第37話 既に無き倫理観と道徳
イシュトゥリア帝国第四区画某所。
シトラス・ネルデガーが主任としてここに勤める研究所内が今、大きく沸いた。
「や、や……」
「あぁ、あぁ……!!」
「「「「「やったぞォォォォォォ!!!」」」」」
「ついに成功しましたね!主任!!」
「あぁ……!遂に、遂に……!」
研究所内の人は皆、喜び、咽んでいた。
研究を初めて数十年。終わりの見えない研究かと思われたが、苦心の末にようやく成功したのだ。
自分たちの生きている間ではおそらく成しえない……到達しえないと思っていた領域に手が届いた。
涙が止まらないのだ。
彼らの研究していた『死の踏み倒し』。別名を『
一つの生命…魂に対し、数にしておよそ一千万回。全く違う方法の死を経験させ、魂にそれを記録、保管するという物だ。
その驚くべき効果だが『一度経験した死を無効にする』という物だ。
例えば。ナイフで一度刺されて死んだのなら「ナイフによる刺殺」と「大量失血死」とそれに伴う「ショック死」の三つを克服できるようになる。
「これを、この魔法を帝国軍に売り込めば…!我らの真なる叡智と才能を世に知らしめることが出来る……!」
富国強兵政策を押し出しているイシュトゥリア帝国。軍事に関係する研究機関に関してであれば、おおよその違反行為を黙認し、助成金も多く出す。
だが、各研究組織の皆が皆、良い物を研究しているわけではない。
対象虐殺を主とした目的の魔法や、一秒あたり五人の命を奪える錬金術による秘薬なども多く開発されており、彼らはしのぎを削って研究を行っている。
利益利潤を加味した上で問題アリ、と判断した国の意向など無視して、だ。
そして、そのような半ば獅子身中の虫ともいうべき存在はシトラス・ネルデガーだけではない。
「ふふふふ、これで他の奴らを出し抜ける……!忌々しい『星十字』にも『ウィシュカルテ』にも負けん……!」
「もちろんです!あとはこの『
「我が帝国軍が世界に名を轟かせる日も近いですね……!」
シトラス・ネルデガーと周りの職員らが涙目にリストを見る。
そこには緻密に練られ、『絶対に成功させる』という気概が一目で分かるほどの計画図があった。
「この『
だが、この『死生要覧』には二つほど大きな欠点がある……」
「ですね。まずは強靭な精神を持つ者と、魔法の中でも最も取得、使用が難しいとされる『第零世界への記憶領域のアクセス』が出来るというこの二つの条件を同時に持つ者…適合者が必要ですからね」
ルシウスがカレンに説明した通り、死の超越に辺り最初にぶち当たるのは精神の摩耗だ。
自分が死ぬ光景を想像するのは簡単だが、それを体験するとなると話は別だ。
しかも、それを何度も何度も、全く違う方法で作業的に行われていくのだ。
普通なら一度は乗り越えることができても二回目で精神が壊れ、発狂死する。
死、という物はそれほどまでのモノである。
次に、シトラス・ネルデガーがこの計画を成功させるにはもう一つ、重要な要素がある。
「第零世界へのアクセス」である。
第零世界というのは「アルビス」のように物理的に存在している世界ではなく、概念的世界である。
第零世界とは世界に自我があり、意識があるという現象に名前が付いたものだ。
そして、その第零世界への介入、というのは「世界の意識に介入し、その意識を一時的に拝借する」ということになる。
誰かの脳内に侵入し、見ている景色と記憶を自分の意識と同調する、と考えれば分かりやすい。
今回は、それの相手が人間同士ではなく、人間と世界。
世界が誕生してからの記憶と、今見ている景色。それらを一個人が同調し、認識する。
常人であれば、その情報量の大きさから視る前に脳が焼かれ、パンクし、廃人となる。
余談だが、「第〇」の数字というのは「自らを認識する世界の数」であり、自分を観測する世界の数となる。
第一世界なら自分が観測した過去。第二世界なら第二者からの観測を含めた世界で、第三世界なら自己と他者、その他世界に観測された状態をいう。
