15.今、花咲く時

「きゃあっ!」

「あっち!! あっちぃ!」

「うわっ!」


 炎にたじろぐ俺たち。

 各々の悲鳴があがる。炎は瞬く間に入り口を焼き、壁を走り、屋根にまで到達した。


(なんだこれは、火の回りが早すぎる!)


 さっきの仮面の女が唱えた、呪文の効果だろうか。尋常ではない速度で、炎は納屋を飲み込んだ。


「しまった!」


 気づいたときには手遅れだった。

 最初に火が着けられた入り口が、派手な音を立てて焼け落ちた。

 俺たちの、唯一の退路が絶たれてしまった。


 身体中の汗腺から汗が吹き出る。それは、炎による熱か、焦りによる冷や汗か……。


「……ランジェ様、伏せて!」

「うわっ!!」


 そんな思案を巡らせている暇など、無かった。

 目の前には、狂ったゴブリンたちがいる。ソイツが1体、俺に襲いかかってきたのだ。

 間一髪のところを、ナツが盾で遠くに弾き飛ばしてくれた。


「あ、ありがとうナツ……」

「……ギャぁぁぁぁ!!」


 俺の感謝の言葉は、ナツに吹っ飛ばされたゴブリンの断末魔によって書き消された。吹っ飛ばされたソイツは運悪く、燃え盛る炎に突っ込んでしまったのだ。瞬時にして全身に火が移り、叫び声をあげながら、やがて動かなくなった。


「うっ」

 俺は反射的に鼻を押さえた。嗅いだことの無い、酷い異臭。生き物が生きたまま焼かれる臭いなのだろうか。


「……うおえええええ……」

 後ろで、ファンダが吐いていた。

 生き物が焼かれる光景と臭いに充てられたらしい。

 焼きゴブリン臭に重なって、吐瀉物のえた臭いも立ち込める。


「ギャア! ギャア!!」

「グオオオオッ!!」

 他のゴブリンたちが、それを見てさらに発狂し始めた。さっきまでゴブリン共も一緒に炎にパニクっていたが、ナツの行動が彼らを統合化させてしまった。


 奴らの怒りの矛先は、改めて、俺たち4人に向けられた。


「あばばばば……」

 歯をガチガチさせて、ファンダは震えていた。


「……くっ」

 クウは歯を食い縛り、樫の杖を強く握りしめた。しかし彼は、まるでファンダを守るように、前に出ていた。

 普段の立ち振舞いと異なり、彼女ファンダよりクウのほうが頼りになりそうだ。


「ランジェ様、下がってください」

 ナツも自然と俺の前に出て、盾を前に構えてくれていた。

 ま、かく言う俺も、メイド姿の従者であるナツに守られているわけで……他人の事は言えない立場だ。


 4人が固まって、今にも襲いかからんとするゴブリンに身構えた。


(まずいな……炎が……)


