エピソード 2ー1

 カサンドラが破滅を回避し、幸せを目指すための第一歩。それはスラム街の改革だ。それを成し遂げるためには、レスターを納得させるだけの企画書を提出する必要がある。

 という訳で、カサンドラは改革の内容について、リスナーに相談をすることにした。自室にある窓際の机に向かい、カメラの向こうにいるリスナーに質問を投げかける。

 けれど――


「……具体的なアドバイスを出来ないとは、どういうことですの?」


 リスナーにハシゴを外されたカサンドラの瞳に憂いが滲んだ。


『なんか、専門的な知識をコメントすると弾かれるみたいなんだ』

『こっちも、農業の知識でドヤ顔しようとしたけどダメね』

『私もダメ。経済学について書こうとしたら弾かれたわ』


 その後も、リスナーがアドバイスをしようとコメントを試す。そうして分かったのは、文明レベルを大きく変えるような情報はフィルターに弾かれるらしい、ということだった。


 カサンドラとて愚かではない。

 だが、スラム化は何処の領地も抱えている問題だ。それを改善するのは、優れた領主であっても至難の業である。にもかかわらず、改革をすると自信満々に言ったのは、リスナーの力を借りられると思っていたからだ。

 その頼みの綱が絶たれたことで、カサンドラの愛らしい顔に影が落ちる。


『落ち込むのはまだ早いって。こうやって意思疎通が出来るってことは、カサンドラお嬢様の計画に感想を言うくらいなら出来るはずだ』

『たしかに。間違ってたら、間違ってるって指摘できるのは大きいわね』


 コメントを眺めていたカサンドラは目を見張った。


「そうですわね。答えを得られずとも、意見を聞くことは出来る。つまり、わたくしが皆様の力を借りて、自分で答えにたどり着くことなら出来る、ということですわね」


 極論で言えば、ハイかイイエで答えてもらえばいい。

 苦労はするけれど、結果的にはリスナーの案を採用するも同然だ。けれど、そういった案の候補を出すにはある程度の知識が必要になる。

 そう思ったカサンドラは資料室へ移動した。


 エクリプス侯爵家の資料室には膨大な資料が収められている。その部屋で内政に関する資料を探す。カサンドラの視界にコメントの一つが目に入った。


『さっき配信スキルのレベルが上がって、ショップのラインナップが更新されたとか言ってなかった? こういう状況で更新って、ラインナップに期待できるんじゃないか?』


 そういえばと、カメラに写るようにして、タップ操作でショップを開いて見せた。

 洋服のリストに変化はない――けれど、本の項目が増えている。武術や魔術、それに農業や畜産業関連の入門書が並んでいた。

 その項目を見たカサンドラが瞬いていると、コメントが爆速で流れ始める。


『タイムリーなラインナップきたーっ!』

『入門書とはいえ、ここで農業と畜産業と堆肥の本が追加は草なのよw』

『これで勝つる!』

『カサンドラお嬢様、それを買うんだ!』

「え、あ、はい……」


 勢いに押され、彼らが薦めるタイトルの本を三冊購入する。

 購入が完了した瞬間、机の上に段ボール箱が現れた。カサンドラがそれを開封すると、中には農業と畜産業、それに堆肥の作り方の入門書が収められていた。

 それを取りだしたカサンドラは内容に目を通し始める。


 まずは農業の入門書。

 最初に、その地の気候にあった作物を選ぶこと。そして連作障害に付いて対策すること。続いて土壌の問題、水管理や施肥によって作物の成長を促すことなどが書かれていた。


 入門書と言うだけあって、それらの対策は一例に留めており、詳しいことは書かれていない。それでも、カサンドラにとっては初めて識る知識ばかりで興味深かった。

 なにより、ハイかイイエで質問するための下地が手に入った。これならなんとかなるかもしれないと農業の入門書を熟読し、続けて畜産業の入門書に手を伸ばす。


「――カサンドラお嬢様!」


 本に伸ばした手を摑まれる。びっくりして顔を上げると、机に向かって座るカサンドラの背後に侍女が立っていた。軽くウェーブの掛かった赤く長い髪。腰に手を当てた彼女の金色の瞳がカサンドラを睨みつけている。

