第2章 世界樹 編
42.領主の勤め
『拝啓 ランジェ様。
いまこの手紙を読んでいる貴方様は、いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
えーと、なんか、何を書いていいか分かりません。そして、なんか書いてて恥ずかしいですね。
文章って、難しいです。まだ基礎呪文の暗唱のほうが簡単に思えます。
今もまだ、主人とメイドという関係は続いていますので、とりあえずこういう書き方になってしまいますが、なんとも書きづらいです。
それでも、私の思いを、ちゃんと形に残しておかないといけないと思ったので、書き続けます。
拙い文章を、お許しください …… 』
………………
所々に岩がむき出しで、車輪は緩んだ赤土を巻き上げる。お世辞にも舗装されたとは言い難い道を、馬車は進んでいた。しかし、ガタガタと揺れる車体に反して、乗っている馬車内の振動は少ない。
それは何故か。原理は簡単だ。風の術でわずかに浮いているためである。そのため車内の居心地は、悪路でも揺れが抑制され、通常の荷馬車と雲泥の差である。人がゆっくり座れるスペースも十分確保されて、折りたたみのテーブルすら準備されている徹底ぶり。
さすが、ヴァリヤーズ家所有の最高級馬車である。
……お陰で、移動中も雑務に集中ができるというものだ。
「よし、終わり……っと」
A4サイズに切り出された、水晶製の板をタップしながら、最後の書類にサインをした。さながら、転生前まで使っていたタブレット端末の如く。
こちらの
この技術を見聞きしたときに、俺は『ビビビッ』とひらめいた。そしてそれは予測どおりとなる。
通常の映像送信に使う以上の魔力を注ぐことで、映し出した先の魔道具を作動させることができたのだ。
動かせるものはごく簡単な魔道具に限られたが、俺は『極楽鳥の羽ペン』を自在に操作させ、遠隔で書類に直筆サインをすることに成功した。
また羽根の部分を改良し、書類の積み方を工夫することで、ページ送りを行うこともできた。
この技術革新は、自分の事務作業に革命をもたらした。仕事の効率が段違いに上がったし、どこでも事務作業が可能となった。
その結果、今回こうやって、仕事が溜まっていても遠方へ出張が可能となったわけで……。
「って、
つい大きな声が出てしまった。つまりは年がら年中、仕事から離れることができなくなってしまったのだ。
「え、と、お疲れ様です……? むかし? とは?」
向かいに座るメイド……トモエさんが、労いの言葉をかけてくれた。
「なんでもないよ」
瞬時に冷静さを取り戻し、いつもの口調でタブレット水晶をトモエさんに渡す。そして彼女は、割れないように丈夫な木枠に嵌め込み、布で包み、トランクケースにしまい込んでくれた。
「ですがランジェ様。この発明のお陰で、このような遠方視察も可能になったわけですから」
「否定はしないし、重々承知さ。ちょっと思うことがあってね……さてと、おーい、トッシュ。いまどの辺だ?」
半分、ごまかしな意味も含めて、馬車の運転手である『トッシュ』に声をかけた。馬車の上部にはマイクのような設備があり、俺の声はトッシュの耳元に届くようになっている。
『今しがた、村に入りました』
そのマイクから帰ってきたのは、男性の野太い声。トッシュの体つきに寸分違わない低い声だった。
「ありがとう、外を見ても大丈夫かい?」
『はい、問題ございません』
今回の運転手は、周囲への警戒も兼ねている。そのために、トッシュが適任と思い同行をお願いしていた。
俺は、馬車の上部に備え付けられた小さな採光窓から、外を覗き込んだ。
「……結構、荒れてるな」
目的の村は、標高が高く、土地はかなり荒れていた。また山肌を走る北風は、強烈な寒波を一緒に運び、季節外れの雪がわずかにちらついていた。
畑のような、区画整備された土地が見えてきたが、作物は無かった。いや、生産できないのだ。
この土地は荒れ果てていて、それこそ、雑草すら生えないレベルだ。
「ひどい荒れ様……深刻ですわね」
トモエさんも、同じ窓から外を眺め、そして、すぐ席に戻った。
