エピソード 3ー5
聖女が屋敷に滞在するようになって一月ほどが過ぎた。
そのあいだに、ヴェインから入手した、カプリクス子爵が働いた悪事の証拠固めをおこなった。そうして手に入れた証拠により、カプリクス家の当主を追い落とすことに成功する。
もちろん簡単なことではなかったが、事態は思わぬ形で収束した。
カプリクス子爵の悪事を告発したエクリプス侯爵に対し、カプリクス子爵はエクリプス侯爵の陰謀だと騒ぎ立てた。だが、ローレンス王太子が即座にエクリプス侯爵に味方し、カプリクス子爵家への立ち入り調査をおこなったのだ。
それによって、カプリクス子爵は言い逃れの出来ぬ形で断罪された、という顛末だ。
その際、次の子爵に、エクリプス侯爵家に好意的な人物を立てることにも成功する。
これにより、傍系の企みは潰えたと言えるだろう。
こうして、カサンドラは束の間の平和を手に入れた。
そんなある日、カサンドラは自室で資料と睨めっこをしていた。そうしてふと顔を上げると、ウィンドウに映るコメントが目に入った。
『カサンドラお嬢様、いまはなにをしてるの?』
「あぁ、これですか? これはヴェインさんからいただいた人材リストです。本格的なスラム改革に向けて、指導者となる人材を選んでいたのですが……」
現在は単純作業が続いているため、闇ギルドの人材が持ち回りで皆をまとめている。だが、これからは専門的に指導できる人材の育成が必要になる。
『その人材を選んでたってこと?』
「それもありますが……」
カメラに見えるように、ヴェインから届いた履歴書を掲げる。一つはセレナの履歴書で、もう二つは先日救った兄妹のものだ。
「セレナさんがスラムと私達の架け橋となることを希望している――のはいいんですが、先日わたくしが助けた兄妹も、わたくしの下で働きたいと希望しているようなんです」
『へぇ~、いいじゃん。雇ってあげたら?』
『いやいや、よく見ろ。セレナはともかく、子供の二人は資料に読み書き不可って書いてるだろ? まともな教育を受けていない、しかも幼い子供を雇えるかよw』
『えー、別にいいじゃん。侯爵家ってお金持ちなんだろ?』
『いくら富と権力があったって、全員を救える訳じゃない。二人を救ったら、俺も俺もと群がってくるかもしれないんだぞ?』
『だったら、全員を救えばいいじゃん』
『だーかーらー、それができたら苦労できないんだって!』
コメントで口論が始まる。
「はいはい、喧嘩するリスナーは出荷いたしますわよーっ」
よく見るコメントの引用。我ながらシャレが効いていると思ったカサンドラだったが、コメントの流れはピタリと止まった。
「……あら? 使い方、間違ってましたかしら?」
こてりと首を傾げる。
次の瞬間、コメントが一気に流れ始めた。
『カサンドラお嬢様がネット用語を使い始めたw』
『おい、俺らのお嬢様が染まってんぞw』
『そんなーっ』
大盛り上がりで、お嬢様がネットに染まった記念と称してスパチャが飛び交っている。それにお礼の言葉を述べながら、カサンドラはすぐに考えを纏めた。
「皆さんそれぞれ意見はあると思いますが、兄妹は雇おうと思います。スラム街の子供達の希望にもなりますから』
『でも、俺も俺もって人が群がってきたらどうするんだ?』
「それは知ったことじゃないですわっ」
迷うことなく言い放つ。
『おいw』
『このお嬢様……染まってやがる。遅すぎたんだ』
『それは腐ったときのセリフでは?』
コメントを読みながら、カサンドラはにやっと笑った。
「わたくしが救うのは、救いたいと思った相手だけ。誰も彼もがわたくしに救われると思ったら大間違いですわよ?」
『まぁ……正論だな』
『たしかに、義務じゃないもんな』
『でもどうせ、みんな救っちゃうんだろ?』
「救いませんわよ。わたくしは、わたくしに出来ることをするだけです」
『わたくしに出来ること(破滅)をするだけです?』
『そうか、人を救うまえに、まず自分を救わなきゃだもんなw』
