をきゅっと握ってくれた。
(あったかい)
私は隣を見上げる。ヴィクトーと私の視線が合わさって、そこからまた温かさが広がる。私たちは大好きでいっぱいだ。
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