31.追う男、追われる男
ここはとある宿泊施設。歓楽街の通りから一本細い道を抜けた、あまり目立たない立地の建物であったが、外観は絢爛豪華に着飾っていて、まるでお城のようであった。
「守秘義務があるかならねぇ、教えられないよ」
暗幕を隔てて聞こえてくるのは、かすれた老婆の声。わずかな隙間からは、よぼよぼな手が覗いていた。
「……」
しかし、フードを被った男が受付カウンターに金貨を置くと、ものすごい速さでそれを暗幕の後ろに引っ込めた。
(下賤だな)
「うっひっひ……まあ、昨夜は宿でケンカがあってねぇ、ソイツら全員、憲兵に捕まえてもらったんだよ。その中の男が、あんたのいう特徴と同じさね」
全く守秘義務もあってないようなものである。受付の老婆は、金貨一枚でべらべらと昨夜のことを話し始めた。
「ああ、あと、でっかいメイドも一緒さ」
(でかいメイド……? まさか、ナツのことか?)
男は、老婆の言うメイドに心当たりがあった。ランジェが幽閉されたと聞いて、彼女が家を飛び出したことを知っている。
「……邪魔したな」
そういうと男は踵を返し、ホテルの外にでた。
「あいつめ……」
彼は好んで、こんな花街に足を踏み入れていない。『彼』の行方を探していたところ、ここに着いてしまったのだ。
(命を狙われているというのに、こんな場所で余暇を楽しんでいるとは……。返答次第では、叩き切ってやる)
彼の手には、ナイフが握られていた。そのナイフの鞘や柄には細かな細工が施され、そして中央には、ヴァリヤーズの紋章が彫られていた。
彼が、この街に到着してすぐ、露天に並んでいたのを見つけたのだ。
(この街に来て盗まれたか、金を工面するため売ったか)
露天商を問い詰めたのだが、その男も別の人間から買い取ったとのこと。しかし、その買い取りをした人物のことを聞いてみたが、探している男ではなかった。
彼は、男の幽閉先を知っていた。もともとはその幽閉先を訪ねる予定であったが、しかし、ナイフの所在理由が気になり、この街──『城塞都市ランニーフ』で手がかりを探し回っていた。
そしてとうとう彼は、男に似た人物を見たとの情報を得たのだった。
(全く、手が焼ける)
彼は、大きくため息をついた。しかし悪態をつこうにも、その本人はいない。
彼は諦めて、憲兵の詰め所に向かった。
***
詰め所では話を聞こうとするも、何かバタバタと忙しない。
(なんだ? 何があった?)
明らかに異常事態であることは明確だった。彼はちょうど目の前を通り過ぎようとしていた、若い憲兵に聞いてみた。
「おい、どうした。まともに受付すらできんのか?」
「あー、道案内か!? 落とし物か!? そんな些細な事、現状は対応不可能だ!」
「人探しだ。昨夜、捕まった男女を引き取りに来た」
すると、憲兵の顔色がみるみる青ざめていく。彼はその変化を見逃さなかった。
「その男に、何かあったな」
「ひっ!」
凄みを効かせた男の問いかけに、若い憲兵は怖気づいた。が、彼も憲兵。そう簡単に口を割らない。
「しゅ、守秘義務がある!」
「……これでどうだ」
フードの男は、金貨を一枚取り出し、憲兵の懐に押し込んだ。
「昨夜捕まえた冒険者パーティーが行方不明なんだ。憲兵が連れて行ったとの目撃情報もある」
「口が軽すぎやしないか」
「憲兵の安月給なんかじゃ、やってられねぇよ。女冒険者3名と、結構顔が整った男。合計4名だ。そいつらを攫った憲兵も、大方小遣い稼ぎで『売った』んじゃないかと」
さっきの『守秘義務』云々はどこへやら。昨夜のことをボロボロとしゃべってしまっていた。
「……そうか。邪魔したな」
詰所の騒動はそれが原因か。おそらく、行先もわかっていないのだろう。
彼はこれ以上、ここで情報は得られないとふみ、詰め所を後にした。
「……まったく、嫌な予感しかしない」
やっと見つけたと思った矢先、さらに面倒ごとに巻き込まれているとは。
一瞬、
たらい回しにされた疲労感によるものか、すべてが金で解決できてしまったこの現状を憂慮してか。
「……違う」
彼は、顔をあげ周囲を見渡した。
揺れているのは自分ではない。
「地震だ」
しかし街行く人の殆どは、揺れに気づいていない。
ごく一部の過敏な人から、『あれ? 揺れた?』といった言葉が聞こえてきた程度だった。
(気のせい、いや、違う。確かに揺れ……っ! なんだ、あれはっ!)
キョロキョロと周囲を見た際に、否応なしに彼の目に、異質なものが飛び込んできた。
城壁の脇から見える小高い山の山肌が、見たこともないような色彩で鮮やかに染まっていたのだ。
「あれは、花か?」
四季折々の花々、といえば聞こえは良いが、それは、明らかに異常事態だった。季節感を全く無視し、ありとあらゆる花が、所狭しと開花していたからだ。
その景色に気づいた街行く人たちも、慌てていた憲兵たちも、一旦歩みを止め、それを指さしてしまうほどであった。
すると今度は、その花々が急に色を変え、一気に茶色くなっていった。一度にすべての木々が枯れたのだ。
「あそこは確か、ブランチーの生息域だな」
ブランチーが開花し枯れることなど、少なくとも男は知らなかった。ブランチーは生命力が高く、地下に広く根を張り、枯れることなど無いと聞いていたからだ。
不吉な予感が彼の思考をよぎる。そして、それは良くない方向で当たった。
その刹那、変色した山肌が崩壊したのだ。そしてワンテンポ遅れ、『どぉぉぉぉぉっ!』という轟音が響くとともに、今度は明らかに体感できる、激しい揺れが街を襲った。
「うわっ!」
「きゃああっ!」
幸い、揺れは一瞬で収まったため、大事には至らなかった。一部の建物は壁が崩れ、石畳の道路にヒビが走った程度で収まりそうである。
だが、突然の揺れで建物の中から人が飛び出したり、物が落下していたりと、街中で混乱が見られた。あまり地震には耐性がない住民であったことも災いした。
「……特に手がかりはない。直感を信じるか」
周囲では、パニックを起こした人たちが大騒ぎを起こしていた。もともと混乱の最中にあった詰め所も、さらに狼狽え、憲兵詰め所として機能が失われつつあった。
「馬を借りるぞ!」
すると彼は、混乱に乗じて、詰め所に停めてあった馬を勝手に拝借した。
「崖崩れが起こった方向に、アイツがいる」
特に理由のない、そんな直感だけを頼りに。
彼は慣れた手つきで馬を駆り、崖崩れが起こった現場へいち早く向かったのだった。
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