エピローグ

 リスナーに対するカサンドラのツッコミは思いのほか大きく、薔薇の園に囲まれたお茶会の席に響いた。それに気付いたカサンドラは青ざめて、急いで王太子に頭を下げる。


「し、失礼いたしました」


 深く頭を下げたまま、さきほどのセリフについて思い返す。

 カサンドラが声を大に叫んだのは『それが原因で求婚されるなんて、本末転倒もいいところではありませんか! さては皆様、私を騙しましたわねっ!?』という部分。


(ど、どう考えてもアウトですわっ!?)


 誰かの入れ知恵を受け、婚約を回避しようとして失敗した。それ以外に受け取りようがない明確なセリフ。それを聞いたローレンス王太子がどう思うかを想像して冷や汗を流す。


「カサンドラ、いまのは――」

「い、いまのは、空耳ですわ!」

「……いや、たしかにカサンドラが叫ぶところを目撃したのだが?」


 冷静に突っ込まれた。

 カサンドラは目をぐるぐると回しながら、それでも言い訳を絞り出した。


「わ、わたくしが空耳ですわ!」

「……は? おまえはなにを言っているんだ?」

「いえ、その……ローレンス王太子殿下に求婚されたことに動揺してしまったのですわ!」

「ふむ、そうか」

「はい、そうですわ!」


 勢いで乗り切ろうとする。

 無論、そんなことで誤魔化せるとは思っていなかったのだが――


「そうか、俺の言葉に動揺してくれるのだな」

「~~~っ」


(この男はあぁぁああぁぁぁぁぁっ!)


 声にならない悲鳴を上げて身を震わせる。そうして過呼吸になっていると、侍女として同行していたセシリアが割って入る。


「恐れ入ります、ローレンス王太子殿下。カサンドラちゃんは恋愛事に耐性がありませんので、少し落ち着く時間をいただけますでしょうか?」


 ここしばらくの教育で、彼女の礼儀作法は少しはましになっていた――が、素の部分は改善されなかったようだ。セシリアの物言いに、他の侍女達が目を見張った。

 けれど――


「おまえは……そうか。いいだろう。ちょうど話を聞きたいと思っていたところだ。カサンドラが落ち着くまでのあいだ、おまえからみたエクリプス侯爵領のことを聞かせてもらおう」


 セシリアに気付いたのか、ローレンス王太子は小さく笑う。こうして、カサンドラを残した他の者は一人残らず退席した。

 一人残されたカサンドラは、カメラを摑んで呻き声を上げる。


「助けてください、お友達の皆さん! あの王太子殿下、わたくしを全力で堕としに掛かってますわ! このままでは破滅してしまいます!」

『ワロタw』

『カサンドラお嬢様、染まりすぎじゃない?w』

『単に口説かれてるだけだと思うがw』


 リスナーの言葉は軽い――けれど、カサンドラにとっては死活問題だ。


「皆様、わたくしがローレンス王太子殿下と婚約したら、破滅するといいましたわよね?」

『正確には、嫉妬に狂ったら、だけどな』

「ローレンス王太子殿下が浮気するなら同じことですわっ!」

『嫉妬しちゃう宣言可愛い』

『カワイイ』

『かわいい』

「黙りやがれですわーっ!」


 叫んで、肩で息を吐く。


『というか、いまのカサンドラお嬢様なら大丈夫じゃない?』

『そうだよな。ローレンス王太子殿下も、セシリアに会った上で、カサンドラお嬢様を選んだんだろ? なら、一途に思ってくれるんじゃないか? たぶんだけど』

「わたくしの命が懸かっているのに‘たぶん’とか言うなっ、ですわっ!」


 コメントに『www』と笑いを示す草が大量に生えるが、カサンドラは至極真面目だ。それを察したのか、リスナーの意見も少し親身になった内容が流れるようになる。


『真面目な話、大丈夫だと思う。って言うのが俺達の結論。もちろん、リスナーの全員が納得してるわけじゃないけど、みんなでこれだけは伝えようって決めたんだ』

「……みんなで、ですか?」


 いまのカサンドラは、リスナーが一人ではなく、多くの人間の集まりだと理解している。その上で、自身の配信を初期から見ている古参達がいることも。


『カサンドラお嬢様も気付いてると思うけど、セシリアはローレンス王太子殿下に興味がない。というか、カサンドラお嬢様のことを好いている』

「まあ……それは、なんとなく」


 ユリの意味も最近は理解しつつある。

 セシリアが何処まで本気かは分かっていないけれど。


『それに原作での婚約は、カサンドラお嬢様がローレンス王太子殿下と婚約できるようにわがままを言った結果だったけど、現実はローレンス王太子殿下が自らの意思で動いてる』

