侯爵家にお呼ばれしたぞ

 ナカムラは約束を守って、私とハロルド、マノンを家に招待してくれた。


 この国の貴族は、領地と王都の両方に屋敷を構えることが多い。学校には寮がないので、学齢期の子供たちのほとんどは、王都の屋敷で使用人と暮らす。


 とはいえ、両親たちは社交や王宮での用を足すために、それなりに王都に来るので子供と交流が無いわけではない。


 私たち4人も例外にもれず両親は領地に住み、子供たちが家令や使用人と王都の屋敷で暮らすパターンだ。今日は侯爵家のご両親は不在だと聞いていた。だから、ナカムラの招待に気軽に応じて出かけたのだが、着くなり腰が抜けそうになった。


 ヴィクトーの母の侯爵夫人がいらっしゃったのだ。


 私は慌ててイリスモードに切り替えて、令嬢らしいお辞儀と挨拶をした。ハロルドとマノンも、同じくモードを切り替えて貴族の子弟らしい挨拶をする。


「ヴィクトーが友人を招くなんて初めてのことだから、気になって領地から飛んで来てしまったの。お邪魔してごめんなさいね」


 ヴィクトーの母らしい美しくて優雅なお母さまだ。


 侯爵家は、貴族社会の中では天井に近いところにいる。私の家は貴族と言っても末端に近い男爵家なので、侯爵夫人なんて雲の上の存在だ。


 イリスの母から聞いたことがある。上級貴族の奥さまがたは、領地や王都でサロンを開くのだそうだ。詩人や音楽家を招き、お茶やお菓子を囲んで話に花を咲かせるらしい。母は結婚前の伯爵令嬢時代に、何度か出席したことがあるらしい。


「もう二度と行きたくないわ」


 優雅な世界を拒む母の事を、イリスも妹も初めは理解できなかった。


「マナーにはうるさいし、少しでもおかしな振る舞いをしたら、すぐ噂になってしまうのよ。着る物だって毎回流行のものが必要だし。そんな高価な服を着て、気を遣って頂くお茶が美味しいはずないでしょう?」


 うちの家風には合わない。父と母が気取らない人柄なので、家族全員、肩ひじ張った場が苦手だ。私と妹は上流貴族の世界に恐れおののていた。


「心配しなくても、招待頂くことはないけどね」


 家族全員で笑っていたのに。


(お母さま、私、侯爵夫人のお茶会に参加しています!)


 ヴィクトーの招待とはいえ、形式的には侯爵夫人主催のお茶会となる。私は母から刷り込まれた恐怖でコチコチになった。ハロルドとマノンを見ると、同じく二人も動きがぎこちない。


 ハロルドの家は、うちと同じ男爵家。嫡男ではない気楽な立場だ。マノンは、私よりは格上の伯爵家の跡取り娘だけど、それでも侯爵家よりはかなり格下になる。普段気軽に接しているけどヴィクトーは私たちよりも、とても身分が高いのだ。


「さあ、どうぞ。お口に会うと良いのだけど」


 ティースタンドに、サンドイッチやケーキ、焼き菓子が並んでいる。恐らく美味しいのだろうけど、全然手を付ける気になれない。侯爵夫人は、緊張する私たちを面白そうに観察している。


(ナカムラめー!)


 ナカムラは、ずっと『申し訳ない』という顔をしてしょんぼりしている。


「それで、ヴィクトー。どちらのお嬢さんが想い人なの?」


 ヴィクトーがお茶をこぼす。お客の私たち3人は固まる。使用人たちが慌てて駆け寄ってくる。


「な、な、な!」


 真っ赤になる息子を見て、侯爵夫人がいたずらっ子のような顔でほほ笑んだ。


「あら、お行儀が悪いわよ」


 明らかに息子の反応を楽しんでいる。


「だって、この子ったら突然、婚約を破棄してしまったんですもの。理由を教えてくれないし、先方に失礼にならないように取り繕うの、本当に大変だったんだから」


 楽しそうな侯爵夫人とは反対に、私たちは一気に冷静になった。


(ナカムラの記憶がよみがえったから⋯⋯)