通常、ルシウスらが視る世界は第三世界である。
第二世界は誰かと同じ夢の世界にいるような状態で、第一世界は自分と向き合う瞑想の類になる。
第四世界もあるが、これは第三世界の視界に加え、過去の視点が加わる。観測自体は可能だが、全世界レベルでの視野と過去を見る技術が必要だ。
第五世界は第四世界の過去に加え、未来の視点が加わる。もちろん、未来視さえできれば第四世界よりも観測は容易い。
不確定な未来はただの予知夢に近しい物に過ぎないからだ。
第六世界以降はは第五世界までの視界に加え、並行世界の視点が加わっていき、観測世界が増える毎に第八、第九……と続いていく。
第零というのは、観測するのが自分ではない第三者のみの視点であり、アクセス権、というのは視点のレンタル。一時的な拝借を意味する。
「うむ。そしてもう一つは……」
「ほぼ無限ともいえる魔力処理能力ですね」
「その通りだ。……魔力の扱いに長け、膨大な魔力をほぼ一日中体に回していても自壊しない丈夫な魔力回路。これもまた才能に依る物だが、必須な物だ。そして……」
当たり前だが、魔法を使うにあたり人間の器官と同じく魔力回路が存在する。
が、これは形を持たない霊的な回路である。一説では血管に付随するように存在している、という見方があり、血液と同じく、その回路を以て魔力が体を循環しているというのが定説だ。
そして、血管に血栓が溜まり血流が悪くなるのと同じように、魔力回路にも詰まり…淀みが生じる。
この魔力回路が詰まっていると、魔法の出力が落ちる。
また、代謝と同じように魔力が体を循環する様を魔力換装性と言う。
「優れた魔力換装性もまた、必要な機能だな。それが優れていないと常に第零世界へのアクセスなんて不可能だからな。
まったくの偶然とはいえ、素晴らしい広い物をしたよ。……そうは思わんかね?」
シトラス・ネルデガーは実験器具に繋がれた少女に視線を送り、ニヤリと口角を上げる。
「セレス・マキナとやら」
「お、おァ゛……」
繋がれていたのは、十二歳の少女であった。
鎖で全身を縛られ、耳に管を入れられ、点滴のように全身のいたることろに針が刺されていた。
刺された点滴の中には半透明の不気味な液体が流れている。
生きているのが不思議、と言うくらいにグロテスクな状態な容姿に成り果てながらもセレスは生きていた。
「ははは!!!まだ息がある!それどころか、こちらを睨む気概があるとは!!」
「とんでもない才能の持ち主も居たものですね。末恐ろしい……」
死を繰り返しても擦り切れぬ強靭な精神に加え、新品のホースのように詰まりのない優れた魔力換装性。
そして、超絶高等魔法である第零世界へのアクセスが可能という、全ての適正を満たす世界有数の素質を持った少女がセレスだった。
「マキナ家と言えば六氏族が一家、テトラ家に次ぐ魔道具作成の
「使いようによっては本当に魔道具作成の良い媒体になりますね……」
研究者たちはけらけらと笑う。
女性の職員でさえ少女を労り、慰めようともせず研究が最優先で、道徳心など欠片も無かった。
味方の居ない状況でもセレスは折れず、研究所内にいる人間を睨みつけていた。
「許ざ、ない゛……!お前だぢなん、で、あの人、が、絶、対に
「ほう?誰がここまで君ごときを助けに来るというのだ?君は此処で我らの研究に尽力することがすでに定められた未来なのだよ?」
「うる、ざい……!」
ガラス数枚越しに煽る様に話しかけられ、裸体を晒され、自由はおろか人権すらない状態でもセレスは自分と言う『個』を維持していた。
「本当に……なんて精神力でしょうか」
「そうだな。流石今現在千回死んでいるだけのことはある」
「この千回も、普通の人間ならギリギリ思いついて実行できる殺害方法ですからね」
ただの殺害方法ではなく、家畜に使うような方法、死刑に使う方法、魔法で、錬金術で。
ありとあらゆる方法で徹底的にセレスを殺していた。
肉体自体は錬金術で何度でも造り治せる。
魂は魔法で保管できる。
そういう機械は存在するのだ。