「それは……理解できますわ。でも、原作だと浮気をするのですわよね?」


 カサンドラにとって重要なのはそこだ。いくら想いを寄せているとはいえ、浮気されても好きで居続けられるほど強くはない。


『みんな浮気って言ってるけど、それは正しくないぞ。原作のカサンドラは悪役令嬢と呼ぶに相応しい振る舞いをしてた。国母に相応しくなかったから、婚約を解消されたんだ』

『ローレンス様のルートね。聖女であるヒロインはすぐに彼と親しくなるの。でも、友達以上の関係にはなれない、って展開がしばらく続くのよ。その理由は……分かるでしょ?』

『王太子は婚約者に誠実だった。でも、国の象徴である聖女に気を掛ける必要があった。最初はそれだけだった。なのに、悪役令嬢が嫉妬して……っていうのが切っ掛けよ』

『だから、ヒロイン視点……いや、ヒロインだけじゃないな。悪役令嬢以外の視点で見れば、ローレンス王太子は誠実な男だよ』

『悔しいけど、ローレンス王太子はカサンドラお嬢様に相応しい男だよ』


 少し視点を変えれば印象はがらりと変わる。

 この世界の元になったのは人気の乙女ゲームで、ローレンス王太子はその乙女ゲームの攻略対象筆頭だ。浮気をするような男性が、多くの女性から支持を集めるはずがない。


「では……わたくしの恋は叶えられる?」

『たぶん』

「たぶんだなんて……」


 自分の未来が掛かっているのにと眉を寄せる。


『カサンドラお嬢様、普通は未来に保証なんてないんだ』

『それに、破滅が怖いのは分かるけど、怖いだけじゃないんでしょ?』

「それは……はい」


 憧れの王太子に求婚されたカサンドラの胸はいまも高鳴っている。


「わたくしは……幸せになれるでしょうか?」

『きっとね』

『なれるさ! カサンドラお嬢様ががんばったの、俺達は知ってるぜ!』

『幸せになれる! だから――お別れだな』

『カサンドラお嬢様、いままで楽しかったよ』


 リスナーの言葉に、カサンドラは目を見開いた。


「……ど、どういうことですの?」

『配信スキルに規約があっただろ? 24時間垂れ流しって仕様上、恋愛、婚約、結婚を禁止する。それらを破った場合、配信スキルは消滅するって』

『だから、これでお別れなのよ』


 リスナーの言葉が理解できなかった。

 否、本当は理解できていた。

 理解したうえで、認めることが出来なかったのだ。


 だが、事情を知らなかったリスナーが、カサンドラに現実を突き付けた。


『え、嘘! これで終わり?』

『配信、終わっちゃうの?』

『まだ続けてよ!』

『諦めろ。いや、俺だって嫌だけどさ。カサンドラお嬢様は破滅回避を目標にここまでがんばって、ようやく、破滅しない、幸せな未来を得ようとしてるんだぞ?』

『背中を押してあげるのが、リスナーの……うぅん、友達の役目よね』

『そう、だよな。俺達、友達だもんな!』

『カサンドラお嬢様、幸せになってね』


 奇跡のように、温かい言葉がずらりと並んだ。だけど、だからこそ、それがリスナー達が自分達の感情を押し殺し、カサンドラのために無理をしていることはすぐに分かった。


「わたくしは、皆様に救われたのに……」

『救われたのは俺達も一緒だよ』

『すっごい楽しかった!』

『俺は終わって欲しくない! でも俺は、カサンドラお嬢様が破滅を回避して、いつか幸せになるのを願って配信を見てたんだ! だから……幸せになってくれ!』


 幸せという言葉が胸に響く。

 両親を早くに失い、寂しい思いをして育ったカサンドラ。彼女が破滅する根本的な理由は、愛情に飢えていたからだ。

 だから、カサンドラが真に望んでいたのは破滅の回避ではなく、愛情を得ること。その愛情を注いでくれる相手が、カサンドラの想い人が手を伸ばしてくれている。

 だからローレンス王太子の手を取れ――と、リスナー達は声を揃えた。


「わた、わたくしは……」


 リスナーとの日々を思い出して涙が零れた。


『泣くなよ、カサンドラお嬢様!』

『最後は笑って送り出そうと決めてたのに、止めてくれよ』

『おかしいな、モニターが滲んでる』

『俺は……俺はこの配信が生きがいなんだ。この配信のおかげで、俺もがんばろうって思えた! だから止めて欲しくない! ……でも、ここで引き止めたら、俺はずっと後悔する気がする。だから……俺は嫌だけど、カサンドラお嬢様は自分の信じる道を行ってくれ!』

