そこには怪しい石像が祀られているかもしれない

「森に行ってみたいんだ」


 フォーラム・バージョン2の完成で達成感を得た私たちは、少しくらい夏休みらしい事をしたくなった。そこで、ハロルドが言いにくそうに提案したのが、乗馬実習で行った森に行く事だ。


「俺たちが前の世界の記憶を取り戻した場所を、もう一度見てみたい」


 気になったことはある。でも、もう一度見に行こうとは思わなかった。


「実は、一人であの森に探しに行ってみたんだけど、記憶が曖昧で、あの洞穴にたどり着けなかった。救助してくれた先生にも聞いたんだけど、どうしてもたどり着けない」


 マノンとナカムラは二人とも、感情が読み取れない表情で、それぞれ何かを考え込んでいる。先に口を開いたのはマノンだった。


「そうね、一度見ておいてもいいかもしれない」

「――俺は、気が進まない」


 ナカムラはぽつりとつぶやいた。ハロルドは私を見る。


「イリスは?」

「気にはなるけど、行くのがちょっと怖い気もする」

「怖い? どうして?」


 自分でも良く分からない。ただ、素直に『ちょっと怖い』と感じる。


「でも行かないと、ずっと気になりそうだから私も行く」

「なら、俺も行く」


 ナカムラもしぶしぶ、といった様子で賛同した。



 ハロルドが森に行きたがった本当の理由が分かったのは、当日の待ち合わせ場所でのことだった。馬に乗って集合した私たちの元には、同じく馬に乗ったエレナさんがいたのだ。


「ごめん、言いにくくて。俺、エレナに前の世界の事を話したんだ」


 ハロルドの隣で、エレナさんが少し赤くなって俯いた。ハロルドと研究院の主任教授の孫娘のエレナさんは、魔力回路の研究を進めるうちに恋に落ちた。


 25歳のエレナさんは、自分が17歳のハロルドに惹かれている事を認めようとしなかったそうだ。でも、ハロルドが前の世界の記憶について打ち明け、精神年齢はエレナさんよりも上だと知って恋人になる覚悟を決めたと言う。


「最初は、彼が嘘をついていると思ったの。でも、彼の話はとても作り話とは思えなかった。実際にあなたたちの発想は、私たちの常識では及びもつかないものばかりだったし」


 私たちは前世の記憶の事を、秘密にする約束はしていない。私は誰にも話していない。話してもどうせ信じてもらえないと思ったし、騒がれたら面倒だから。それに、他の人に打ち明けたいと思ったことがなかった。


「相談してから打ち明けるべきだったかもしれない。でも⋯⋯ごめん」


 気まずそうにするハロルドを責める気は無い。二人は本当にお似合いだから、これでいいと思う。


「ハロルドが信頼した人なら、私は文句ないわ」


 マノンの言葉に、私もナカムラも頷いた。


「ありがとう。俺のこの世界での原点を、エレナと一緒に確認したかったんだ」


 ハロルドが照れくさそうにエレナさんに笑いかける。エレナさんも嬉しそうに笑っている。



 夏の森は、天気が変わりやすい。晴れていたはずなのに日が陰り薄暗くなってきた。生い茂った葉のせいでよく見えないが、雨雲が出てきているのだろう。


(雨が降らないといいな)


 何より、あの時のように雷に遭うことが怖い。でも、せっかくここまで来たのだ。洞穴を見つけずに帰るのは悔しい。


「この辺りのはずなんだけど。馬をつないだのは、かなり大きな木だったよね」


 先生に書いてもらった地図を何度も確認して、ハロルドがうろうろと馬を走らせる。するとナカムラが大木を指した。


「あれじゃないか?」


 私も見覚えがある。近づいてみると、やはりあの時の木のように思える。私たちはあの時と同じように木に馬をつないだ。すぐになだらかな崖と、斜面に口を開く洞穴が見つかった。


「今回は準備してきたよ」


 ハロルドが得意げに、人数分の魔道具の灯りを取り出した。エレナさんと作ってきたらしい。


「酸素があることも、危険なガスが無いことも前回分かっている。だから煙が出てしまう松明よりも、こっちの方がいいと思ったんだ」


 さすがだ。私は受け取った魔道具に魔力を込めて光らせて、洞穴に入るハロルドの後を追った。


 あの時は広いと思った洞穴も、明かりを照らすと、それほどでもなかった。あの時は奥の窪みに落ちたはず。私たちは洞穴の奥へと進んだ。


 外からは雨音が聞こえ始めた。


「ここだわ」


 マノンが奥に広がる窪みに向けて、上から手をめいっぱい伸ばして全体を照らそうとする。私もマノンの光が届かないところを照らした。同じようにみんなで照らすと、端の方に降りられそうな傾斜が見つかった。


 順番に、慎重に降りる。最初に、外の木に結び付けたロープの束を、ハロルドがほどきながら降りた。マノン、エレナさん、私と続き、最後に予備だという別の木に結んだロープを、ナカムラがほどきながら降りた。ロープには一定間隔で結び目も付けられている。登る時に滑りにくくなるからだという。ハロルドの準備の良さには脱帽する。


 降りた先には、記憶通り枯れ葉が積もっていた。あの時、ごろごろと石が転がっていると思ったものは、サッカーボールほどの大きな木の実だった。マノンによると、大きいどんぐりみたいなもので、珍しいものではないらしい。