 彼女はエリス。

 十八になったばかりの子爵家の娘で、カサンドラに仕える侍女の一人だ。リズが解雇されたことで昇格し、いまは筆頭侍女としてカサンドラに仕えてくれている。


「エリス、どうかしたの?」

「どうかしたのではありませんわ。もう夕食の時間ですわ」

「……え、昼食じゃなくて?」

「夕食です。昼食は、本を読んでいるから食べないとおっしゃったじゃありませんか」


 言われて窓の外に目を向ければ、窓の外の景色は綺麗な夕焼けに染まっていた。どうやら、時間が経つのも忘れて、農業の入門書を読みふけっていたらしい。

 それに気付いた途端、お腹が可愛らしく鳴った。


「食欲を思い出したようですね。さぁ、食堂にまいりましょう」

「わ、分かったわ」


 恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がる。


『慌てるカサンドラお嬢様可愛いw』

『ようやく我に返ったわね』

『一心不乱に読んでたからなw』

『カメラに写ってたおかげで、どんな内容の本か把握できたわ。これで農業に関するアドバイスも効率的に出来るわよ』


 リスナーのコメントを横目に資料室を後にした。

 カサンドラは兄と夕食を取り、自分の部屋に戻る。そこであらためて畜産業の入門書へと手を伸ばそうとしたところで、赤い色のスパチャが目に入った。


『頼む、魔術の入門書を買ってくれ!』

『はっ、その手が合ったか!』

『まさか、私達も魔術が使える!?』


 どうやら、スパチャのお金で魔術の入門書を買って欲しい、というお願いのようだ。値段を見れば、魔術書を買って十分にお釣りが来る金額のスパチャが投げられている。


「魔術の入門書ですか? それくらいは別にかまいませんが、リスナーの皆さんなら、魔術くらい使えるのでは……?」

『使えてたまるかw』

『代わりに科学はあるけどね』

「そういえば、わたくしの魔術に驚いていましたわね」


 カサンドラの魔術を見て、自分達が暮らす場所とは異なる世界だと判断していた。つまり、リスナーの暮らす世界に魔術はないという訳だ。


 だが、入門書を読めば魔術が使えるかもしれないと思った者が、魔術の入門書欲したということ。同様に魔術の入門書を見たい人々からスパチャが飛び交った。


 そこまでされて断る理由はない。普段お世話になっているのだからと、カサンドラは魔術を含む残りの入門書を購入した。続けて、カメラに見えるようにして魔術の入門書を開く。


「……なるほど、書かれているのは魔術の初歩ですわね。ですが、内容は非常に分かりやすいですわ。これを熟読すれば、魔術の基礎を身に付けることが出来ると思いますわ」

『マジで!?』

『なら、私達も魔術を使えるようになるの?』


 盛り上がるコメントを横目に、カサンドラは頬に指を添えて考える。


「……そうですわね。訓練さえ積めば、魔力を感知することは出来ると思います。ただ、当然ではありますが、周囲に魔力があればの話ですわ」

『もしかして、俺達の世界には魔力が、ない……?』

「それは分かりませんが……」


 そちらの世界にも魔力があるのなら、誰かが魔術を使えるようになっているのでは――という心の声は、口にすることはなかった。


「ところで、読むペースはこれくらいで問題ありませんか?」

『あ、録画しているし、アーカイブにも残るからもっと早くて大丈夫よ』

『わいも録画済みだお。後で切り抜きをあげる予定』

「……よく分かりませんが、もっと速いペースでかまわない、ということですわね」


 それならば――と、カサンドラはペラペラとページをめくる。そうして最後まで捲り終えたカサンドラは、そこで一息吐いた。


「これで、大丈夫ですか?」

『ありがとう、カサンドラお嬢様!』

『さっそく練習してくるわ』

『俺も!』

『私も!』


 そう言ったコメントが続き、その後はコメントが急に静かになった。どうやら、ほとんどの人が、魔術の練習に行ってしまったらしい。

 それを確認したカサンドラもまた、畜産業の入門書を手に取った。

 

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