第24話 昇進、選択、家族
第六区画支部・駐屯所半壊。
そのニュースはイシュトゥリア帝国を大きく騒がせた。
かつてクーデターが起き、王家の権力が手放された十年前以来のテロ的行為。
十年前は当時の王家及び貴族の権力の完全撤廃が確約されていたので、大規模な紛争にはならずに済んだのでとりたて言うこともなかったのだが、今回は違った。
正面きって軍の一部に喧嘩を売ってきたことは今まで無かったからだ。
しかも、狙われたのは第六区画。区域の人口の八割が学生や児童というこの区画で起きた事件で国が騒ぐのは道理だろう。
事故の可能性はなく悪意によって起こされた事件ということもあり、帝国軍は緊急臨時会議が招集された。
三人の元帥……三帥と、五人の大将と彼らを纏める総大将の総勢八名と一人が円卓に着いていた。
否、声だけが円卓室に響き、呼び出された一名のみが座っていた。
だが、座るその人物には発言権はない。ただ言葉を受け取り、為すべきを為すのみである。
八つの声のうち、一つだけが延々と言葉を紡ぐ。
あくまでも平等だ。その中でも担当の職務があり、今回は『国防部』担当の者が喋っているだけだ。
その内容が如何なる物であるか、そもそも呼び出されたのは誰なのかを知る者はいない。
声だけが響く。
影はただ頷くのみ。
◾️
「…………」
俺は自宅の仕事部屋(と便宜上読んでいるだけのただの書斎)書類と睨み合いを続けていた。
字が読めないだとか、そう言ったことがあったわけでもない。
ただただ、内容の理解に頭が追いついていないだけだ。
青天の霹靂という言葉がある。
ざっくり説明すると『突然起きたびっくりすること』という意味になるが、今の俺の心境は
「………はぁ」
いや、おかしくはない。
第六区画の一件から、十分にあり得るし考えられることだ。
ただそれが想定よりもめちゃくちゃ早かった、というだけだ。
あと二年はあり得ないと思っていたが……。
俺が読んでいた書類の一枚には……。
『本年度開始に伴うルシウス・シグ・イシュミール軍曹の階級の昇進について』
『ルシウス・シグ・イシュミールは、本日付けで【軍曹】から【特尉】とする』
『特尉とは、特別処理例外尉官の略称である。貴殿の今までの功績や戦績、帝国への貢献度は著しい物があり、軍曹階級では役不足だと佐官、将官より全会一致で判断された。よって特定権限を規制した【特尉】という階級を下賜するという結果に至った。尚、これは六氏族も全会一致しており、拒否権は無いものとする』
内容を一部割愛するが、こういうことらしい。
………今年十六歳になるからか、尉官への打診がされたと見ていいだろう。
軍曹から曹長になるのが通常の昇進過程だろうが、なぜかそこがスルーされている。
実際、職務には大差はなく、最前線での指揮官があるかどうかしか違いがない。
しかも、俺はそもそも指揮を執るつもりがないので曹長にならず軍曹のままでいい、と思っていたが……。
まさか尉官。それも特別尉官というかなり例外の処理をされた上だと言う。
一部権限の規制、と言うのは尉官の人間に当てがわれる作戦本部長への任命権がないことらしい。
少し話が逸れるが、尉官クラスに属する人間は前線で戦えない。
カレンさんとその他ごく少数の者はそんなこともないのだが、尉官クラスは通常の軍事学校卒の最終到達階級だからだ。尉官より上……佐官を目指すのであれば並の努力才能では到達し得ない。
それもあり、定年で退職する者が尉官らのほぼ六割超なので、ゴリゴリに戦闘ができなくなる。
要は最前線で戦える尉官クラスの人間が欲しいのだ。尉官+戦える。これだけで特別な措置を講じる価値があると判断されたのだろう。
なお、最前線での指揮権そのものはあるようで、有事の際は最高責任者になるらしい。
が、突然特尉になることは大して重要ではない。
青天の霹靂とは言ったが、これはあと二年くらい先にはあり得ると思っていたから。
今、その上をいく霹靂が落ちて来たと言ってもいい。
ぴら、ともう一枚の書類を見る。
『杏里・ウィシュカルテ及び杏子・ウィシュカルテ二名の戸籍謄本移動関係書類』
………なんだこれは。
わざわざ十年前に関係各所に頭を下げてあの二人を俺から遠ざけようとしたのだが。
差出人はウィシュカルテ現当主、ケイト・ウィシュカルテ。
人は彼女を天才と呼ぶ。俺から見てもそう思う。
今日に至るまで、こと『医術』に通じるものは全てウィシュカルテが牽引してきたと言っても過言ではないのだが、ケイト氏はその歴代当主中でも経歴がずば抜けている。
長くなるので割愛するが、あの方の登場で医学が五十年分は進歩したと言える。
その現当主がなぜ今頃、このタイミングで戸籍を俺……もとい、イシュミールに返した?
