第33話 王太子殿下の登場
人々は熱心に、ひそひそとささやいていた。
「イアン殿下だ!」
「お戻りになられたのだ」
「立派になられて。ひところは行方不明と言われていたが! 国内にいたのですね」
何人かは背伸びをして、目を凝らして、その人物を確認していた。
「そうだ。ずっとたくましくなられているが、あれはイアン殿下だ!」
イアン殿下。
それは私との婚約解消を迷うことなく決めた人物。
私は顔さえ知らないが、乙女に対してあれはないんじゃないの?
それだけが原因とは言わないけど、私は現在進行形で着実に婚期を逃しつつある。そして、もうひとつ気に入らないのが、私の大事な人と同じ名前だってことだ。
まあ、よくある名前だから仕方ない。
カサンドラ夫人が大ニコニコだってことは、新しい婚約が決まったってことかしらね。
私にはまるで関係ないわ。
私の思いは、イアンとの(王太子殿下ではなくて猟師の方の)思い出に走っていった。
これほどまでに、心痛むなつかしい思い出。
私はこの思いを抱えて一生生きていくかもしれない。
渡した剣はどうしたろう。役に立ったかしら。元気にしているかしら。彼はどこの領主だったのだろう。
知らない方がいい。もう結婚しましたとか言われたら、致命傷だ。私の心の中だけでは、せめて輝いていて欲しいもの。
いつか広い心になれるだろうか。彼の妻や子の話を聞いても、平静にしていられるような。
いや、ないな。
大体、そんな聖人君子、なりたくもないわ。子はとにかく、妻は亡き者にしてやるくらいの根性の持ち主なの、私。
イアンは私のものなの。放し飼いになんかしなければよかった。
突然のワッという大きな音に私はびっくりして、我に返った。
「何があったのですか?」
「国王陛下が譲位を宣言されたのよ」
伯母が興奮気味に答えた。
「想像はされていましたけれどね。イアン殿下が来ていると言うことは、そうなのかなと思いました」
なるほど。
病弱の王に代わって、元気そうな王太子殿下が徐々に政務を引き継いでいかれるそうだ。
ここからは遠すぎてあまり見えないし、よく聞こえない。でも、カサンドラ夫人が国王陛下に向かって何事か懸命に話しかけているのが、目を引いた。
してみると、カサンドラ夫人には相談なしの突然の譲位宣言だったのかもしれない。推測の域を出ないが。
他国の政争にあまり興味はないけど。
「あらあ!」
伯母が声を上げた。他にも特に女性が声を上げている。
何かしら。
伯母が笑っている。
「ねえ、聞いた? 王太子殿下はアレキサンドラ様とは婚約しないんですって」
へえ?
「思う人がいるそうよ。真実の愛の相手が」
そうですか。
人が言っているのを聞くと、なんだか盛り下がるな。自分の場合は盛り上がるんだけど。
でも、周りの人々は、すごく興味ありそうに、王太子殿下と、殿下と言い争っているカサンドラ夫人に熱い視線を注いでいた。
「カサンドラ夫人のおすすめは素気無く断られたわ、今」
押し付けの花嫁と結婚したくはないのね。気持ちはわかるわ。でも、それなら私の気持ちもわかりなさいよ。一方的に断られるのは、いい気持ちではないのよ。
私は、遠くの壇上の殿下を見上げた。
この人、大丈夫かな。
治世の第一歩が真実の愛宣言とは。
でも、この王太子殿下は、堂々としているし落ち着き払っている。
真実の愛は言い訳かも知れない。
カサンドラ夫人に口出しされるのが嫌なのだとしたら、カサンドラ夫人の親戚の令嬢はお断りだろう。
伯母は面白そうに笑い転げている。会場は大盛り上がりだ。カサンドラ夫人は何か怒鳴っているらしいが、全く聞こえない。
おそらくカサンドラ夫人は、あまりよく思われていなかったのだろう。
「ねえ、リナ! まるでシンデレラね」
伯母が切れ切れに聞こえてくる壇上の会話を、聞き伝えで教えてくれる。
「国中の娘を集めてダンスパーティをするんですって。真実の愛の相手を探し求めるんですって。生き別れになってしまったと言うのよ。ロマンチックじゃない?」
「王位を継ぐのに忙しい筈なのに、そんなことやってていいんですか?」
「王位継承の披露パーティと一緒にやるらしいわ。これは絶対、盛り上がるわ!」
王位継承パーティに、その手のイベントは必要なのだろうか。
「そのパーティで探すつもりの娘は、おおむね五歳年下に限る」
伯母はどこかから回ってきたメモを読んだ。おおむねって、どこまでが許容範囲なのかしら。
「イアン王子はいくつですか?」
「元の婚約者の年を知らないの?」
「あ、知ってました。五歳年上です……? え?」
私、範囲内なの?
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