エピソード 1ー2

 カサンドラの誕生日パーティーは毎年おこなわれる。

 けれど、彼女の両親は既に他界しており、唯一の肉親である兄は忙しいことを理由にパーティーに顔を出さないことがほとんどだ。


 それゆえ、カサンドラのことを、兄に見放された娘として揶揄するものも珍しくない。しかしながら、カサンドラが侯爵令嬢であるのは純然たる事実である。

 ゆえに、彼女を手に入れ、エクリプス侯爵家の権力を我が物にしようと考える不届き者も存在する。カサンドラの侍女、リズが裏切るのはそういった人間に利用された結果だ。

 ――というのが、リスナーから聞かされた話のまとめである。


「それでわたくしが心に深い傷を負う、という訳ですわね」

『未遂らしいけどな。ただ、侍女に裏切られたことがショックだったみたいだ』

「それは、そうでしょうね……」


 もしもリズに裏切られ、そんな目に遭うのなら立ち直れる自信がないと俯いた。カサンドラは、どうすればそれを未然に防げるかを考える。

 そうしてリスナーに意見を求めるが――


『未然に防ぐのは止めた方がいいと思われる』

『カサンドラお嬢様は信じたくないと思うけど、リズが裏切るような人間であるのは事実なんだ。もしここで未然に防いだら、次はどのタイミングで裏切られるか分からないぞ』

『そうだな。そのときも未然に防げるか分からないもんな。問題を先延ばしにしたら、取り返しのつかない結果になるかもしれないぞ』

『認めたくないのは分かるけど、現実から目を逸らしちゃダメだ』


 返ってきたのは未然に防ぐことに対する否定的な意見ばかりだった。それを見たカサンドラ自身も、リスナーの意見に一理あると思い始める。


「皆様のおっしゃるとおりですわね。わたくしはリズが裏切るなんてあり得ないと思っています。だけど、だからこそ、皆様の言葉が本当か確認するべきだと思いました」


 リズが裏切らないことを願って、カサンドラは行動を開始した。

 まずはリズに用事を申しつけ、他の侍女達と別行動をさせる。そのあいだに他の侍女達にリズの様子がおかしいことを伝え、しばらく監視するように命じる。


 そうして、何事もないようにパーティーに参加した。

 カサンドラを見下している者が多いのは事実だが、中にはそうじゃない人間もいる。カサンドラはそういった者達から情報を集め、聖女が現れた事実を確認した。

 聖女はエメラルドローズ子爵が養女に迎えたらしい。


(リスナーの予言が真実味を帯びてきましたわね。であるならば、リズの件も本当に……)