倫理観という観念はすでに過去の物になっていた。
「見てるこっちの気が保たなくなりそうな時間を耐え切ったのだ。この少女は本物だよ」
「なにがここまで彼女の精神を育てたんでしょうか……。まだ十二歳の身だというのに」
研究員らに指示を出し、機械のスイッチを入れさせる。
「ほれ、千と一回目だ」
「あ゛あ゛あ゛ぁッ………!」
半透明の管の中に、何やら不気味な雰囲気を纏う液体が流され、セレスの体を蹂躙していく。
体をよじり、藻掻こうとするがするも、管や機械が邪魔し自由に身動きが取れない。
蜘蛛の巣に掛かった羽虫のように、空中に磔にされているように苦しむ。涎が垂れる、だとか尿を漏らす、というのは誰も気にならない。
そのまま無残に死ぬか、生きたまま死を経験するか、重要なのはその二択である。
ほぼ宙ぶらりん、体の自由の聞かないセレスに向かい、シトラスは魔法の詠唱を開始した。
「"おぉ神よ その身体に血塗られし
セレスの体が淡く光る。
彼女にされている仕打ちの惨さとはかけ離れたような、陽だまりのような淡い日買いがセレスの体を包んでいる。
光の繭、と形容するべきモノが消え、何もされていないセレスの体が産み落とされた。
「う。……わぁ、…っ、ごはっ!」
先ほどまで体の身ならず精神までもを蝕んでいた死の実感と恐怖から解かれ、空っぽの胃の中身をぶちまけた。
吐しゃ物がセレスの口から落ちる姿を見て、シトラスは恍惚の表情をまた浮かべた。
「おぉ……!またしても成功だ……!」
「えぇと、次は……『錬金術を使用し、身体内の血液の沸騰及び骨髄の砕骨』ですね」
「ほほほ、これを経てもまだ正常な精神を保たせるか!なんと素晴らしい!!」
体中が文字通り沸騰する感覚と、全身の感覚が失われていくのを体感し、およそ耐えられない拷問すら乗り越え、セレスの精神は保った。
身体は新品の物にすり替わった。
代用の利かない中身である魂の、精神の部分だけ気にしていれば セレスは生きている…もとい、死んでいるだけで彼女は死を克服していく。
通常では考えられない手段も、実行できない手段も魔法と錬金術があれば凡そ可能なのだから。
死ぬ前と寸分たがわず違わぬ裸体を衆目に曝している少女を無視し、研究員らは次なる項目に移ろうとしていた。
「次、だ。ふむ……お、単純でよかったのぅ。『血液を水銀に変える』だそうだ」
「な、にがだ、んじゅん……でず、って…?!」
吐しゃ物でぐちゃぐちゃになった口元を拭いながらセレスはガラス越しに自分以外の全員に凄んだ。
もちろん、抵抗する力も持たない少女の睨みなど、子犬の鳴き声に等しい物だ。
それよりも、今実際に死んだのにすぐさま誰かに怒りの感情を向けられるその精神力にその場の皆が驚嘆した。
「まだ耐え……!…ふふ、ふは…ふははははははは!!!!!」
その高笑いは研究員らの胸中の代弁であっただろう。
笑いたくもなるだろう。
千度の死を経験してなお折れない精神力に。
「私が、私たちが死を超越した!!生命の原理などもはや旧い!!新時代の幕開けだッッッッッ!!!!」
セレスは何度も訪れる死の実感に既に慣れていた。
消える意識と感覚。慣れるのに時間はかからなかった。
(………辛い、だなんて思わない。だって、私は生きているから。縛られて、裸を見られていても、生きてるから。まだ、私が私だってわかるから)
彼女には強い「個」と「我」があった。
鏡に映った自分を見るように自らを見る彼女にとって、死はあくまでも人間が主題のドラマの一シーンに過ぎなかった。
今の状況は、同じようなシーンを何回も繰り返し再生しているだけ。
その光景には飽き飽きするが、ただそれだけだ。
(さぁ、とっとと私を殺しなさい。十二歳の子どもだからって舐めないでちょうだい。あの人が来るまで、私はここで耐え続ける!)
千と二回目の死が
消えていく意識の中で聞こえた言葉……おそらく死因だろう。
それを聴きながら、暗い
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