エピソード 3ー6

「ま、待って。少し待ってください。まさか、これが見えているんですの?」


 カサンドラは両手の指を使い、虚空に浮かぶウィンドウの縁をなぞる。


「やっぱり、カサンドラ様も見えてるんだね」

「……ということは、セシリア様も?」

「見えているよ。そこに浮かんでいるカメラも、ね」


 衝撃の事実だ。

 なぜなら、ウィンドウもカメラも、カサンドラ以外には見えていなかったから。


『マジかよw』

『あ、分かった! だから聖女と目があったんだ!』

『そうか、カメラを見てたのか!』

『うわああああ、なんで気付かなかったんだ!』

『冷静に考えたら、カメラが見えなきゃ目が合うはずはないよな。というか、いままで様子がおかしかったのはそれか!』

『そりゃ、ファンタジー世界で衛星みたいにカメラを張り付かせて、虚空に浮かぶコメントを読み上げてる女の子がいたら驚くわなw』

「そうそう。なにごとかと思ったよ」


 セシリアがコメントに応じる。


(もしや……と思うことはありましたが、本当にコメントが見えているんですわね。でも、どうしてセシリア様には見えるんでしょう? わたくし以外には……)


 そこまで考えたカサンドラはあることに思い至る。


「そういえば、セシリア様は転生者、なのですか?」

「あ~うん、私も詳しくは知らないんだけど、正確には憑依者、なのかな? 目が覚めたらセシリアになっていた! みたいな感じだから」

「では、カメラとウィンドウが見えるのは憑依者だから、でしょうか?」


 それこそ、カサンドラが思い至った結論だった。

 カメラ越しに見ているリスナーにもウィンドウは見えている。だから、リスナーと同じ出身のセシリアにも見えているのかもしれない、と。


『あ~ありそう』

『でも、俺達が見てるのはカメラの映像だろ? 現地でカメラやウィンドウが見えるかどうかとは別問題じゃないか?』

『そうかもしれないけど、他に考えられないわよね?』

『コラボ機能が怪しくないか?』

『それだ!』


 そういえば、使い方の分からないコラボ機能をアクティブにしっぱなしだった。それを思い出したカサンドラがコラボ機能をオフにすると、セシリアからは見えなくなったとのこと。

 そしてアクティブに戻せば、再びセシリアにも見えるようになった。


「セシリア様に見えていたのは、コラボ機能が原因のようですわね。ですが、どうしてセシリア様にだけ見えるようになったのでしょう? やはり、憑依者だからでしょうか?」


 コラボ機能が原因で、カサンドラ以外にもカメラやウィンドウが見えるのは分かる。けれど、それならば他の人間にも見えなければおかしい。

 セシリアだけに見えるようになった理由があるはずだ。


『その可能性はありそうだな』

『他に考えられないし、転生者とだけコラボできるってことか?』

『すっごい限定的な機能だなw』


 カサンドラの考えに同意するコメントが流れ始める。そんなとき、セシリアが不意に「それなら心当たりがあるよ」と声を上げた。


「……心当たり、ですか?」

「うん。ええっとね。いま、私もカメラに映ってるかな?」

「ええ、映っていますよ?」


 木漏れ日の下に用意されたお茶会の席。

 カメラは少しだけ引いた場所で、二人の姿を映し出している。セシリアはそのカメラに身体を向けると、不意に片目を強調するようにピースした。


「こんやみ~。モノクロな夜に彩りを。かなこな所属のVTuber、ノクシアだよ!」

「……え、なんですの、それは……?」


 セシリアの豹変っぷりに困惑するカサンドラ。

 だが――


『ええええええええええええええええええぇぇぇえぇぇぇっ!?』

『おまっ、前世はVTuberだったのかよ!』

『え、え? ちょ、待って! ノクシアって、あのノクシア!? かなたこなた所属の!?』

『ってか、このコメントも見えてるの?』

「見えてる、見えてる。この配信の雰囲気、懐かしいなぁ~。っていうか、配信者が転生してVになる人はときどきいるけど、異世界に転生したVは私くらいだよね~」

『たしかになw』

『他にいてたまるかw』


 コメントが大いに盛り上がっている。そうしてリスナーとやりとりをするセシリアをまえに、カサンドラもまたおおよその事情を理解する。


「セシリア様は先達者だったんですね」

「先達者? あぁ、先輩ってことね。うぅん、どうかな? 私も異世界から配信するのは初めてだけど。というか、カサンドラ様はどうして……いや、どうやって配信をしてるの?」

