エピソード 1ー5

 カサンドラが破滅を回避するために必要なことは三つ。一つ目は婚約の回避。二つ目は傍系の企みの阻止。そして三つ目は疫病や飢饉を防ぐための対策。

 それらを実行に移すためには、レスターの信頼を得ることが必須だ。


 という訳で、カサンドラは計画を立て、兄を説得するために執務室へ乗り込んだ。

 そこでは、現レスター侯爵が忙しなくペンを走らせていた。


 レスター・エクリプス。

 二十二歳になる独身の侯爵で、カサンドラとは歳の離れた兄妹関係にある。

 艶やかなシルバーアッシュの髪に縁取られた甘いマスク。蒼い瞳は知性の光を灯しており、線の細い美青年という印象を他者に与える。

 そんなレスターは五年前に両親を失った後、エクリプス侯爵家を護るために若くして当主となった。それゆえ、彼はいつも忙しなく走り回っている。


 そういった背景もあり、カサンドラとの交流は少ない。カサンドラ自身、兄からは好かれていないと思い込んでいたが、それは事実ではない。

 彼は、妹を護るために必死だっただけだ――というのがリスナーの言葉。


 それを鵜呑みにした訳ではないが、そうだったらいいなとカサンドラは思っていた。

 そうして作業を眺めていると、レスターは一区切りついたところでペンを置いて顔を上げた。彼はカサンドラを見て目を見張り、それから席を立ち、執務机を回り込んできた。

 その何処か慌てた様子に驚いていると、カサンドラは彼に抱きしめられた。


「……おにい、さま?」


 これはどういうことなのかと目を白黒させる。カサンドラが腕の中で見上げると、いままでみたことのない、妹を心配する兄の姿があった。


「カサンドラ、もう、大丈夫なのか?」

「え? えぇ……ご覧の通り、ですが……」

「そうか。怖い目に遭わせて悪かった」


(どうして、お兄様が謝るの?)