『たしかにーw』
「ぶっとばしますわよ!?」
リスナーとのいつものやりとり。
そうして資料の確認を進めていると、先日カサンドラが手紙を送った相手の二人目が到着したという連絡が入った。カサンドラは身だしなみを整え、客人が待つ客間へと足を運ぶ。
ソファには、二十代後半くらいに見える女性が座っていた。
ブロンドの髪は艶やかで、蒼い瞳は知的な光を宿している。背筋をただし、凜とした居住まいで紅茶を飲む彼女は、カサンドラを見て微笑みを浮かべた。
アデライト・ウィンター。
どう見ても二十代後半にしか見えないが、今年で43歳になるカサンドラの伯母である。
カサンドラが彼女を呼んだのは、彼女にセシリアのシャペロン――早い話が、教育係兼、後ろ盾になってもらうためだ。
「アデライト伯母様、ご無沙汰しておりますわ」
「久しぶりね、カサンドラ。なにやら色々とやっているそうね?」
彼女の知的な瞳がカサンドラを捕らえた。その顔には笑顔が浮かんでいるが、カサンドラは言いようのないプレッシャーを感じる。
「……アデライト伯母様、なにか怒っていらっしゃいますか?」
「あら、どうしてそう思うの? 事前の連絡もなしに、手紙で聖女のシャペロンを依頼されたくらいで、わたくしが怒ると思っているのかしら?」
「――うぐっ」
思うと答えれば、なぜそれが分かっていて事前に相談しなかったのかと怒られ、思わないと答えれば、貴方はわたくしから礼儀作法のなにを学んだのかと怒られるパターン。
カサンドラは視線を彷徨わせ、それからアデライトを真正面から見つめた。
「い、一応、お手紙がお伺いのつもりだったのですが……」
「‘聖女の後ろ盾になったので、伯母様がシャペロンになってください’は、お伺いじゃないのよ。というか、なにがどうなったら、聖女の後ろ盾になるのよ?」
「……さあ?」
遠い目をすると、ジロリと睨まれた。
「……ダメ、ですか?」
上目遣いで問い掛ければ、彼女は溜め息を吐く。
「可愛い姪っ子の頼みだから、もちろん引き受けてあげるわよ。それに、聖女のシャペロンともなれば、わたくしにも十分利のあることですからね」
「アデライト伯母様であれば、機会を逃さないと信じていました」
チャンスを逃すのは愚かなことですものねと微笑みかける。
それに気付いたアデライトは軽く目を見張った。
「……しばらく見ないうちに変わったわね。以前の貴方は聡くとも、自分に自信がなく、自尊心が低いことを心配していたのだけど……なにかあったの?」
「ええ、まぁ……少し」
カサンドラは一瞬だけ、虚空に浮かぶカメラに視線を向けた。
『あれ、いま、カサンドラお嬢様が俺を見なかった?』
『いや、俺を見たんだ』
『真面目な話、カメラを見たよな?』
『カサンドラお嬢様が破滅する最大の原因ってさ。愛情に飢えていることだと思うんだ。幼くして両親を失い、兄にもかまってもらえなかった。そうして愛情に飢えていたから、婚約者に捨てられたことに耐えられなかったんだと思うんだ』
『それは分かるが……なんで急にそんな話をした?』
『いや、だから、そんな彼女にとって、いまの状況ってどうなのかなって。朝も昼も夜も、誰かがこの配信を見て、カサンドラお嬢様に話し掛けてるだろ?』
『あーなるほど! つまり、カサンドラお嬢様がさっきカメラを見たのは、自分が変わったのは俺達のおかげだと思ってくれたってことか!』
そのコメントを最後まで読むより早く、カメラを摑んで部屋の隅へ放り投げた。
『カサンドラお嬢様が照れたw』
『恥ずかしいからってカメラ投げんなw』
『照れ隠し可愛いw』
コメントからも視線を外し、アデライトへと視線を戻す。アデライトはカサンドラの突然の行動に驚いていたが、「少し虫がいたんです」と誤魔化した。
「アデライト伯母様、話を戻してもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。聖女のシャペロンね。さっそく礼儀作法を見ることにするわ」