「それが、気付いたらこの状況でして」

「気付いたらって……どういうこと?」

「実は――」


 初めてカメラとコメントを見たときのことをセシリアに説明する。その上で、自分が乙女ゲームの悪役令嬢で、破滅する運命だと聞かされたことも打ち明けた。


「気付いたらこの状況ってすごい話だね。でも、カサンドラ様が悪役令嬢? もしかしてこの世界って、乙女ゲームをもとにした世界なの?」

「ご存じありませんでしたの?」

「ここが異世界だってことは知ってるけど、乙女ゲームの世界だってことは初めて知ったよ」

「そうなんですわね」


 カサンドラは有名なゲームだと思っていたので、セシリアの反応は少し意外だった。


『なぁ! ノクシアって、あのノクシアなのか!? 頼むから答えてくれ!』


 興奮した様子のコメントが表示される。

 それも一度ではなく、さきほどから似たようなコメントが流れている。


『さっきからなんだよ。ノクシアのガチ恋勢かなんかか?』

『ブロックした方がよくない?』

『いや待ってくれ! マジで重要な話なんだ!』

『だから、なにがだよw ノクシアってあれだろ? デビューしてすぐにブレイクしたけど、しばらくして配信がなくなって、そのまま卒業したノクシアだろ』

『いや、卒業じゃなくて、ノクシアの中の人が事件に巻き込まれたって話があるんだ!』

『妄想乙!』

『いや、たしかにそういう噂があるのは事実だな、ほんとかどうかは知らないが』

『どういうこと?』

『発表は卒業になってるが、ノクシアは最後の配信でも、明日の配信予定を楽しげに語ってたんだ。だから、事件に巻き込まれたんじゃないかって話があるんだ』

『ああ、あったな。ちょうどその翌日に殺人事件があったってのが根拠だったよな。俺はただのこじつけだと思ってたけど、彼女が本当にノクシアなら……』


 コメントがピタリと止まった。

 リスナーがなにを望んでいるのかは明らかだ。

 だが、VTuberに詳しくないカサンドラにも、それがとてもデリケートな質問であることは分かる。だから、コラボ機能を切って、セシリアにコメントを見せないことも考えた。

