第3話 婚約解消

エミリは私のボロボロの部屋のドアの前に立って話を続けた。


「それでさあ、あんたに不釣り合いなフリージア国の王子様との婚約話だけど……」


どうしてわざわざ私の屋根裏部屋まで来たのかしらと思ったが、婚約のことで言いたいことがあるらしい。


「フフフ。あんたは社交界に出入りもしない偏屈令嬢で名が通ってるから、さすがの王家も気にし出して、婚約を破棄したのよ」


「えっ?」


社交界に出入りしない偏屈令嬢って、私のこと?

でも、それは、あなた方が私を出してくれないからではないですか!


「一度もお茶会にもダンスパーティーにも……」


私は声を詰まらせた。出してもらえなかった。


この一番大事な時期を。


多くの令嬢たちが、華やかに社交界デビューを決める年齢なのに。


両親はあのあとすぐに戻ってくる予定だった。

そして母は私の社交界デビューをとても楽しみにしていて、ドレスは新しいものを何枚も仕立てて、宝石も先祖から伝わるあれこれを出してきて、吟味して、新しいものも買って、準備していたのに!



その予定されていたパーティーに公爵令嬢として出席したのは、従姉妹のエミリだった。


私のために準備された、ドレスや宝石をこれでもかと身に付けて、ロビア家の娘でもないのに、社交界デビューを果たした。


母が、それぞれ付き合いのある家には、忙しい合間を縫って手紙を出したり、茶会に出たりなどして娘のスムーズなデビューに根回ししていたことを知っている。


私は全部取り上げられて、部屋に閉じ込められてしまったので、何も知ることは出来なかったけど、母の気持ちを思うと涙が出た。


母が、あんなに頑張って、私のためにしてくれた準備をこんな娘が全部横取りして!


それに、エミリはちっとも貴族の娘らしいところがない。話し方だって、女中たちが洗濯しながらしゃべっている時みたいな感じだし、特にびっくりしたのは食事のマナーだ。汚い。


そんな娘が、ロビア家の当主の娘でもないのに、ロビア家の跡継ぎを名乗っている。


家の恥だ。


「なに? その反抗的な顔は?」


手が伸びて来て、私はいきなり殴られた。


エミリは殴った手をさすって


「痛あ……」


とか言っていた。まあ、所詮は令嬢。力はない。私も痛かったけど、エミリも痛かったらしい。


「どうして婚約破棄されたかわかる?」


エミリは手をさすりながら、得意そうに聞いた。


私は何とも返事が出来なかった。知らないのと、エミリと話をしても無駄だと言うことはわかっていた。


エミリは上機嫌だった。


「教えてあげるわ。あんたが、みっともなくて、みすぼらしいからじゃないわ。あんたが王子様を断ったからよ。すごいわよね、どこかの王女様でもあるまいし」


「どうしてそんなことに……」


私は絶句した。


婚約を公爵家側から破棄するだなんて有り得ない。あるとしたら、公爵家側に余程の不都合があってのご遠慮くらいだ。娘が亡くなったとか、父の公爵が失脚したとか。

エミリは、何か勘違いしているのじゃないかしら?


だけど、バーバラ夫人もエミリも、その辺の常識がないから、真相がわからない。


エミリは愉快そうに笑った。


「あのオスカーが教えてくれたのよ。彼は大貴族のご子息ですからね。王家の事情をよく知ってるの。内々での婚約解消や婚約者の変更はよくあることだってね」


私はあっけに取られた。


私は社交界にデビューできなかったけど、親と一緒に出かけたお茶会や自邸で催されたパーティーの席などで、いろいろなことを聞いて知っている。


公爵家と王家では格が違う。

この場合、王家が一方的に申し付けるくらいなものだ。


婚約者の娘が勝手な娘だった、だけでは済まない。

家門の問題になる。


だが、エミリはそんなことは、考えてもいないようで、ペラペラとしゃべった。


「だから、あんたの社交界での評判は散々よ。曰く変人令嬢、常識外れ、まともじゃないってね」


ここ二年は、誰にも会えなかった。外出を禁じられたからだ。だけど、その前には大勢友達もいた。私がそんなおかしな人じゃないことをみんな知っているはずよ?


「お茶会やご招待に、失礼にも返事を出さなかったり、無礼な断り文を送ってくる人間なんか、誰も相手しなくなるに決まってるじゃないの」


私はエミリの顔を見た。


勝ち誇ったような表情を浮かべているその顔を、私はとても醜いと思った。

ぶたれた頬が熱を持ってくる。


私は招待の手紙なんか、ここ二年間一通だって受け取ったことがなかった。

おかしいなと思わないわけではなかったけれど、毎日使用人やバーバラ叔母に監視されて、人が一番嫌がる冷たい水での洗濯や、重い水汲みなんかをしていた。

毎日疲れてへとへとで、その上、食べ物がなかった。


料理番は……彼女自身は太っていたが、意地悪で、よくこれ見よがしに残り物を捨てていた。まだ、食べられるものも豚の餌に回していて、私の分は本当に生きていくのがやっとなくらいだった。


「婚約解消は、すごく都合がいいって、お母さまがおっしゃるの。なぜだかわかる?」


公爵家から婚約解消するだなんて、王家に失礼だ。反逆罪かも知れないレベルだ。都合がいいとは意味がわからない。


「いいこと? あなたは知らないでしょうけど、王家はロビア家の血統をお望みなのです」


「血統……」


私はつぶやいた。


「王家の今代は、王太子妃様に外国人なんかお断りで、生粋のフリージア人をお望みなんですって。ロビア家は、一番古い歴史書にも載っている程、古くから続く家柄。王家は、とてもその家柄を重視しているそうよ。でも、血統だけなら、私にも、私の父を通じてその血は流れているわ。花嫁の差し替えに何の問題もないでしょ。でも、まず、アンジェリーナと言う娘が婚約破棄されないとね」


それは違う。


私は母の話を思い出した。エミリたちがくる前だから、もう五年以上昔の話になる。


「この婚約は、あなたに魔力があるからなの」



エミリたちは何か勘違いをしているのではないかしら。私が黙っていると、エミリは私がショックを受けているのだと思ったらしく、得意そうに言った。


「すばらしいお話だわ。私が未来の王妃になる! あんたなんかが、婚約者だったなんてホントにおかしな話だわよね」


下から叔母のバーバラの声が聞こえた。


「エミリ、どこにいるの? 明日はイアン殿下にお目にかかりに、王宮に行くのよ。先方は大喜びで、婚約破棄に応じてくださったわ。後は、新しい婚約を結び直すだけよ。できるだけ着飾って王宮に参上しないと」


「はーい、おかあさま」


そう返事しながら、エミリは私の足を本気で蹴飛ばした。痛い。


「憎たらしい女。私たちが苦労していた間、公爵令嬢としてぬくぬくと暮らしていた。でも、もう、あんたは終わりよ」


「終わり?」


私は痛む足をさすりながら聞いた。


「まさか、私があんたを侍女に使ってやるだなんて期待していないでしょうね? こんなみすぼらしい恰好の侍女なんかお断りよ。あんたのことは明日には始末するって、お母さまがおっしゃっていたわ。もう、婚約者でもないから、見とがめられることもないからって」


私を始末する? どういう意味?


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