エピソード 2ー2

 それから数日間、カサンドラは本の虫になった。ショップに売られていた農業、畜産業、魔術、武術、算数、政治、礼儀作法などの入門書を購入し、一心不乱に読み漁ったのだ。


 カサンドラは乙女ゲームの悪役令嬢という名を冠するに相応しいハイスペックな娘だが、知識に感しては世界観に相応のレベルしか持ち合わせていない。

 そんな彼女が、乾いたスポンジが水を吸い込むように知識を吸収していく。入門書には基礎的なことしか書かれていなかったが、それでも数世紀は未来の知識の片鱗だ。

 カサンドラの知識は確実に増えていった。

 その上で、リスナーに質問をしながら、スラム街の改革案を出していく。


 余談だが、リスナーが異世界の知識をコメントできないという件は相変わらずだ。ただし、カサンドラが入門書で読んで得た知識についてはコメントできるようになっている。


 カサンドラが識ることで、この世界に現存する知識と認識された――というのがリスナーの出した結論である。その結論を肯定するように、カサンドラが熟読した項目から順に、リスナーのアドバイスを受けることが可能になっていった。

 そうして、カサンドラはスラム街を改革する計画書を書き上げた。


 インフラの整備によって衛生面を改善し、将来的に発生する疫病を未然に防ぐ。

 更にはトウモロコシを栽培し、それを餌にニワトリを飼育することで雇用を生み出す。そして、将来的な飢饉にも備えることが出来るという計画。


 その辺りは、リスナーの監修で練り上げた計画なので基本的に問題はない。問題なのは、いかにスラム街の人間を動かすか、ということである。

 どれだけ優れた計画でも、当人達にやる気がなければ成功はしない。


 その上で、重要なのはコミュニティの協力だ。一方的に外部から救いの手を差し伸べるのではなく、彼ら自身が足掻くように仕向けるという計画。


 だが、科学と違い、人の心は移ろいやすい。ましてや、リスナーの暮らす場所とは文字通り世界が違う。スラム街の人々が、リスナーの思惑通りに動いてくれるとは限らない。

 ゆえに、それは他の計画と比べると難航した。


 それでも、リスナーから様々な案が届く。その一つ、もっとも賛否が分かれて紛糾した意見を採用し、企画書に盛り込んである。その計画書をレスターに提出する。


 ほどなく、レスターから呼び出しを受けたカサンドラは執務室へと足を運んだ。

 部屋に入ると、レスターは執務室の向こう側、執務椅子に座って企画書に目を通していた。それを、カサンドラは不安な気持ちで見守る。


『大丈夫だって、カサンドラお嬢様』

『そうそう。俺達と一緒に練り上げた、異世界式の計画案だぞ』

『これで却下されたら嘘よね』


(たしかに、異世界の技術はすごいです。でも、わたくしはその知識をすべて理解している訳じゃない。企画書だって、上手く書けているかどうか……)


 不安に思いながらもレスターの様子を見守る。

 ほどなく、顔を上げたレスターがカサンドラを見つめた。


「いくつか質問があるのだが」

「なんなりとお聞きください」


(出来れば、わたくしが答えられる質問だけでお願いしますわね)


 口に出した言葉とは裏腹に、心の中では弱気なことを考える。そんなカサンドラの内心を知ってか知らずか、レスターはそれではと質問を開始した。


「貧困層に仕事を与えるために、炊き出しを対価に農地を開墾させるというのは分かる。郊外にちょうどいい土地があると言うのも理解した。だが……なぜトウモロコシなのだ?」