 しかし敵はそれだけではない。

 パチパチ、ゴウゴウと、木が燃える音が周囲を支配していた。

 熱波に襲われ、体感的に酸素も薄くなっていた。


「……守りに入ると危険だ。一気に……」


 ナツに守られながらも、実質的に司令塔になっていた俺は、みんなに作戦を伝えようとした。

 多少の火傷を覚悟の上で、壁に体当たりして脱出をしよう。そう提案するはずだったのだが、コレは叶わなかった。


「……!! ランジェ様っ!!」

「あっ! ファンダ、危ない避けてっ!!!」


 ほぼ同時だった。

 ナツは、俺を。

 クウは、ファンダを。

 突き飛ばしたのだ。


 最初は何が起こったのか分からなかったが、直ぐに理解が出来た。


 俺たちが立っていた場所に、天井から太い梁が炎に巻かれて落ちてきた。

 激しい轟音と共に、赤熱した梁は俺の目の前で炎の壁と化した。


「な、ナツっ!!」

「くっ! ファンダ! 無事!?」


 俺たちは二手に分断されてしまった。

 こっち側にいるのは、突き飛ばされた俺と、逆に突き飛ばした、クウ。

 炎の先には、ナツとファンダがいる。


「……やべえっ!!」

 そして最悪なことに、ゴブリンの集団のほとんどが、炎の向こう側……ナツとファンダのほうに分けられてしまった。


 数体のゴブリンは、落ちてきた梁に押しつぶされたようだが、しかし大して数は減っていない。

 4人でもどうなるかわからなかったのに、ナツとファンダだけで、10体近いゴブリンを相手にしなければならなくなった。


「しまった……ファンダっ!! ファンダっ!!」

 クウは、この状況を理解して、仲間の名前を連呼した。なんなら、体が動いて炎に向かっていこうともしていた。


「アブねぇ! 落ち着けっ!」

「落ち着いていられるかっ! ファンダが! 死んじゃう!!」

「くっ……! ナツ! 俺の声が聞こえるかっ!!」

 俺も、目の前に起こった現実に、ナツの名前を呼ぶことしかできなかった。しかし、向こう側から返事はない。声が届いていないのか、もしくは……もう既に……。


 炎は無常にも、さらに火力をあげて、俺たちを分け隔てた。


「ファンダっ! ファンダっ!」

「落ち着けクウ! 周りを見ろ!」

「……!」

 炎に飛び込まんとする勢いのクウを説得し、周囲に注意を向けさせた。


「ぐるるるるああああああっ!!!」

「ぎゃあああああっ!!」


 そこには、体の一部が焼けただれたゴブリンが2体、気が狂ったかのように武器を振り回しながら立っていた。

 表皮が焦げただけだろうか、あまり重症には見えない。その証拠に、奴らは俺たちを見つけると、今にも飛び掛からんと身構えていた。

 口から狂ったようによだれを垂らし、目はギンギンに血走っていた。


「ひっ……」

 涙目のクウは、息を呑むと同時に樫の杖を抱きしめ、身を縮こませた。ゴブリンの異常な光景に怯えてしまったのだろう。


「万事休す、か」

 村のよろず屋からレンタルした短剣を握りしめるも、実践未経験な俺の戦力など、有って無い様なものだ。


(どうする……!? どうする!!)


 ただ焦っても、無駄に時間が過ぎるだけである。

 そうこうしているうちに、ゴブリンたちが距離を詰めてきた。


(どうする……どうする!)


 脇も背中も、冷や汗でぐっしょりだ。

 隣では、同じく絶望した魔術師が震えていた。


(……クウ……?!)

 しかしクウは、諦めていなかった。

 彼は震える手で、しかし杖を強く握りしめ、眉間にシワを寄せ、それでいて、俺の前に出た。


「し、死ぬもんか! ファンダと一緒に、まだやりたいこといっぱいあるんだ!」


 彼はこの絶望的な状況でも、諦めなかった。


 彼は、屈していなかった。

 死ぬかもしれないという恐怖が目前に在りながら、仲間を想い立ち向かわんとする彼の姿は、美しくも思えた。


 まるで荒廃した大地に咲く、名もなき花のよう……。





『咲かせなよ』


(ん? なんだ……?)





 耳に届いた謎の声。

 確かに聞こえた気がしたが、空耳だったかもしれない。


 納屋を焼く炎は暴れ、ゴブリンの呻き声も響いていた。

 そんな中で、知らない声の囁きなど聞こえるはずもない。


 だけど、その『声』の意味は、俺は理解できた。




『咲かせるなら、今だろ?』





「……クウ。……一か八かだけど、提案がある」


「えっ」


 クウの鬼気迫る行動に、ゴブリンも少し怯んでくれていたため、少し時間が稼げた。


「『これ』すると、もしかしたら、クウの体に後遺症が残るかもしれない、その覚悟は……」


「……なんでもいい! ファンダが助かるなら、なんだってしてくれっ!」


 懇願に近い、クウの声色。

 生きる、という強い意志と共に、死に直面し希望を失いかけている。しかし、一縷の望みがあるのなら……彼もそれに賭ける腹積もりだ。


「ありがとう、クウ。今から君に、おまじないをかける……ファンダとナツを助けるために、君の力を……」


 そういいながら、俺はクウの頭に手を翳した。


「おまじな……い?」


 俺の行動に一瞬疑問を抱いたようだが、クウはすぐに、俺の所作を受け入れてくれた。


(頼むぞ……上手く行ってくれよ)


 青白く光る俺の掌。

 その光は大きく膨れ上がり、瞬時にクウを包み込んだ。


 そして俺は、宣言する。


 あの時、昼寝花を咲かせたように。

 あの時、荒地を花畑にしたように。

 あの時、花瓶の蕾を開かせたように。




「頼むぞ、クウ……開花宣言──咲き誇れ!」

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