馬車の中も少し冷え始めてきており。トモエさんは既に、膝掛けで暖をとっていた。
「そうだな……。だからこそ、俺達の助けが必要ってこと、なんだろうな」
「はい、そうでございますランジェ様」
秘書としてついてきてもらったトモエさんに預けていた、もう一方のトランクケースに俺は目を向けた。
そのケースの中には、俺謹製、品種改良した作物の種子が大量に詰められていた。特に、寒さに強く、荒れ地でも根を張るものを厳選している。
この、寒さにも荒れ地にも強い作物は、この村の救世主になるであろう。
「しかしランジェ様、お気をつけください。こちらは既に『隣領』──リンドーダ領土でございます」
「わかってるよ、トモエさん」
ここは既に、俺たちのヴァリヤーズ領土ではない。ヴァリヤーズの北方に位置する隣領『リンドーダ』領内である。
リンドーダは、北方に広大な領地を有しているが、あまりの広さ故に、人が住まうにも、作物を育てるにも向いていない土地も多く有する。そこは寒さが厳しく、さらに岩石の多い土質が特徴で、言うなればリンドーダ領の領主にも見捨てられた大地である。
そんな劣悪な土地の村──ククゥイ村という──からの救援を望む声が、隣領である
「恩義を売っておくのも、領主のつとめ、だろ?」
リンドーダ領内の問題は領内で解決すべきなのだが、見限られた土地からの訴えを、リンドーダ領主が退けた。魔王復活が囁かれ、社会が混乱し始めている昨今、滅びゆく土地にまで手を差し伸べられなかったのかもしれない。
困り果てた村は、藁にもすがる思いで、俺達ヴァリヤーズ領地に助けを求めにきた。
そう、ちょうど俺が生み出した『品種改良した作物の種』が市場に出回り始めた頃。ククゥイ村が噂を聞きつけ、「さらに寒さに強い種を用意できないか」「それらを購入できないか」という内容の伝令が、俺達のところに届けられたのだ。
本来、領土を超えての救援は、領主の許可が必要になるが、リンドーダ領に許可を取っている時間も惜しい。作付けは早いほうが良い。
ということで今回は、お忍びの出張というわけである。乗っている馬車も、外側は一般的な客車にカモフラージュ済みだ。
「……」
俺は、懐にしまってあった一通の手紙に触れた。ピンクのおしゃれな便箋は、何度も読み返されボロボロになっており、中身を見ずとも内容は思い出される。
(もう、半年、か)
あの出来事から、実に半年が過ぎようとしていた。
(……ナツが、勇者として最後の試練に挑んでいる。俺も、自我が残っている限り、やるだけのことを残していくだけだ)
手紙の差出人は、ナツ。
ナツたち勇者一行は、数多の修行を終え、南方に位置する『大湿原ロピカナ』にて、先代勇者の遺した最後の試練に挑戦中とのこと。
彼女らしい、たどたどしい文体でまとまった手紙だったが、その中に覚悟と緊張が読み取れた。
突然に告げられた運命を受け入れ、勇者を全うしようとしている。そんな彼女の頑張りが垣間見れる手紙が、ある意味、俺の原動力になっているのは間違いない。
「ナツも頑張っているんだ。俺も、頑張るぜ」
「その心意気ですわ、ランジェ様。
半年前の事件で、自主退職寸前まで話が進んだトモエさんだったが、俺の希望もあり思いとどまってくれて、今ではメイド長兼秘書──俺の右腕として活躍してくれている。
今回の、隣領への『お忍びの』出張にも、いろいろと根回しや準備に奔走してくれた。
今では無くてはならない存在だし、彼女自体も、贖罪の意味もあるのか、俺への信頼は絶対的なものになっている。
「……っと、流石に冷えてきたな。……トッシュも風邪ひくなよ」
『ご配慮感謝いたします』
トッシュの声が馬車に響く。俺も用意していたマントを羽織り、暖を取ることにした。
「さて、ここまで荒れているってことは、村長たちもさぞ苦労しているんだろうな……」
領主に見捨てられた村。自給自足に必要なのは、寒さと荒れ地に強い作物だ。俺が創ったものが、命をつなぐ糧になるのであれば、俺自身も喜ばしい。
「まってろよ」
馬車は荒れた道を進む。
目指すは、ククゥイ村村長の屋敷だ。
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