考えが読めずに俺はただ頭を抱えていた。
と、書類睨めっこをしていると書斎の扉がノックされた。
「失礼致します、ご主人様」
「……ヒメか」
書斎に入ってきたのはこの家……館?の唯一のメイド、ヒメだった。
ヒメ、というのはあだ名ではなく本名。
本人はヒメではなくメイド長と呼んで欲しそうにしているが、ガキの頃からヒメはヒメなので今更変えられるわけもなく、しかもメイドはヒメ一人。無理がある。
それなりに大きい我が家だが、それを一人で家事を行うあたり能力があるのは間違いないが、コイツはそれ以上にちょっとした問題がある。
「……何をお悩みになっているので?」
「……戸籍謄本、だな。あえて言うなら」
「……どこぞの誰かを孕ませたので?」
「んなことしてねぇよ」
……こういうところだ。
毒を吐くと言うか口が悪いというか。
時折本当に驚くので心臓に悪い。
「……ま、お前には見せてもいいか。これだ」
例の書類をヒメに見せると、普段は変わることのない彼女の目が見開かれ、大きさが少し変わった。
「……ウィシュカルテ家より二人、ウチに来るんですか?」
「検討中。……あの二人の希望次第だな」
ケイト女史が「そうするべき」と判断したが故の行動か、あの二人が望んだ結果そうなったのか。
それによって俺の回答も変わるのだが。
「十中八九、その子たちが望んだ形かと思われますが」
「え?」
「ご主人がご主人だから、という理由のほかに思い当たりませんし。それに、元の鞘に収まると言えばそうですし」
元鞘ってなんだよ。
確かに、昔はみんな一緒に住んでいた。その思い出の物もある。
杏子が俺との血縁関係を証明すべく持ってきた写真も、同じものを家のアルバムに保管してある。
思い出は思い出のままであるべきだと俺が決断し、十年の間、徹底的に線を引いていたのは俺だ。
「今更、そんなことが許されるのか?」
彼女らを突き放したのは間違いなく俺で。
彼女らは、間違いなく苦しい思いをしていたはずだ。
そういう選択肢を取ったのは俺なのに。
「許されるも何も、ご主人様は十年間立派に責務を果たしているではないですか」
「……立派なもんかよ」
人を殺し、正義を成す。
だが、正義なんて人の身で背負うには些か過ぎた物だ。
果たして俺は、立派な人間なのだろうか。
「ご主人様の思う『立派』がどのようなものか、私は存じ上げませんが………」
「「すいませーん!!」」
正門の方から少女が二人、呼び鈴を鳴らしながらおっかなびっくり、しかしどこか興奮したような声で玄関扉に声を掛けてた。
「少なくとも、少女二人の心を動かすには十分に働いておられるかと」
くる、と書斎から玄関に向かおうとするヒメの背に、俺はつい声を掛けてしまった。
「…………四人分の紅茶とお菓子の準備を頼む」
「承知いたしました」
ふふ、と慈愛に満ちた目で俺を一瞥し、出て行った。
この選択は。
そして選択を積み重ねてきた今までの人生が間違っていないことを祈りつつ、俺は応接間に向かった。
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