 姉のような存在が自分を売るかもしれない。

 そんな事実が彼女の胸を抉った。


 それでも、カサンドラは胸を張り、パーティーでの主役としての役割を果たしていく。ほどなくして、侍女のエリスがカサンドラに近付いてきた。

 そうして、カサンドラに耳打ちをする。


「……それは、本当ですの?」

「はい。彼女自身が零したことです」


 目を見張るカサンドラに対し、エリスは真剣味のある顔で頷く。


「分かりましたわ。教えてくれてありがとう」

「……いいえ」


 エリスはそう言って目を伏せる。その様子から彼女の言葉が真実であることを直感的に感じ取ったカサンドラは、すぐに計画の見直しをおこなった。


『なんだ? カサンドラお嬢様、なにを言われたんだ?』

『なんか、目つきが変わったよな?』

『流れが変わった予感』


 リスナーのコメントが多く表示される。それに答えようとカサンドラが口を開く直前、今度はリズが近付いてきた。カサンドラは平常心を装ってリズを迎える。


「わたくしになにか用事ですの?」

「はい。休憩室でお客様がカサンドラお嬢様をお待ちです。なんでも重要な話がある、と」

「……あら、何処のどなたかしら?」

「エメルダ様でございます」


 カサンドラと交流がある令嬢の名前。だが、おそらく嘘なのだろう。カサンドラは唇をきゅっと結び、分かったわ――と、休憩室へと向かおうとする。


「――カサンドラお嬢様」


 不意にリズに呼び止められた。


「なにかしら?」


 ある種の期待を抱いて振り返る。けれど、リズは少し視線を彷徨わせた後、「いいえ、なんでもありません」と小さく頭を振った。


「……そう? 本当になにもない?」

「それは……はい。呼び止めて申し訳ありません。私はカサンドラお嬢様に届いたプレゼントを片付けるので、しばらく席を外しますね」


 そう言って、彼女は去って行ってしまう。


「……リズ、どうして」


 止めてくれないの――と、カサンドラは顔を歪ませた。


『お嬢様、哀しそう』

『ここで踏みとどまってくれればなぁ』

『カサンドラお嬢様、元気出して』

『証拠を摑むまでは終わってないよ!』


 リスナーのコメントが加速する。


(そうですわ。まだ終わっていない。リズを悪の道に引きずり込んだ奴を捕まえましょう)


 カサンドラはちらりと周囲を見回し、他の侍女が自分の命令に従っていることを確認。小悪党が待っているという、休憩室へと足を運んだ。

 カサンドラが部屋に入った直後、外から扉の鍵を掛けられる。そうして驚くフリをするカサンドラを出迎えたのは、以前からカサンドラに言い寄っている令息だった。


「これは……どういうことですの?」

「カサンドラがいつまでも恥ずかしがって、俺の思いに答えてくれないのが悪いんだ。だから、キミの侍女にお願いして、この場を設けてもらったという訳さ」


(そう、彼が黒幕なのね)


 彼はエクリプス侯爵家の傍系、カプリクス子爵家の令息だ。彼は親戚の立場を利用して、カサンドラに幾度となく言い寄っている。


『カサンドラお嬢様、もう十分だ。外に配置した護衛の騎士を呼ぼう』


 この時点で事態を収拾すれば、令息を断罪することは難しい。けれど、カサンドラを閉じ込めたリズを断罪するだけならこのタイミングでかまわない。ゆえに、閉じ込められた段階で騎士を呼ぶのが、リスナーと話し合って決めた手はずだった。

 だが、カサンドラは騎士を呼ばない。


「さぁ、カサンドラ。俺と愛を確かめ合おう」


 令息が獲物を追い詰めるよう、ゆっくりと近付いてくる。カサンドラは横目で部屋の位置関係を確認しながら、ゆっくりと後ずさった。


『なにやってるんだ! 早く護衛の騎士を!』

『放送できない展開に!?』

『カサンドラちゃん、逃げて!』


 コメントでいくつも悲鳴が上がる。それでも、彼女は助けを呼ばなかった。


「カサンドラ、なにか言ってくれよ」

「……そうですわね。では一言だけ。――気持ち悪いですわ」


 令息を蔑むように見下した。


『気持ち悪いw』

『ストレートに辛辣』

『もっと罵ってください!』

『いや、煽ってどうする!?』


 流れるコメントを横目に、カサンドラはベッドの位置を確認。さり気なくそちらの方へと後ずさっていく。そうしてついに、彼女のふくらはぎにベッドの縁が触れた。

 その瞬間、カサンドラは不敵に笑った。


「こんな手段で、わたくしを手に入れられると思っているのですか? もう少し、身の程というものをわきまえたほうがよろしいのではなくて?」

「こ、この、下手に出たらつけあがりやがって!」


 令息が掴みかかってくる。カサンドラはその腕を摑み、わざと後ろにあるベッドに倒れ込んだ。腕を摑まれていた令息は為す術もなく一緒に倒れ、カサンドラの上へと覆い被さる。