「そう言っていただけるなら安心ですわね」
カサンドラは微笑んで、使用人にセシリアを呼ぶようにと言付ける。それから、思い出したように、アデライトに向かって口を開いた。
「そうそう。セシリア様は平民の生まれで、少々……いえ、かなり礼儀作法には疎いところがありますが、決して悪い方ではないので……、その、よろしくお願いいたしますね?」
「話が纏まってから言われたことに不安を感じるけど……まあ、任せておきなさい」
こうして、アデライトによる礼儀作法の勉強が始まった。
自分が勉強を教わると聞いたセシリアは「聞いてないよ!?」と驚いていたが、礼儀作法の必要性は感じていたようで大人しく従っている。
変わった性格をしているセシリアだが、物覚えが悪い訳ではないらしい。アデライトに叱られながらも、よく学んでいるという報告がカサンドラの元には届いていた。
その傍ら、セレナやスラムで保護した兄妹の教育も使用人達におこなわせる。
そうして、カサンドラはスラムの改革を進めていった。
そんなある日、カサンドラはアデライトの授業を終えたばかりのセシリアをお茶に誘う。エクリプス侯爵家にある中庭で二人、木漏れ日の下に設置したテーブルを囲んだ。
「セシリア様、伯母様の授業はいかがですか?」
「ん~? 大変だけど、面白いよ」
「……アデライト伯母様の授業を面白いと言える貴方は大物ですわね」
アデライトは優しいけれど容赦はない。理不尽に叱ることはないけれど、同じことをいつまでも繰り返していると無言の圧力を掛けてくる。
そんな彼女の授業を面白いと評せるのは、決して二度同じ過ちを繰り返さない人間か、無言の圧力に気付かない脳天気な人間だけだろう。
前者か後者、セシリアはどっちだろうと考えを巡らす。
(明け透けな性格であるのは事実ですが、後者とも言い切れないんですよね)
まだエクリプス侯爵家への滞在を希望した理由も分かっていない。もしかしたらなにかあるかもしれないし、まったくなにもないかもしれない。
なにもなければそれでいい。けれど、もしなにかあれば確認しておく必要がある。そうして物思いに耽っているカサンドラを、いつからかセシリアがじっと見つめていた。
「なんですの?」
「……うぅん、カサンドラ様って可愛いなって思って」
「きゅ、急になんですの? そんな見え透いたお世辞で、わわわたくしが動揺するとでも?」
『思いっ切りドモってるけどなw』
『同性に褒められるのにも弱かったかーw』
コメントに「うるさいですわね」と小声で突っ込んで、セシリアへと視線を戻す。
「急にお世辞を言って、欲しいものでもありますの?」
「欲しいものはないし、お世辞でもないよ。それに、私がエクリプス侯爵家に来たのは、カサンドラ様ともっと仲良くなりたいって思ったからだよ?」
無邪気な微笑み。少なくともその微笑みから他意は感じられない。さすがヒロインという愛らしい笑顔による好意を向けられ、カサンドラの表情も自然と綻んだ。
『これはよいてぇてぇ』
『てぇてぇ』
てぇてぇコメントがあふれかえる。
カサンドラは「というか、てぇてぇってなんですの?」と小首を傾げた。
「てぇてぇって言うのは、尊いって意味だよ」
カサンドラの呟きを聞いたのか、セシリアがなんでもないことのように答えた。だが、カサンドラが分からなかったように、この世界にてぇてぇという言葉は存在しない。
それが分かると言うことはつまり、セシリアが転移者の類いであることに他ならない。やはり、セリシアは転生者か憑依者で確定だ。
だとしたら、セシリアの目的は――と、カサンドラが想いを巡らせようとしたそのとき。
「だからそのコメントは、私とカサンドラ様のことを言ってるんだと思うよ?」
――セシリアが衝撃的な言葉を口にした。
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