第5話 家出実行

婚約は私がまだ幼いころに結ばれた。


でも、肖像画が三枚送られてきただけだ。

彼は五才ほど年上で、どうやら当時鍛錬に夢中になっていたらしく、覚えている限りでは、正面からの全身像と、斜めを向いた全身像、それと馬に乗って全力疾走しているのが送られてきた。

添えられてきた手紙によると、胸筋やら腕の筋肉のほか、背中の筋肉も見せたかったらしい。そのほか、乗馬も達人の域に達したのでどうのとか書かれていた。


まさか、まだ婚約が決まっていないお嬢さんに、ハダカの筋肉マッスルを送る訳にはいかなかったので、全身バランスで自慢したかったのかしら。


ふつうは半身像が多いんだけどな。


全身像だと顔がよくわからない。どんなお人柄なのか、穏やかそうなのか神経質そうなのか、多少は顔に出ると思うので、全身像は残念だった。判断がつかない。かろうじて黒髪の人かな?くらいだ。



まあ、そんな感じに、よく知らない婚約者だったけれど、こうまで簡単に婚約解消を承諾されてしまったのは、ちょっとだけ悲しかった。


婚約者は特別な存在だと、心のどこかで信じたかったのかもしれない。

だけど、案外簡単に切られてしまった。

どうでもよかったのだろう、きっと。


エミリは、私に関する噂はひどいもので、婚約破棄されてフリーになっても、どこの貴族の家ともご縁は絶望的よと言った。でも、その噂、全部、あなた方のせいでしょう?

社交界デビューのお年頃の二年間、デビューできず、悪い噂ばかり流され続けたら、それは致命的だろうと思う。



急にセバスは真面目な顔になった。


「早くこの家を出られた方がいいでしょう。私も数日内にこちらを辞めさせていただくことになっています。バーバラ様は見かけは貴族風を気取ってらっしゃいますが、貴族社会のことは何もご存じない。明日、宮廷に行かれても、思うような返事をもらえないかもしれません。そうなった場合、何をなさるかわかりません」


セバスの見込みが外れたことはない。


「私は伯母さまの別邸に行きます」


セバスはホッとしたような微笑みを浮かべた。


「それがよろしゅうございましょう。ご当主が本邸を離れるなんて、まるで家督を放棄するようで、あの者たちが喜ぶだけだと思って辛抱してきましたが、もはや限界でございます」


こんなことになるなら、もっと早く出ればよかったかも。家督とか、どうでもいいわ。


「あそこに入れる者は、アンジェリーナ様とマラテスタ侯爵夫人だけですから絶対に安全です」


伯母様の別邸は森の中にある。ちっぽけな塔の付いた石造りの小さくて可愛い建物だ。テラスと庭があって、四季折々の花が咲き乱れている。


ただ、魔力のない者は見ることすらできない。


わずかでも魔力があれば、見ることはできる。だが、家が認めた者以外、建物の中はおろか敷地の中にも入れない。

絶対に安全だ。


「私は、伯母様に助けてくださるよう、尽力いたします。その間、アンジェリーナ様は、伯母様の「隠れ家」にしばらく滞在していてくださいませ」


オリビア伯母様は他国マグリナの、高名な侯爵家マラテスタ家に嫁いだ。


オリビア伯母様の「隠れ家」は、文字通り伯母専用の隠れ家で、たいていは空き家状態だった。伯母は魔法がつかえるので使用人は不要だからだ。逃亡先?としては、かえって都合がよかった。


伯母に助けを求めたくても、他国への定期的な郵便馬車などあるはずがないから、手紙を出すには使者を立てなくてはならない。


それに、バーバラ夫人は、私が誰か他の親戚に連絡を取らないよう見張っていた。


だから、連絡を取るとか言われても、セバスがどうするのかさっぱりわからなかったが、人の良さそうな外見とは裏腹に、彼はなかなか老獪ろうかいな執事なのだ。


ここは任せておこう。


私はそれ以上何も聞かず、翌朝、バーバラ夫人とエミリが大騒ぎしながら王宮へ向かう騒動に紛れて、こっそり家を出ることにした。


元々、その準備はしていたのだ。


最初に取り出したのは、使い込んだ大きな茶色い革のバッグ。


なんの変哲もなさそうな、いかにも古物といった顔つきのバッグだが、これこそオリビア伯母さまからの最高のプレゼントだった。


「なんでも入る。全部入る。その上、軽い!」


公爵家に代々伝わる魔法や魔術の本、魔法の器具、ポーションは絶対に持っていかなくちゃ。


この日に備えて、私は公爵邸の図書館を空にする勢いで魔法の本を持ち出していた。


バーバラ夫人は知らない。

代々の当主や当主夫人が名のある画家に描かせた絵画や、収集した宝石なんかより、これらの本の方がずっと値打ちがあるのだ。


中には古代語で書かれた本もあり、初めて見た時、何が書いてあるのか、私は好奇心ではちきれそうになった。


だけど、学校に行っていない私は読むことが出来なかった。それに、台所の下働きや掃除で忙しくて、辞書を引く暇もなかったのだ。だけど、絶対に手元に置いておきたい。革のバッグは底なしに本を飲み込んでくれた。


それからわずかばかりの服と靴。両親の形見の手紙や宝石もバッグに入れた。


両親が大事にしていた品々は、私が大事にしなくては。

ものの値打ちがわからないあの人たちにかかったら、とんでもない安値でたたき売られたり、分解されてしまったりするだろう。


これだけ詰め込んでも、バッグは片手で持つことが出来た。


ありふれた、女中が好んで着るような焦げ茶の貧しい服に身を包んだ私は、使用人用の裏口から出て、公爵邸の塀に沿って少し歩いた。


私は最後に屋敷をちょっと振り返って見た。


「この屋敷は本当は私のものだったはずなのだけど……」


両親が生きていた時は大好きだった屋敷。でも、今は、早く離れたい気持ちで一杯だった。


「こんな日が来るだなんてね」



屋敷から少し離れたところにある廃屋の中に素早く身を隠した私は、目をつぶって、ずっと前に伯母からもらったペンダントを握りしめた。


「オリビア伯母様の隠れ家に!」


何かあった時にはこれを使えと伯母に言い含められていた。伯母の隠れ家に行けるからと。


手の中のペンダントが温かくなり、ふわっと浮上感があった。


……そして、次の瞬間、私は王都の喧騒から遠く離れて、木々に囲まれた田舎の伯母の屋敷の門の中に居た。

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