「――来なさい!」


 カサンドラが合図を送る。

 次の瞬間、ドアが激しい音を立てて開かれ、そこから騎士達が流れ込んできた。そんな彼らが目にしたのは、カサンドラベッドを押し倒した令息の姿。


「貴様、お嬢様になにを!」

「ち、違う。俺はただ――」

「わたくしを襲おうとした不届き者よ、引っ捕らえなさい!」

「――はっ! カサンドラお嬢様を害した不届き者だ、連れていけ!」


 騎士の隊長が指示を出し、他の騎士が令息を連行して行く。それを横目に、カサンドラは他の侍女達に囲まれて項垂れるリズの姿を目の当たりにした。

 状況を確認するため、もう一人の専属侍女、エリスに視線を向けた。


「外から鍵を掛けたのはリズです」

「……そう」


 彼女は席を外す振りをした後、カサンドラの後を追い掛けて鍵を掛けた。アリバイ作りをしていることからも、自分が悪事に加担している自覚はあったのは確定だ。


「……リズ、申し開きを聞きましょう」

「申し訳ございません!」


 リズはその場に平伏し、重苦しい雰囲気が休憩室を支配する。


「リズ、なぜこんなことをしたの?」


 それは、原作のカサンドラが尋ねなかったことだ。

 未遂とはいえ男性に襲われ掛けたカサンドラはショックを受けて部屋に引き籠もり、そのあいだにレスターがリズを断罪してしまったと、リスナーから聞かされている。


「申し訳ありません、お嬢様」

「わたくしは、理由を訊いているのよ」

「申し訳ありません。申し訳ありません」


 ひたすら平伏する姿をまえに溜め息を吐く。


「ならばわたくしから説明しましょう。弟の治療に、お金が必要だったのでしょう?」

「なぜ――っ!?」


 それを知っているのかと、彼女は途中でセリフを呑み込んだ。

 必死に隠そうとする姿勢は健気だが、カサンドラは既にエリスから事情を聞いている。彼女の実家の資金繰りが思わしくなく、そこに弟が重い病気に罹って大変らしい、と。


『さっき聞いたのはそれか』

『これは、弟の薬代と引き換えに裏切られたパターン』

『カサンドラちゃん可哀想』

『リズも可哀想じゃね?』

『だとしても、主を裏切っていい理由にはならねぇよ』


 コメントにも様々な意見が流れている。それを眺めながらカサンドラが考えていたのは、いままでリズと過ごした時間だ。

 両親を失って寂しい日々を送るカサンドラに愛情を注いでくれたのはリズだった。カサンドラにとって、リズは本当に姉のような存在だった。

 そんな相手に裏切られたことに、カサンドラは深く傷付いている。


 悲しくて、腹立たしくて、どうしてこんなことをって怒鳴り散らしそうになる。

 だけど、カサンドラはこうも思うのだ。もしも自分がもう少しリズの様子を気に掛けていたら、裏切られることはなかったんじゃないかな、と。


「リズ、貴方を今日付で解雇します」

「……解雇、ですか?」


 重い罰を下されると思っていたのだろう。実質的な無罪放免にリズが困惑する。


「わたくしはさきほど、あの男に押し倒されました。もちろん未遂ではありますが、今回の件が明るみに出れば、わたくしのよくない噂を流す者も現れるでしょう」


 悪いのは傍系の令息だ。だが、年頃の娘が密室で殿方に押し倒されたなどという噂が一人歩きした場合、カサンドラの名誉が大きく損なわれることになる。


「ですから、今回の件は内々に処理するよう、お兄様にお願いするつもりです」


 カプリクス子爵家はエクリプス侯爵家の傍系。つまり、元々はエクリプス侯爵家が持つ爵位の一つを譲り受けた親戚なのだ。

 その傍系の令息が、未遂とはいえ本家の娘を襲おうとした。


 本来であれば、爵位を取り上げられても文句は言えない。それを許す代わりに、カサンドラの名誉が傷付かないように令息を内密に処理しろと傍系の当主に命じる。

 これが、カサンドラの考えた筋書きである。


「よって、リズの一件も表沙汰にする訳にはいきません。ですから、貴女は解雇です。その代わり、今日のことを口外することは決して許しません」


『あえて押し倒されるまで待ってたくせに』

『カサンドラお嬢様、まさかその口実を作るために押し倒された?』

『悪役令嬢なのに優しいw』

「……ぶっとばしますわよ」


 小声でリスナーを罵って、跪くリズのまえに立った。

