第37話 マグリナに、イアンはいない

私はダンスのレッスンとドレスの仮縫いの合間を縫って、暇さえあればギルドへ通った。



今、私は魔術ギルドの会員なのだ。


依頼をとっくりと眺める。


ダンスパーティが済むまで依頼を受けてはならないと伯母から厳命されているので、とりあえず受けないけど、ダンスパーティが終わったら、どの依頼から受けるべきか、虎視眈々と検討中である。


それから、ここへ来るのは、イアンの噂を集めるためだ。


ギルドの受付嬢というか受付夫人は、私がマラテスタ家の一員と知ってから、態度を改めた。とても丁重になった。


逆に噂を聞きにくい。


大体、マラテスタ家の親戚だというだけで、ギルドに登録できるなら、私、一体、何のためにわざわざフリージアへ行ったんだろう。


伯母が知らないことだってあるだろう。しかし、この程度のことなら、少し調べればわかるのに、なぜフリージアまで行くことになったのかしら。


「若い娘さんが、ギルド会員になるとは珍しい」


ギルドで、いつものように貼り付けられた依頼書のメモを取っていると、背中から話しかけられた。


「覚えてる? カルロとマーシーだよ。前、会ったことあるよね?」


顔も名前も全く覚えてないけど、そう言えば、前に一度ギルドで話しかけられたことがある。その人たちかしら。


「君、魔力があったんだね。ギルドに登録したって聞いたんだけど?」


彼らは好奇心でいっぱいだった。


その後ろから、一人の中年のギルド員も何だか不満そうな顔つきでやってきた。


「カルロ、その娘なのか。実力もないのに縁故で我がギルドに入ったと言う娘は」


カチンときたけど、これはしょうがない。


ウチの護衛騎士が、マラテスタ家の親戚でーすと宣言しただけで、ギルド入会を果たしたのだから。


ギルド会員は希少な魔力の持ち主だからという理由で非常に尊敬されて、プライドの高い人が多いらしい。入会するには、厳しいテストを受けて実力を証明しなくてはならないからだ。


「それなりのテストがあるにも関わらず、テストを受けず、力もないくせに、縁故で裏口入会したそうだな」


中年男はしつこくネチネチ言い募った。カルロとマーシーは、困った顔になって引っ込んでいる。


魔力はそれなりだと思うの。だけど、困ったわ。伯母からは魔力を人前で出さないようにと言われている。


だが、この時点で、ウチの護衛騎士がシュタタタタと走ってきた。


後で知ったが、国一番の魔法力の持ち主の伯母は、ギルドの大御所だったそうで。

護衛騎士は、ギルド内でマラテスタ家の一族に無礼を働く者などいるはずがないと言う理屈で、少々気が緩んでいたらしい。


「副ギルド長!」


護衛騎士は叫んだ。


「何をなさいます! マラテスタ家がお預かりしている女性ですよ?」


副ギルド長!

そう言えば、前に会ったことがあるわ。そして、その時も感じ悪かった。


「この女は、マラテスタ家の侍女だろう」


「失礼を言っちゃいけません!」


護衛騎士は、副ギルド長を引きずっていってしまった。カルロやマーシーの前では、言いたくないことがあるに違いない。


私たちは取り残されて、気まずそうにしていた。


「魔力持ちなの?」


カルロが聞いた。


「まあね。そうね」


いい機会だった。私は、思い切ってイアンの話を持ち出すことにした。

ドキドキしながら。


「騎士団員のことなら、大抵の人がよく知ってるよ。イアンは女の子には人気だったよ」


そう言うとカルロはニヤリとした。


ううっ、気まずい。


「でも、相当な家の御曹司だろうって言われてたよ。それで、余計に人気だったよ」


「俺んちの妹がファンでさ。名前も名乗らないかっこいい騎士様だって、一時、騒いでいた」


「イアンのお家はどこなのかしら? 家名は?」


二人は顔を見合わせた。


「騎士団に友人も多かったんだけど、誰も知らなかったよ。本人が話さなかったらしい」


「……誰にも?」


「それも噂になってたよ。みんなイアンという名前だけしか知らない。でも、もう半年か一年くらい前かな?」


赤毛のマーシーもうなずいた。


「多分それくらいだと思うな。まったく見かけなくなった」


ああ。それって、ケガをした頃だ。


でも、その後、誰も見ていないというなら、王都を離れて領地へ帰ったのだろうか。


「わからない。でも、星祭りの夜、見かけた人がいたよ」


「え?」


「とてもかわいい恋人と一緒だったみたいだよ? 猟師のなりをしてたって。御曹司のイアンが何してんだって噂にちょっとなったけど、その後は、なんの噂も聞かないな」


私は落ち込んだ。


「イアンは、ここにはいないんじゃないかな。さすがの俺の妹も、新しい恋人を見つけたよ」


カルロが追い打ちをかけた。


「イアンがいなくなってからずいぶん経つ。君も、切り替えて、ほかを考えてみたらどうかなあ? この間、お茶のお誘いしたことがあると思うけど、あれ、まだ、有効だよ?……」


私は、親切なカルロに「お手紙の有効期限ってあるんですね」と返事して、ギルドを出た。知らなかったわ。



マグリナに来たかったのは、イアンに会えるかも知れないと言う、ほのかな期待があったから。


「世の中甘くないよね……」


希望が一つ消えただけだ。


夜空に瞬く星が美しいのは、イアンも同じ星を見ているかも知れないから。

星のうちの一つがスーッと落ちて、暗黒の闇に吸い込まれて消えた。


別に生活が変わるわけではない。いつも通りの日々が流れるだけだ。



「お嬢さまが、最近、ものすっごく、暗いんですけど」


「何かあったんでしょうか。自室に立てこもって、本を読んでいるふりをしているつもりらしいんですけど、本が逆さになってましたわ」



私はギルドの依頼を見ては、次々と依頼されている(でも、私が受けているわけではない)商品を作成して行き、おとなしくダンスのレッスンを受け、黙って、それはそれはすばらしいドレスを試着した。


「ロビア公爵のご令嬢らしい、本当に美しく堂々としたご様子です」


侍女のハリエットがほれぼれした様子で言った。


「では、次は午餐に招かれた時のドレスを……」


どうして、パーティ出席の時用以外のドレスが、こんなにたくさん仕上げられているのか?


でも、私は抗議する気力もなければ、興味もなかった。



「少し早めにお戻りをと、マラテスタ侯爵夫人から言いつかっております」


メアリが言った。


「ロビア公爵令嬢として、お披露ひろめしないといけないとの仰せで」


「それはどういうこと?」


さすがに私は聞いた。


まだ、バーバラ夫人とエミリは、公爵家の敷地内に頑張っているはずだ。彼女たちの排除は、ノラネコについたノミより駆逐が難しい。


「バーバラ夫人とエミリ嬢が、ついに公爵邸から出て行ったそうですわ」


「えええ?」


よくあの二人が家を出ることを了承したわね。


メアリが口元を歪ませて笑った。


「アンジェリーナ様が、お元気でいらっしゃることが世に広まったからですわ。伯母さまがロビア公爵邸で待っていらっしゃいます」






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