 そう考えたときに思い出したのは、リスナーが教えてくれたこと。


「お兄様は……わたくしを心配してくださったのですか?」

「当然だろう! たった一人の家族なんだぞ!」


 思ってもみなかった言葉。

 そして、ずっといって欲しかった言葉。


『レスター様は、貴女を大切にしていると傍系の連中に知られたくなかったの。それを知られてしまえば、傍系の者達が貴女を利用しようとするのは確実だから』

『毎年妹の誕生日パーティーを開催しながら、本人は顔を出さなかった理由だな』

『そこまでしても結局、事件は起きてしまったんだけどな』


 そのコメントからすべてを察する。

 兄は自分をずっと護ってくれていたのだ――と。

 カサンドラはずっと、兄に嫌われていると思っていた。少なくとも、好かれてはいないと思っていた。唯一残された家族に愛されていないと思っていた。

 だけど、そうじゃなかった。

 カサンドラの冷え切った心に、じわりと熱が広がる。


「……お兄様、大好きです」


 ぎゅっと兄の身体にしがみついた。

 だけど――


『切り抜き確定』

『大好きです、いただきました!』

『デレたカサンドラお嬢様、可愛い』

『可愛い、やったー』

『にやにや』


 それらのコメントを目に、自分が見られていることを思い出す。そうして恥ずかしくなったカサンドラは、慌ててレスターから身を離した。


「んんっ。その……お兄様、心配掛けてごめんなさい」

「いや、おまえが謝罪をする必要はない。傍系がなにか企んでいることに気付いていたのに、おまえを危険に晒してしまったのは私の責任だ。本当にすまなかった」


 レスターが頭を下げる。


「お兄様の責任じゃありません。わたくしが相談していれば……いえ、済んだことを互いに悔やむのは止めましょう。重要なのは今後の方針です」

「たしかに、おまえの言うとおりだな。それで、どうして欲しい?」

「事前にお伝えしたとおり、内密に処理していただければ、と」


 今回の一件をおおやけにすれば、カプリクス子爵家は大恥を掻くことになる。ゆえに、令息を除籍させることを条件に、おおやけにはしないことで恩を売る。

 リズを罪に問わず、カプリクス子爵家の力を削ぐ唯一の方法だ。しかし、リズの件を無視すれば、もう少しカプリクス子爵家に打撃を与えることも出来る。

 彼らがエクリプス侯爵の地位を狙っている以上、レスターはその選択をするかもしれない。カサンドラはそう思ったのだが、彼は「では、そうしよう」と頷いた。


「……よろしいのですか?」


 なにがとは口にせずに問い掛けた。

 そして――


「おまえはリズを慕っていたからな」

「――っ」


 レスターはすべてを理解していた。思わず泣きそうになった。

 けれど、ここで弱さを見せる訳にはいかないと拳を握り締めて耐える。そんなカサンドラの視界の端に『俺達がついてるぞ!』といったコメントが並んでいた。

 それを目にしたカサンドラは顔を上げ、レスターを真正面から見つめる。


「ありがとうございます。では、そのように処理してください」

「ああ、任せておけ」


 こうして、リズの件は話が纏まった。

 だが、カサンドラがここに来たのは、その件が目的ではない。


「お兄様、実はお話があります」

「……話? リズの件とは別か?」

「はい。わたくしも昨日で十五歳になりました。もう子供ではありません。だから、今日このときより、お兄様にただ護られるだけの妹は卒業しようと思います」


 カサンドラの宣言に、レスターがぴくりと眉を動かした。


「それは、どういう意味だ?」

「昨日の一件、エクリプス侯爵の地位を狙った者達の所業なのでしょう? そしてそれを隠していたのは、わたくしを護るためなのですよね?」

「それ、は……」

「お兄様。わたくしはもう、護られるだけの子供ではありませんわ」


 カサンドラは強い意志を込めた瞳でレスターを見つめる。


『大人の階段を上る、カサンドラちゃんのセンシティブな配信があると聞いて』

『ガタッ』

『変態さんは出荷よ――っ』

『ソンナー』


 コントのようなコメントが流れる中、カサンドラとレスターは無言で見つめ合っていた。だが、やがてレスターが根負けしたかのように溜め息を吐く。


「……それで、おまえはどうしたいんだ?」

「わたくしも立ち向かいます」


 レスターが僅かに眉をひそめる。

 そのタイミングを見計らったかのように、カサンドラは言葉を続けた。


「といっても、すぐに信頼していただけるとは思っておりませんわ」

「そんなことは……」

「フォローは必要ありませんわ。傍系の企みを阻止するには、隙を見せる訳にはいかない。わたくしが下手を打てば、お兄様が劣勢に立たされる。警戒するのは当然です」

「まいったな。そこまで分かっていて、なにをするつもりなんだい?」


 レスターは苦笑いを浮かべ、それから探るような視線をカサンドラへと向けた。


(ここが正念場ですわね)