 だけど――


「たしかに! 人生から卒業しちゃったから、間違ってないかも!」


 セシリアがにへらっと笑った。


『人生からの卒業w いや、草生やしていいのか分からないけど』

『本人が言うと草なのよw』

『え? え? 噂はほんとで、ノクシアの中の人が殺されて、聖女に転生したってこと?』

「こーら、前世や素性の詮索はマナー違反だよ。……ところで、犯人は捕まった?」


 セシリアがカメラに向かって問い掛ける。


『詮索して欲しいのか、欲しくないのかどっちなんだよw』

「そりゃ、コンプラは大事だよ? でも、自分を殺した犯人がどうなったかは気になるじゃない! そもそも転生したんだから契約なんて無効だよ!」

『ワロタw』

『転生して契約無効は草w』

『これ、今後の契約事項に、転生後も契約は有効って記載されるようになるやつw』

『マジレスすると、ノクシアが最後に配信した翌日に起きた殺人事件なら、逮捕どころか、容疑者すら分かってない。リアルを特定したガチ恋勢の犯行とは言われてるけど』

『ガチ恋勢最低だな』


 コメントにガチ恋勢への怒りが滲む。

 けれど――


「えー? 違う違う。犯人は私が情報漏洩を告発して解雇された会社の先輩だよ」

『おまえ、会社員だったのかよ!』

「Vになるまえはねー」


 セシリアはあっけらかんと言い放っているが、わりととんでもない話である。紅茶を片手に話を聞いていたカサンドラは軽く目を見張った。


「これって、殺された人間が、自分を殺した犯人を告発した、ということですわよね? リスナーの生きる世界はすごいところですのね」

『いや、普通はないからw』

『ってか、容疑者すら挙がってなかったのに、犯人が分かったってことだろ!?』

『マジで大ニュースじゃねぇか!』

『いやでも、この証言は、証拠として有効……なのか?』

『たとえ証拠にならなくても、犯人が分かってるなら特定する方法はあるだろ』

『通報しました』

『ガチなやつw』

『みんなで通報したら迷惑になるぞ』

『俺が犯人を捕まえてやる!』

『SNSでトレンドにあげよう』

『切り抜きだ』

『拡散しろ、拡散』


 コメントを読みやすくするためのフィルターがあってなお、物凄い勢いで流れるコメントの数々。それをまえに、セリシアは目元に涙を浮かべた。


     ◆◆◆


 カサンドラの異世界配信が最高に盛り上がっていた最中。デスクトップに映る配信から視線を外した男が席を立ち、手元にあったスマフォへと手を伸ばした。自分の補佐役を務める女性の番号をコールすると、すぐに電話越しに女性の声が聞こえてきた。


『桜坂警部補、なにかありましたか?』

「ああ、佐藤刑事にも朗報だ。俺達が追っている、ガイシャがVTuberの殺人事件に新たな情報だ。あれの容疑者が浮かび上がった」

『本当ですか!? ずっと容疑者が分からなかったのに、さすが桜坂警部補。ずっと、ノクシアちゃんの無念を晴らすんだって言ってましたもんね』


 通話の相手が口にしたように、桜坂は警部補であると同時にノクシアのリスナーだった。ついでに言えば、カサンドラによる破滅配信のリスナーである。


「出来れば彼女に犯人逮捕の報告をしたい。……協力してくれるか?」

『それはもちろん、私も同じ事件を担当していますから。容疑者が挙がったのなら捜査は協力しますが、いったい何処から得た情報なんですか?」

「あ~それが、だな……」


 どうやって打ち明けたものかと、桜坂は視線を彷徨わせた。だが、どうせすぐに分かることだと、すべてを打ち明けることにする。


「実は……だな、その……本人が告発した」

『……は? 本人? ……桜坂警部補、こんな日中に寝ぼけているんですか?』


 電話越しに響く、氷点下のように冷たい声が桜坂の胸を抉った。相手の感情を余さず伝える最新スマフォのスピーカーが恨めしい。


「俺は真面目に言ってるんだ」

『じゃあなんですか? 桜坂警部補はシャーマンでも雇ったんですか?』

「いや、そうじゃない。というか、既にSNSとかで話題になってるはずだ。このあいだ言っただろ? 最近異世界から配信されてると噂のチャンネルを見てるって

『それって……ちょっと待ってくださいよ。うわっ、ほんとだ!? って、え!? セシリアちゃんがノクシアだったの!?』


 想像以上に理解が早い。

 そこから、桜坂はある答えを導き出した。


「佐藤刑事、おまえ、もしかして――」

『私も破滅配信のリスナーですけどなにか?』

「マジかよ!」


 まさか、こんなところに同士が!? と、桜坂は目を見張る。

 だが、驚きの声を上げていたため、『桜坂警部補がV好きって聞いて、どんなのか気になって確認した訳じゃないですから』という呟きは聞き逃した。


「いま、なにか言ったか?」

『い、いいえ? ――って言うか、桜坂警部補、これってついさっきの話じゃないですか。まさか、仕事をさぼって破滅配信を見てた訳じゃないですよね?』

「ば、馬鹿を言うな。俺はSNSの切り抜きを見ただけだ!」


 慌てて否定するが、声がどもっていては説得力がない。


『ほんとですか? ってか、この切り抜きに表示されてる『俺が犯人を捕まえてやる!』ってコメントが使ってるアイコン、何処かで見たことないですか?』


 SNSはすべて同じアイコンで統一している桜坂はびくりと身を震わせた。


「……と、とにかく、容疑者のアリバイを調べるぞ!」

『夕食で手を打ちましょう』

「け、刑事が脅迫なんて許されると思っているのか?」

『仕事をさぼる警部補とどっちがマシですかね?』

「……くっ。わ、分かった、牛丼な」

『夜景の素敵なホテルに気になっているお店があるので予約しておきますね』

「そんなー」


 二人の恋の行方はともかく、ノクシアの中の人殺人事件の捜査は大きく進展した。

 

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