第19話 社交界へは出たくない

伯母は話を続けた。


「でも、今日は泣いていたわね。何かあったの?」


「いいえ」


イアンのことがバレたら、伯母には叱られてしまうかも。いくら骨と皮だったとしても、一応騎士の格好はしていたのだもの。私は黙っておこうと思った。


伯母は、それ以上聞かなかった。私はほっとした。


「もう、冬ですからね。あの私の隠れ家は実はかなり山奥なのよ。夏はいい猟場だけど、雪に閉ざされてしまっては、面白くもなんともないでしょう。それに、ロビア家のごたごたも、もうすぐ片付くので」


「ええ?」


私は本気で驚いた。


伯母の隣では、セバスが満足気に、にこにこしていた。


「いわば人質になっていたあなたの安全が確保できたので、私はすぐにロビア家の財産の帰属確認をフリージアの裁判所に出しました」


私にはよくわからなかった。


「帰属確認とは?」


「ロビア家の財産に、姉の私も権利があると申し立てたのですよ」


伯母は悠々と言った。


そんなことをしたら、バーバラ夫人たちはきっと怒るわ。だって、自分たちの物だと思って暮らしているもの。


伯母は首を振った。


「そんなことあるわけないでしょう。ロビア家の正当な跡継ぎはあなただけです。あの家に閉じ込められていたら、わからなくなってきたと思いますけど」


伯母は私の頬にそっと触れた。


「ロビア家の当主は、あなたなのよ。バーバラ夫人は、当主のあなたの代わりを務めているわけです」


「あのようなあしらいを受けていても、外からはわからない、または突っ込みようがないのでございます。たまに横暴な親がしつけと称して子どもをいたぶることがありますが、それと同じなのです」


とても悔しそうにセバスが言った。


「私の訴えは、もちろんバーバラ夫人たちに突っ返されました。嫁いだ娘なんかには何の権利もない、すべては一人娘アンジェリーナの物だと」


伯母は冷静に言ったが、眉間には深いしわが刻まれていた。


「私たちは、ロビア家の財産は、全部リナさまの物だとバーバラ夫人自身に言わせたかったのです。散々、ロビア家の財産はリナさまの物だと言わせてから、リナさまの生存証明を求めたわけでございます。でも、あなたさまは、もう、あの屋敷にはおられません。ですから、いつまでたっても証明できない訳でして。もしも、リナ様が亡くなられたとか、修道院に隠居されたのなら、それこそ何もかもが、血縁のマラテスタ公爵夫人の物になります」


「でも、屋敷の中に私がいるのだと言い張り続けるのではないでしょうか?」


「だから、一度、フリージアに戻って欲しいの。フリージアの社交界に、あなたが顔を出せば、あの人たちは、不法占拠者だと明らかになる。あなたは全部取り戻せるわ」


伯母が言った。


私はかなりマヌケな顔をしたと思う。


伯母の隠れ家に行ってから、私は一度も自分の財産や地位を取り戻したいと思ったことがなかった。


だって、社交界での私の評判はひどいことになっているはずだ。


エミリやバーバラ夫人が何をしゃべって歩いたかわからないけど、少なくとも、事実として、私は社交界デビューをしなかった変人だ。

そのうえ、人もうらやむ王太子殿下との婚約を破棄している。


世にも奇妙でおかしな女がいるとしたら、それが私だ。


「でも、伯母様、今更、貴族社会で生きていくことなんか無理に決まっていますわ。私はすっかりデビューの年齢を過ぎてしまいましたし、変人の醜い娘と言う評判ですわ」


後ろでセバスがなにか言いかけたが、伯母が止めた。


「評判なんか、変わっていくものよ」


伯母は言った。


「あの人たちが、調子よく言い張っていた時はそうかもしれないと思っていても、色々と都合が悪い事態がバーバラ夫人たちに起きて、つじつまが合わなくなったら、間違っていたのかもしれないと、思い始めるわ」


「でも……」


言いかけて私は黙った。


私は、今後の具体的な計画を全然考えていなかった。


私は、伯母が隠れ家と呼んでいる屋敷で暮らし続けて行こうと思っていた。


私一人が暮らすくらいのお金なら、ジュースでもドングリの温かい袋でも作って売ればそれなりに稼げる。


……それに、イアンがいない。イアンのいない世界なんか、どうだってよかった。


「悪名をそそぎたいとは思わない? あなたは本来この国で一番注目される令嬢なのよ?」


今のフリージアの社交界で、どんなふうに注目されていると言うの?

