第12話 たまには過去を一つまみ

「あれ、ルシウス」

「ダンダリオン」


 自分らしくも無く、速歩術で軍施設内を移動している俺を発見できたダンダリオンに呼び止められた。

 この移動術、動体視力がかなり優れているか、同じくらいの技量の領域にいる人間でしか見えないはずだが…。


「どうした。お前が息切らして走るなんて。……何か火急の案件か?」

「いや、ちょっといいことがあってな。そういうことは何もない」

「そうか」


 こういう時のダンダリオンは詮索をしない。

 俺の言う「いいこと」の基準を知っており、そこにツッコミを入れる程命知らずではない。


「じゃあ俺、ちょっと急いでてな。すまない」


 ちょうど曲がり角の方からこいつの婚約者のフィオの声がするので、さっさと別れてしまおう。

 ダンダリオンの静止の声を聴く前に俺はまた地面を強く蹴り、移動する。

 浮足立っているのを自覚する。

 一秒でも早く自宅に戻り準備を始めなくては。


「……あれ?ダン様?どうされました?」

「いや、あんなに子どもっぽいルシウス、久しぶりに見てな。……家族がらみで何か進展あったのか」



 普段は使わない秘匿回線を使用し、私はとある女の子に電話を掛けた。

 ぷるる、と一回目のコールが終わる前に、その子は受話器を取った。

 世間話もほどほどにして、学院にルシウスが行くという旨を伝えると電話口から明らかに怒った声が飛んできた。

 その電話の相手は――。


「というわけで、よろしくね。フミカちゃん」

『よろしくね、じゃないわよ!姉さん』


 私の妹、フミカちゃんです。

 今、学院に講師として潜入している、私の直下部隊のリーダー。

 因みに私の直下部隊というのは『リ・ルーラ』。

 男子禁制、女子の部隊。私が指名した子達による、主に潜入任務とか情報収集がメインの仕事になる裏方の存在。

 戦闘に不向きだけど活躍したい、って子が多い組織。

 一応、フミカちゃんは少尉に成るにあたって薙刀を振るうようになったけど、八割くらいの子は近接戦闘は無理で、ほぼみんなピストルやら何やらを所持してる。

 さて、そのリ・ルーラのリーダーがなぜか私を叱っています。心当たりがありません。

 私情を任務に挟まない。帝国軍人であれば絶対の法則のはずなのだけれど……。


『そういうことじゃない!あの子が!どれほど!辛かったのか知ってるでしょ?!』

「……知ってるわ」

『じゃあなんで?!あの子、もし今度こそ折れちゃうじゃない!今度こそあの子は……!』


 昔、ルシウスの身に怒ったことを思い出す。

 純粋、高潔。正義感の塊。生まれながらにして絶対の強者。そんなあの子に初めて起きた挫折と苦悩、困難に満ちた半生を。

 血を啜り、涙を流すことも許されず。ただただその身を振るい、消耗させるだけの運命を自覚させたあの日。

 それを思い出していた。


 私だって分かっています。

 彼にとって残酷で、耐えがたい現実を突きつける行為になるとしても。


「……それでも。私はルシウスがそれを望むなら応えてあげないと」


 彼が、ルシウスが。今を後悔しないよう、目一杯生きていくために。

 総てに応える。そのために私は生きています。

 それに。私は彼の――。


「お姉ちゃんだから。弟の前でカッコつけたいな、って思わない?」

「……私は姉さんと格好の付け方が違うから理解できない。できないけど……」


 長い、沈黙。

 そう。彼女もまたお姉ちゃんで。

 彼の大切な『家族』なので。

 答えは、決まっています。


「そうありたい、とは思う」

「ふふ」

「なによ。文句ある?」

「ないわよ。ただ、昔を思い出しただけ」



 降りしきる雨。灰色の空。泥濘しか見えない世界。

 血だまりの中にいた彼は、既に冷たい骸を抱いていた。

 動かない。動かせない。全てが終わり、息絶えた骸を。

