第18話 10年前の写真

「……どうしてそう思った?」


 場の空気が凍りついたように感じる。

 杏子が、杏里が、俺が。

 三者三様に、その場から固まって動けなくなった。

 幸い、スオーは店奥に引っ込んでいるようだ。


 それよりも。なぜ。なぜ気づいた?


「いえ、最近杏里が軍曹さんの写真を見て、呟いたんです」


 杏里がハッとした顔になった。

 ……心当たりは最初からあったのか?


「お兄さん?って……」


 いや、とはいえすぐに兄妹だという結論は付けられまい。

 ただ顔が似ている、と言うだけで血縁関係者だと断定するのは、医療関係者を希望する杏子にとって拙いことだと分かっているはずだ。

 では、なぜ彼女らと会って1日も満たずにバレたと言うのだろうか。


「それで、家に帰って調べました。軍曹さんの事と、私たちの昔を。……お母さんは忙しくて家に居ないので、電話でお弟子さんに訊くことになりましたが……」


 ウィシュカルテ家は、昔からこと医療関係に関しては六氏族を退けるほどに大成した家だ。

 軍事関係者が二人しかいないし、その階級の関係上、貴族判定はされていないが帝国民からすれば立派な貴族だ。

 そんなウィシュカルテ家であれば、その気になれば様々なことが調べられる。

 今回もその例に漏れなかったというのか?

 俺の戦々恐々とした心など知らないと言わんばかりに杏子は自分の言葉の裏を取るために用意した物をテーブルに置いた。


「私、昔イシュミールと言う家の人と、写真を撮っていたみたいなんです」


 10年前に撮った、俺が5歳になった時の写真だった。

 ……まだ、あの人が居る、数少ない写真だ。

 俺も、全く同じ写真を家に保管している。

 だから、分かる。


「見てください。……この真ん中に写っている男の子が、軍曹さんに似ていると言うか。昔の軍曹さんなんじゃないかなって思って……」


 俺だ。

 間違いなく、10年前の俺が写真にいる。

 あの時は、みんな一緒に暮らしていた。

 当時3歳の杏里杏子が覚えているわけもないが……。


「お願いします。……本当のことを教えて欲しいのです」


 俺の立場からでは、何も言えない。

 言っても問題はないが、言えない。

 過去に触れる。それは俺にとって何よりも避けたいことなのだ。 

 無言。俺が出来ることは黙秘することだけだった。

 だが、この場においては沈黙は肯定と同義。

 否定するなら迅速に、かつ的確にしないといけない。

 だが、だが———。

 俺は、出来なかった。


「無論、違う可能性を考えました。ですが……」


 杏子は、写真の他に書類と何かの破片を数枚取り出して写真の隣に置いた。

 ……まさか。


「すいません。さっき軍曹さんのお怪我を処置した時に皮膚を少しだけ拝借して、調べさせてもらいました」


 まさか。まさか杏子。

 お前は、君は。

 たった一人で、この短時間でそこまで気づいて、実行したというのか? 

 今朝の模擬戦あとには、すでにほぼ確信を得ていたと言うのか?

 しかも、それを迷わずに。

 双子の姉の、ふと漏らした取るに足らない一言を証明したと言うのか?

 どうしてだ?なにが君を、そこまで駆り立てた?


「お父さんが我が家にはいないので、サンプルとして不十分でしたが……」


「遺伝子の一致率が規定値を超えました。生物学上の兄妹であることが証明されました」


 絶句。

 彼女の行動力にでも、思考にでもなく。

 そうなってしまった、自身の運命に。

 そして、今まで固まっていた杏里だが、やってここで状況が理解できたのか、動いた。


「待ってください杏子!話が急すぎますし、そもそも軍人さん相手に同意無しにそんなことしたら――!」


 いや、ここまで来たら怒るかなんてどうでも良い。

 むしろ、よくここまでやったと褒めてあげたい。

 俺に警戒されていない存在だったとは言え、ここまで綺麗に目的を完遂されたとなれば、もうお手上げなのだから。


「では、関係ない質問なんですけど……。私、軍曹さんに自己紹介、しましたっけ?私はした覚えないのですが、最初にお会いした時、私の名前、呼びかけましたよね?」


 本当によく聞いていたと思う。

 おそらく、俺がミスしたのはそこだけだったと思う。

 そのたった一つのミスで、彼女は自身に湧いた疑問を確信に変えたと言うのだがら。

 もう、笑うしかない。


「………誰かに言った?この事」

「いえ、今ここで初めて言いました。そもそもさっき判明したので」


 そうだろうな。

 学院にある道具を使ってこの結論を出したはずなので、話す人も時間もなかったはずだ。


(………どこから話すべきか。そもそも、話していいのか……?)


 話してはいけないと勘が告げている。

 だが、ここまでやってのけた杏子の努力と時間を否定するわけにはいかなかった。

 俺は『お兄さん』なのだから。


「詳しいことは今はまだ話せない。が、そうだ。杏子。君の言うことは概ね合っている。……俺は、君たちの兄だ」


 杏里が今度こそ固まった。

 杏子は驚かず、ただ俺の目を見ていた。


「……どうして今まで伏せていたのか、とかはまだ話せない。……俺も口外禁止だったからな」


 どこかへ飛んでいっていた意識が戻ってきた杏里が、取り乱したまま言葉を発した。


「え?!じゃあ私たち、フミカさんとも姉妹……?!」

「……悪いが、話せない」


 この辺りは本当に混み入った事情になる。

 もしかしたら、俺はこの子たちを知らないうちに裏切り、辛い目に合わせていたのかもしれないのだから。


「そうですか。……最後に二つ、聞いてもいいですか」

「……答えられなかったら無言になる。それでも良いなら」

「……今この会話の全て、他言禁止ですね?」

「あぁ」


 勿論だ。この話の『真実』を知っているのはこの国で10人に満たない。

 タブーどころではない。

 知っていたら、即刻死刑だ。


「……二つ目です」


 先ほどまでの緊張感はどこへやら。

 杏子はこれ以上ない程笑顔になった。


「お兄ちゃんって呼んでもいいですか?」


 ……俺は、この子から何を奪ってしまっていたのだろうか。

 今となってはわからない。

 彼女たちの為だとしているが、果たしてそれは正しかったのだろうか?


「……好きにしろ」

「あ、じゃあ私からも一ついいですか?!」


 杏里からも便乗が来た。

 なんとなく、分かる。

 彼女の言いたいことが。


「もっと優しく、親友みたいに……じゃないや。家族っぽく接して欲しいです!」


 ……俺は、彼女達から笑顔と家族を奪ってしまったのだと認識した。

 余計な言葉など要らず、そこにいるだけでお互いが安心出来る『家族』を。

 俺が、男や軍人としてではなく責任を取るのであれば――。


「……善処はす、」

「言葉遣いが硬いです!はい!もっと柔らかい感じで!」

「……気をつけるよ」

「合格!」


 ただ一人の、『兄』としてだけだ。

 

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