いい想像ができないわ。



エミリはいつも私に、どれほどひどいうわさが流れているのか、わざわざ教えに来た。聞きたくないのに。


『すごく傲慢で、王太子殿下を嫌っているなんて、本当に一介の貴族令嬢のするようなことじゃないわ』


『誰のことですか?』


エミリは、とても面白そうに笑った。


『あなたよ。直ぐにかんしゃくを起こして使用人に花瓶を投げつけたりするくせに、いつだって人のせいにするので、屋敷内では腫れ物に触るような扱いを受けているって』


エミリはクスクス笑っていた。


『私はちゃんと否定してあげたのよ? 確かに二目とみられぬほど不器量ではあるけれど、人間の格好はしていますって。私もよくぶたれたり、心無い扱いを受けるけど、ずっと辛抱し続けているってね。お気の毒な妹と言われているわ』


エミリは妹じゃない。

人間の格好はしているけれど、ロビア家にいた頃、私は、手はアカギレだらけでガリガリだった。髪の毛はボサボサで、侍女たちが薄らみっともないと陰で悪口を言っていた。


『まるで、痩せさばらえた鳥のようだわ』


『化物鳥ね』


彼女たちは、クスクス笑っていた。





私は首を振った。


私は社交界が心底怖かった。


「伯母さま。私は領地なんか要りません。社交界に出たら、何を言われるかわかりません。みんなから好奇の目で見られるだけでしょう。そんな思いはしたくありません」


「そんなことはないわ! あなたみたいにかわいらしい令嬢が……」


「私は、ちっともかわいくないのです」


言いたくはなかったけれど、言わないわけにはいかなかった。


「おまけに、傲慢で身の程知らずで有名なんです。不器量で有名だとエミリが良く言っていましたが、自分でもわかっています。コソコソ本人に聞こえないように、陰口をたたかれるのは、たとえ使用人からだとしても嫌なものです。社交界にでても、知り合いもいない私は、やることがありません。デビューの年はとうに過ぎてしまいました……」


バーバラ夫人たちに閉じ込められていた二年は、とても大事な二年だったと思う。

娘が社交界にデビューする大事な年だったのだ。

その年は過ぎた。もう取り返しは付かない。


イアンや王都の街の人たちだけが、かわいらしいとほめてくれた。だが、町娘のかわいらしさは、宮廷に出仕する人たちの念には念を入れた化粧や髪の結いあげや衣装とは、全然違う。問題にもならないと思う。


私は、町娘でいいと思った。

王都では、誰も私のことを傲慢だとか、身の程知らずだとか、性格が悪いとか、言わなかった。むしろ、慎まやかで心配なくらいだと真逆なことを言ってくれた。


「ずっと隠れ家で暮らす方が、身の丈に合っていると思います。フリージアに戻っても、いいことはないと思いますわ」


セバスは、何か、とても言いたそうだった。


伯母は黙っていた。


親切な伯母には感謝しても仕切れない。


「私が顔を出さなければ、ロビア家は伯母さまが継いでくださると思います。バーバラ夫人たちが食いつぶされるより、私はその時がいいと思います」


「リナ、あなたはまだ若くて、色々な可能性があるわ。例えば、優しい旦那様とか……かわいい子どもとか」


ああ。それは、もう過ぎ去ったことだ。もう、イアンはいない。


「そうですね。そのうち、森の木こりと出会って仲良くなるかもしれませんね」


隠れ家は、魔力のある人にしか見えないので、余り可能性はなさそうだったけれど、私は無理に笑ってそう言った。







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