 姉のように慕っていました、とか、わたくしを頼ってくれたら……とか、カサンドラの脳裏には様々な言葉が思い浮かぶ。

 だけど結局、カサンドラはそれらの言葉を呑み込んだ。


「……さようなら、リズ」

「カサンドラお嬢様、申し訳、申し訳ありませんでした……っ」


 深々と頭を下げる、リズの嗚咽が休憩室に虚しく響いた。そうして顔を上げようとしないリズを残し、カサンドラは他の侍女を連れて退出する。

 廊下を歩くカサンドラは一度振り返り、それからエリスへと視線を向けた。


「リズの弟の病気について調べ、匿名で支援なさい」

『悪役令嬢(笑)』

『むしろ聖女やん』

『いやいや、甘過ぎでしょ。罪を犯したんだからちゃんと断罪しないと』

『リズ自体には罰を与え、その家族には慈悲を与えた感じじゃない?』

『それにしたって解雇だけって甘過ぎでしょ』


 様々なコメントが流れる。

 優しいという意見もあるが、甘いという意見が目立つ。そしてそんな感想を抱いたのは侍女達も同じようで、エリスが「そこまでする必要がありますか?」と不満気に問い返してきた。


「……甘いのは分かっているわ」


 リズがまた裏切るかもしれない。彼女が今回のことの顛末を暴露すれば、カサンドラの名誉は傷付けられることになる。それは、なんとしても防がなければいけない事態だ。

 保身に走るなら、彼女を見逃すべきではなかった。


「だったら――」

「それでも、リズはわたくしに優しくしてくれたから」


 リズにとって、カサンドラはただのお世話をする対象だったのかもしれない。だが、カサンドラにとっては姉も同然の存在だった。

 酷い目に遭わされたからといって、子供の頃に優しくされた事実が消える訳じゃない。だから、カサンドラは「これでいいの」と繰り返した。


 その後、カサンドラはパーティーの主役としての役目を最後までやりとげた。

 だがそれは、自分の内心を押し殺していただけだ。その日の夜、侍女達を下がらせたカサンドラは、ベッドの上で枕を抱きしめて嗚咽を零した。

 そのアメシストの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


『カサンドラお嬢様……』

『やっぱ、ショックだったんだな』

『両親を早くに失って、今度は姉と慕ってた相手に裏切られるのかよ。その上、婚約者にまで浮気されるんだろ? そりゃ、嫉妬に狂っても仕方ないよな……』


 コメントを目にしたカサンドラはよけいに落ち込んだ。自分の不幸は今回に留まらず、愛する婚約者に浮気され、嫉妬に狂って破滅する運命だと確信してしまったから。


「……わたくしに未来はないのですね」


 幸せになれないのなら、生きている意味はあるのだろうか――とすら考える。だが、そうして落ち込むカサンドラの瞳に映ったのは、カサンドラを応援するコメントの数々だった。


『カサンドラお嬢様、俺達が付いてるから元気出して!』

『原作のカサンドラお嬢様は破滅するけど、未来は変えられるはずよ!』

『破滅の未来なんて、回避しちゃえばいいんだよ!』


 そういったコメントがたくさん表示される。

 カサンドラは指で涙を拭い、そのアメシストの瞳でカメラを見つめた。


「わたくしの未来は……変えられるのですか?」

『変えられるよ! というか、既に変わってるだろ!』

『そうだよ。似たようなことは起こったけど、まったく同じ未来じゃないぞ!』

『浮気なんてしない、素敵な人を見つければいいじゃん!』


 運命は変えられる。それを知り、絶望という闇に捕らわれていたカサンドラに一筋の光が差し込んだ。カサンドラはその希望に向かって手を伸ばす。


「教えてください、リスナーの皆さん。どうすれば、わたくしは破滅を回避できますか?」


 カサンドラは強い意志を秘めた瞳でカメラをまっすぐに見つめる。

 ――次の瞬間、コメント欄の横にあるスペースに以下のメッセージが表示された。


・チャンネル登録数が1,000を越えました。

・総再生時間が4,000時間を越えました。

・配信スキルのレベルが2になりました。

・収益化が認定されました。

・スパチャが受けられるようになりました。

・ショップが解放されました。

 

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