 何となく、怪しい石像でも並んでいて未知の神々でも祀ってあるんじゃないか、と疑っていた私は胸をなでおろした。私が怖いと思った原因は、きっとこれだ。


 みんなにそう言うと、ハロルドとマノンが大爆笑した。エレナさんも遠慮がちに笑っている。


「俺の人生が最高なものに変わった大事な場所を、勝手に怪しい場所にしないでほしいな」

「人生が最高なものに変わった場所?」

「俺がITエンジニアだった話はしただろう? 友達と起業のアイデアを思いついて、勢いでシリコンバレーに行ったんだ。でも、俺たちが考えるようなアイデアをもった奴はゴロゴロいて、俺たちの会社は鳴かず飛ばずだった。


 あそこは、家賃も生活費も異常に高いんだ。出資者の期待に応えられず、新たな出資者も見つからない。生活が続けられなくなった俺たちは、会社をたたんで地元に戻ろうとしていた。ITエンジニアとしての最後の記憶は『俺たちの挑戦は終わった』という絶望感だ」


 大成功している起業家だと思っていた。


「それがさ、気が付いたら若返った上に、向こうの世界の知識使って、この国有数の学者に認められる存在になれたんだ。おまけに、素晴らしい恋人まで出来た。


 これからまだ、多くの事にチャレンジできるんだよ。最高の人生に変わったと思わないか?」


 素晴らしい恋人、のところでエレナさんが赤くなる。


 マノンは、最高の人生に変わった、のとことで大きく頷いていた。


 私は前から気になっていたことを聞いてみる。


「二人は記憶が戻ってすぐに、ハロルドとマノンの人生を受け入れられたの?」


 優しい顔でハロルドが言う。


「日本から来ていた同僚がよく言ってたサムライの言葉があるんだ。


 変える事が出来るものを変える勇気を持ち、変えられないものを受け入れる冷静さを持ち、その二つを区別する知恵を持て、だったかな。


 ハロルドになった事は冷静に受け入れるべきことだ。でも、ハロルドの人生を変えることは勇気を持って出来ることだ。俺はそう思って生きている」


 変えられるものと、変えられないもの。私はハロルドのように、イリスの人生を変えられるのだろうか。勇気を持てるだろうか。


 マノンが不思議そうに言った。


「私も同じことを聞いたことがある。アメリカの神学者の言葉だったかしら」


 そして、少し険しい顔をする。


「私はハロルドと違ってすぐには受け入れられなかった。恵まれた人生を送って、目標もなく生きているマノンに嫌悪感を覚えたのよ。でも街に行って、人の役に立とうとしているジュールに会って、恵まれた境遇の私だから出来ることあると思うようになってからは、マノンの人生が好きになったの。


 私も前の世界では上手く行っていたとは言えない。行き詰って、苦しくて逃げ出したかったの。ここで、最高のチャンスを手に入れたと思ってる」


 マノンの言葉を聞いて、ナカムラが笑い出した。今日は朝から憂鬱そうだったのに急にどうしたのだろう。


「俺、実はずっとみんなに悪かったな、って思ってたんだ。今の話を聞いて、スッキリした」

「え、悪いって何で?」


 ナカムラは私の顔をみて、少し困ったような表情を浮かべた。


「俺、前の世界での最後の日『世界なんて滅びてしまえ』って願ったんだ。ものすごく嫌なことがあったから。そのせいで、みんなを巻き込んで悪かったなって思ってた」


 ハロルドが呆れたように天を仰いだ。


「お前の願いで、世界が滅びたって言いたいのか?」

「世界があなたを中心に回ってるとでも? 若いって怖いわね」


 マノンも呆れている。私も呆れた。


「だって、俺んちの神社、願いが叶うパワースポットって有名だったし」

「ばっかじゃないの。いくらパワースポットって言われてたって、あんな横浜の隅っこのちっさい神社に、世界を滅ぼせるような力があるわけないじゃん」

「そうかな」


 ナカムラが恥ずかしそうな顔をして赤くなった。ヴィクトーの顔で赤くなる姿はとても可愛く、中身がナカムラだと知らなかったら、危うくときめいてしまいそうだった。いや、知っていても、少しときめいてしまった。


 外で雷が鳴る音が聞こえてきた。私は急に『怖い』と感じた。これは最初に森に行こうと誘われた時に感じた怖さだと思う。怪しい石像疑惑が怖さの原因ではなかったのか。


(もし、いま雷が落ちたら、どうなる?)


 ようやく理解する。私はまた雷に当たることで、ハセコの世界に戻ったり、逆にハセコの記憶を失ってただのイリスに戻ることを怖いと感じている。


 ハセコを思い出してからイリスとして過ごしたこの数か月。みんなで魔道具を作り、ナカムラと馬鹿話をしたこの数か月。絶対に忘れたくない。


 ハセコを全て忘れて、ただのイリスに戻ったら。友達と剣術部でアレン先輩に憧れるだけの日々。そこではポグちゃんを世話する事もないし、ハロルドとマノンは今とは別人だ。ナカムラとくだらない事を話す昼休みもない。


 外では、雷の音がひどくなっている。


 私はハロルドやマノンのように、イリスの人生を完全に受け入れられているか分からない。それでも、今の生活が好きになってきているのは確かだ。


(雷が落ちませんように)


 私の願いが通じたのか、しばらくすると雷も雨も止み、帰る頃には森に明るさも戻っていた。

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