 破滅回避に動ける期間は決して長くない。小さなことからコツコツと兄の信頼を得て――という訳にはいかない。出来るだけ早く、そして効果的に信頼を得る一手が必要だ。

 そしてその方法は、リスナーとの会話であたりを付けていた。


「エクリプス侯爵領の領都に治安の悪い地域がありますよね? あの地域の管理をわたくしに委任していただきたいのです」

「スラム街のことか?」

「はい。いまのうちに手を打てれば、と」


 いまはまだスラム化が始まった初期段階だ。だが、これから三年を掛けてスラム化は進行する。そして疫病の発生源となってしまうのだ。


「私もあの地域のことは気になっていた」

「では、わたくしに管理を任せてください。必ず状況を改善して見せますわ」


 レスターが厳しい表情を浮かべる。


「カサンドラ、出来ればおまえの願いは叶えてやりたいと思う。だが、領民はおまえのおもちゃではない。おまえが失敗すれば、誰かが不幸になるやもしれぬのだぞ?」

「もちろん理解しています。決して軽い気持ちではありませんわ」


 いまのカサンドラはそのことをよく知っている。なぜなら、自分の過ちが領民を苦しめ、エクリプス侯爵家を没落させ、自分自身をも破滅させる原因になると知っているからだ。

 そうして、レスターをまっすぐに見つめる。

 そんなカサンドラを観察していたレスターが探るような面持ちで口を開いた。


「……その地域を任せるとして、おまえはどうするつもりなのだ?」

「詳細は地域の詳細を調べてから考えるべきだと思っていますが、最初の目標としては、雇用を生み出し、地域の生産量を増やすことだと思っています」

「ふむ、正論だな。だが重要なのは、その手段だ」


 その問いに、カサンドラは待っていましたとばかりに笑みを浮かべる。

 カサンドラはハイスペックな悪役令嬢だ。けれど、彼女が持つ知識は、この世界の文明レベルにあわせたものでしかなく、スラム化が進む区画を救う知識なんて持ち合わせていない。

 ――だが、それは過去の話だ。


 いまのカサンドラには、現代日本の知識を持つリスナーがついている。必ずしも真実をいう者達ばかりではないが、その知識量は文明を数百年ほど進めるポテンシャルを秘めている。


「お兄様を納得させるだけの企画書を提出できれば、わたくしがあの地域を管理することをお許しいただけますか?」

「おまえにそれが出来るのか?」

「それを証明してご覧に入れましょう」


 カサンドラは不敵に微笑んだ。


『カサンドラお嬢様の挑戦的な顔、可愛い』

『可愛い、やったーっ』


「……いいだろう。私を納得させるような企画書を提出したあかつきには、スラム街の改革をおまえに委任すると約束しよう」

「ありがとうございます、お兄様。必ず、ご期待に応えて見せますわ」


 勝ち気な笑みを浮かべるカサンドラに、コメントも盛り上がっている。だが、カサンドラの笑顔を好ましく思ったのはリスナーだけではない。

 レスターもまた、柔らかな笑みを浮かべる。


「カサンドラもいつの間にか大人になっていたんだな」

「いつまでもお兄様に護ってもらってばかりではいられませんから」

「……そうか。少し寂しい気もするが、おまえの成長は喜ばしいことだ。……ところで、大人と言えば、今日のおまえはずいぶんと変わったデザインのドレス? を着ているのだな」


 カサンドラが身に付けるのは、金の鎖で吊ったオフショルダーのブラウス。そしてティアードのロングスカートという服装。いつもの装いとは印象がまったく違っている。カサンドラはクルリと回ってそんな自分の装いを確認、レスターに上目遣いを向ける。


「似合っていませんか?」

「いや、綺麗だ。とても似合っているよ。だが、見慣れぬデザインだと思ってな」


 レスターは侯爵として、王都や近隣の流行も調べている。だが、カサンドラが身に付けているような服のデザインは目にしたことがない。

 そう困惑するレスターに向かって、カサンドラはいたずらっ子のように微笑んだ。


「これはスパチャで買ったお洋服ですわ」

「……スパチャ? そのようなブランドは聞いたことがないが……」


 レスターは怪訝な顔をするが、コメントは大盛り上がりである。


『そりゃそうなるよな』

『知ってたw』

『なんか違和感あると思ったら、服が現代のそれだったかw』

『ショップのあれかw』

『スパチャで買ったは草ぁw』


(さぁ、領地を救う為の第一歩ですわ! そしてゆくゆくは破滅を回避して、幸せな未来を勝ち取って見せますわよ!)


 スラム化を止めて、レスターの信頼を得る。そのための企画書を書こうと、カサンドラは決意を新たにまえを向く。直後、ウィンドウに新たなメッセージが表示された。


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