 もう、治ることのないソレを、彼は何よりも大事そうに抱えていた。


 絶望に打ちのめされ、光も見えぬ地獄の底のような状況で、彼は吠えていた。

 声よ届けよと。世界に訴えていた。

 けれども、届かない。誰の耳にも届かない。

 誰も目もくれない。見ようとしない。

 この広い世界の中で今朽ちる、たった二つの命など。


 五歳にも満たない、一人の少年が絶叫した。

 血を吐いて、涙を流し。ぐちゃぐちゃになった顔で、叫んでいた。


「子どもじゃん!僕も!アンタも!同じ子どもじゃないか!!それなのに、何が違うの?!」


 それに相対するは、一人の少女。

 彼のことなど何も知らず、分からない。

 同情すら許されぬ、ただ一人の少女。


「いいえ。アナタも、私も違うわ」


 二人が、お互いの思想を押し付けあうように睨みあっていた。


「どこが?!体も小さくて、大人には敵わなくて!こうやって喧嘩しないとお互いに意見も言えないのに、どこが違うの?!答えられないじゃん!そういうことだって、アンタもわかってるってことじゃないか!」


 その少女は、反論出来ませんでした。

 その時の少年の境遇、心境はいまだに分かりません。

 でも、昔からずっと変わらない、自分なりの答えを私は彼に言い聞かせていました。


「でも。それでも。だって、私は……」


 アナタが愛し、今その手に抱かれているそのお方には遠く及ばなくとも。

 私という存在が、彼にとってこれ以上ないほどのノイズだとしても。


「私はアナタの『お姉ちゃん』だから、ね?」


 それだけは変わらない。

 私は、アナタのお姉ちゃん。

 世界が敵に回ろうとも。

 私はあの日、誓ったの。


 私は――。


◾️

 

『もしもーし!大丈夫!?お姉ちゃん!?』

「あらら、ごめんね。ちょっとぼーっとしてた」


 昔のことを思い出していたら、意識が飛んでいたらしく、フミカちゃんにすっごい名前を呼ばれていたみたい。

 ……イイ女は過去を振り返らない、とはよく母上に言われていたけれど、あの子との思い出は数えきれないくらいあるし、なんなら時々、全部思い出してる。

 忘れ難き、縁の記憶。

 懐かしき、あの日々。

 合縁奇縁とはよく言ったものね。

 この世界に神なんていないと思っているけれど、あの子との出会いに関しては心の底から感謝してる。


 と、また意識がフミカちゃんから離れてしまったわ。


『大丈夫?ここ最近忙しそうだし、休んだら?』

「心配には及ばないのよ。今日はもう仕事ないし、帰って寝るのよ」

『そう。……じゃ、時間作るから、この後ご飯でも行こうよ』

「いいわね!じゃあパフェ!」

『パフェは主食じゃなーい!もう!じゃあね!!また後で!』


 久しぶりに食事の約束をし、電話を切る。

 二人きりの食事は本当に久しぶりね。最後に姉妹で食事に行ったのは私が尉官になった時かしら。


「ふぅ……」


 帰り支度と戸締りをしながら、私は思い出の中であの子に言った言葉を思い出した。


(「お姉ちゃんだから」、か)


 ……私は、ちゃんとお姉ちゃんらしくいられてるかしら。

 あの子に、呆れられてないかしら。

 ……考えれば考える程、不安になっていく。

 だけど、私は大丈夫。

 だって――。


(大丈夫。私はお姉ちゃんなんだから)



◾️


「サツキお嬢様、準備が整い次第出発致します」

「えぇ、分かっているわ。この状況なら彼なら乗ってくれるはずだもの。……私も、それに乗らない手はない。違う?」

「仰る通りでございます。……根回しも済んでおります。……あとは、天のみぞ知りうるところです」

「そうね。……さぁ、行きましょう。我らが怨敵の目標地へ」

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