 ハロルドとマノンも多くを語らないけど、私たちはみんな、前の世界の記憶が蘇ったことで、今の生活に馴染めない所が出てきてしまった。だから、今までの友達よりも、この4人で過ごす事が多くなっている。


 一緒に過ごすのは、魔道具の課題だけが理由ではない。心の準備なく、前の生を断ち切られてしまった戸惑いを理解できるのが、この4人だけだからだ。


「私たちは魔道具の実習の仲間なのです。乗馬訓練で雷に当たるという事故にもあった仲間なので絆が出来て、とても仲良くさせて頂いています」


 ハロルドが落ち着いた顔で言ってくれた。マノンと私も上品にほほ笑んだ。


「そうなの?」


 侯爵夫人がつまらなそうな顔をした。


「でも、二人とも本当に素敵なお嬢さんね。もしヴィクトーの事が嫌いじゃなければ、ぜひお嫁に来て欲しいわ」


 ヴィクトーが、せっかく入れ直してもらったお茶をまたこぼした。


 ヴィクトーがとても行儀悪い振る舞いをしてくれたおかげで、私たちは少し気が楽になり、少しずつお茶を楽しめるようになった。


「最近のヴィクトーは雰囲気が柔らかくなって、私たちとも色々話をしてくれるようになったの。侯爵家の跡取りとして厳しく育て過ぎたかと心配していたのだけど。きっと、あなたたちのようなお友達が出来たおかげね」


 ナカムラの出現を侯爵夫人は良い変化と捉えているようだ。学校でのナカムラのことを色々聞かれて、私たちはヴィクトーの面目を潰さないように気を付けながら、面白おかしくお伝えした。


 侯爵夫人は予想していたよりも、気さくで優しい方だった。


(今度、イリスの母に報告しなきゃ)



 翌日のお昼に、ナカムラが私に焼き菓子をくれた。お詫びの気持ちとのことで、さっきハロルドとマノンにも渡して来たと言っている。


『ごめん、せっかく来てくれたのに、気をつかったよな』

『ううん、驚いたけど楽しかったよ。ヴィクトー、愛されてるね』


 前の世界の記憶が蘇って戸惑っていることの1つに、家族からの愛情もある。今までの記憶もあるから、今の家族に対する愛情がもちろんあるのだけど、家族からイリスを奪ってしまったような罪悪感もあるのだ。


『そうだな』


 困ったようなナカムラの顔を見ていると、きっと私と同じような罪悪感があるんだろうな、と思う。


『婚約破棄しちゃったの?』

『もともと――思い出す前から、形式的なものだったんだ。幼い頃から数か月に一度会って交流していたんだけど、全然気が合わなくて。最近は1年に1度会えば多いくらいだった。その上で昔を思い出しちゃったもんだから、何か耐えられなくなった』


 イリスにもしも婚約者がいたら、たぶん同じような気持ちになったと思う。何だかしんみりしてしまった。


『今日はスーパーセレブのヴィクトーさんに、ゆかいな下級貴族の生活を教えてあげるよ。イリスのお父さん男爵はジャガイモが好きでたまらないんだけどさ⋯⋯』


 笑えるエピソードなら尽きない。ナカムラもたくさん笑ってくれた。代わりにスーパーセレブ生活の話をしてくれる。


『え? 国王とお話したことあるの?』


 さすが侯爵家。イリスの家の場合、父男爵だって滅多に会う機会がないだろう。


『でもマジうけるのがさ⋯⋯』


 王宮での笑い話も聞かせてくれた。


 イリスの記憶の中のヴィクトーは、優等生の王子様という感じで近寄りがたかった。でも話してみたら案外面白い人だったのかもしれない。イリスとして、もっと話しかけてみればよかったな、と少し後悔した。

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