『私も配信が終わるのは嫌だけど、カサンドラお嬢様には幸せになって欲しいよっ』

『カサンドラお嬢様、本当に楽しかったわ!』

『私は貴女のおかげで、亡くなった後輩と話すことが出来たわ!』

『配信でたくさん元気をもらったよ!』

『俺は魔術の本のおかげで魔術を使えるようになったお!』

『さらっと妄想を混ぜるなw』


 コメントが笑いに包まれる。

 そして――


『とにかく、救われたのはカサンドラお嬢様だけじゃない』

『私達もたくさん救われたの。だから、今度はあなたが幸せになる番よ』

『だから、幸せになってくれ!』

『そうだ。末永く破滅しろ!』

「破滅はしたくありませんわよ!?」


 カサンドラは叫び声を上げた。

 それから思わずといった感じで笑みを浮かべる。


「皆様、ありがとうございます。皆様はやはり、わたくしの大切な友達ですわ。そんなあなた達が背中を押してくれたおかげで、わたくしは覚悟が決まりました」


 カメラを手放したカサンドラは涙を拭って席を立った。大きな決断を下し、少し離れた場所でセシリアと話しているローレンス王太子殿下の元へと向かう。

 まっすぐに王太子殿下を見つめる彼女の瞳は美しく輝いていた。


「……カサンドラ、答えは出たようだな?」

「はい」

「ならば、聞かせてもらおう」


 カサンドラは一度大きく深呼吸をして、それから一度だけカメラに視線を向けた。そして最後に片手を腰にあて、ローレンス王太子に指をビシッと突き付ける。


「ローレンス王太子殿下、ガチ恋勢は出荷ですわよっ!」


 いたずらっ子のように笑う。中庭にカサンドラの声が響き渡った。ローレンス王太子が「……は?」と困惑し、セシリアが吹き出しそうになって横を向く。


『そうきたかw』

『くさぁw』

『さすが、俺達のカサンドラお嬢様だぜ!』

『そこに痺れる憧れる!』

『すっかり染まってやがるw』


 コメントが笑いに包まれる中、カサンドラは王太子を見上げた。


「わたくし、ローレンス王太子殿下を心からお慕いしております。だから、求婚されて嬉しかったですわ。たとえそれが、政治的判断だとしても」

「いや、俺は……」


 ローレンス王太子はその先を口にしなかった。カサンドラが、その先を言わないで欲しいとばかりに首を横に振ったから。


「でも、いまのわたくしはまだまだ未熟です。ローレンス王太子殿下が評価してくださったスラム街の改革も、わたくしが一人で考えたものではありません。ですから、いまのわたくしは、ローレンス王太子殿下の婚約者に相応しくありませんの」


 未熟だから辞退する――と。

 そう口にすると、ローレンス王太子は神妙に頷いた。


「……そうか。つまり、いまは未熟だから、立派になるのを待てというのだな?」

「え? いえ、その、そのように生意気を申すつもりでは……」

「かまわない。既に八年待ったのだ。あと数年待つ程度、どうと言うことはない」

「え、それって……」


 カサンドラとローレンス王太子は八年前のパーティーで出会っている。そのとき、カサンドラとローレンス王太子はある約束を交わした。それは、立派な王太子になったローレンスが、同じく立派なレディに育ったカサンドラを迎えに行くという内容。


 他の人から見れば微笑ましい、子供同士の約束に過ぎないだろう。カサンドラ自身、ローレンス王太子がその約束を覚えているとは思ってもいなかった。

 だが、ローレンス王太子は覚えていた。

 カサンドラと同じように想い出を大切にしながら、それを表に出さなかっただけだ。


 原作のローレンス王太子がカサンドラを見限ったのは、彼女がその約束を忘れたかのように悪事を働いたから。それは原作では語られなかった事実だ。

 だが、いまのカサンドラは原作の悪役令嬢と違う。あのときの約束を違えず、立派なレディを目指している。

 だから――


「おまえが立派なレディになったとき、あらためて迎えに来るとしよう」

「~~~っ」


 あのときと同じセリフを、あのときよりずっと素敵になった想い人に囁かれる。カサンドラは胸を押さえ、ローレンス王太子殿下に背中を向けた。

 そうして、カメラを引き寄せて口元を寄せる。


「た、助けてください。王太子殿下に堕とされそうですわっ!」

『草ぁw』

『はえぇよw』

『もうちょっとがんばってw』


 リスナーが応援してくれる。

 その暖かさに、カサンドラは強い愛情を感じていた。


 たしかに、カサンドラはローレンス王太子に憧れている。恋をしていると言っても間違いじゃない。だが、愛情に飢えたカサンドラを誰よりも愛してくれたのはリスナー達だ。

 そのリスナーとの繋がりを絶つことは望まない。

 それが、カサンドラの出した答えだった。

 だから――


「もちろん、まだまだがんばりますわよ! だから、これからも応援してくださいね、わたくしの大切なお友達の皆様っ!」



                       終わり

 



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 最後までお読みいただきありがとうございました。

 今作はひとまず完結となります。


 面白かった!

 続きが気になる!

 カサンドラお嬢様を応援したい!


 など少しでも思っていただけましたら、フォローを残しつつ、★をポチッとしていただけると嬉しいです。皆様の応援、何卒よろしくお願いします!

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