「トウモロコシは連作障害が発生しにくい作物なんです」

「連作障害か……初めて聞く言葉だな」


 レスターはそう言って、資料にある注釈へと視線を向けた。そこには、カサンドラが入門書とリスナーの言葉から導き出した連作障害のメカニズムが書かれている。


「同じ作物を作り続けると土が変容する、か。たしかに農地は使い続けると収穫量が落ちるのは周知の事実だが、その原因がここに書かれている連作障害によるものだと?」

「他にも原因はございますが、大きな理由の一つですわ」

「……事実であれば素晴らしい発見だが、いったい何処で知った?」


 探るような視線。

 まさか、自分の日常が異世界に配信されていて、それを見たい世界のリスナーからアドバイスをもらっている――なんて言えないカサンドラは応えに窮する。


「そ、それは、その……天啓を賜ったのです」

「……天啓だと?」

『天啓は草w』


 レスターから疑いの眼差しを向けられたカサンドラは、その視線を真正面から受け止めつつも、冷や汗をダラダラと流した。

 そうして無言の圧力に耐えていると、レスターが息を吐く。


「まぁいいだろう。重要なのはこの内容が事実かどうかだ。この資料によると、トウモロコシは連作障害が発生しにくい。そういう認識でいいのだな?」

「はい。いずれは対策が必要になるかもしれませんが、当面は問題ありません。また、土が痩せることはあるため、肥料で補うなどの対策は必要ですが――」


 肥料の一部に鳥の糞を使う。

 トウモロコシ、ニワトリ、肥料と循環させる予定であると計画書に書いてある。


「……ふむ。スラムの事業だけで循環させる訳だな。だが、連作障害の原因が分かったのだ。障害が発生しないように、違う作物を交互に植えていく手もあるのではないのか?」


 それはカサンドラが最初に考えたことであり、入門書に載っていた情報でもある。


「おっしゃるとおりではありますが、最初から複雑な作業は好ましくないと考えました」


 読み書きもままならないスラムの住人に複雑な仕事を任せるのは無謀だ。ゆえに、作業は単純明快を目指した――というのは建前だ。

 単純作業の方がいいのは事実だが、連作の対策となる作物の植え方はリスナーから聞くことが出来る。輪作をする程度であれば、それほど難しいことはない。


 それでもトウモロコシにこだわったのは、その使い道が食用以外にも多くあるからだ。

 食料を大量生産して食べ物が飽和すると、価格を維持するために他の作物の生産量が低下する可能性は高い。食糧の自給率が変わらなければ、来たるべき飢饉の対策にならない。

 ゆえに、非常時には食料になるけれど、普段は食料として使わない作物を選んだ。それこそが、三年後に訪れるであろう飢饉に対する対策の一つである。

 もちろん、レスターには秘密の計画である。


「……おまえの考えはよく分かった」

「では、わたくしに任せていただけるのですね!」


 カサンドラは執務机に身を乗り出すが、レスターはそれを手の平で制した。


「そのまえに疑問がある。おまえはさきほど、スラム街の人々に複雑な農業をさせるのは難しいと言ったな? その点についてはどう解決するつもりだ?」

「それならば、こちらをご覧ください」


 新たな計画書を提出する。そこに書かれているには、闇ギルドに協力を取り付けるという内容。これこそが、カサンドラが選択した、コミュニティを動かすための秘策。

 それを目にしたレスターは目を見張った。


「……正気か?」

『やっぱりそう思うよなw』

『【悲報】お兄様にあたおか判定されるカサンドラお嬢様』

『解釈完全一致w』

「……皆様が提案したことなのに、その言い草はなんですの?」


 カメラに向かって小声で呟いた。カサンドラとて、最初はその案に反対していた。自分を破滅する要因とは出来れば関わりたくないから。


 だが、一部のリスナーがそれに異論を唱えた。

 闇ギルド――赤い月は義賊で、そのマスターは有能な攻略対象だ。ゆえに、カサンドラが悪事を働かなければ破滅に導くことはない。

 むしろ積極的に関わって、味方に付けるべきだ――と。


 なにより、コミュニティに深く関わっている彼らを味方に付ける利点は大きい。そういった説得を受け、カサンドラはリスナーの意見を採用することにしたのだ。


 だが、レスターはカサンドラの運命を知らない。だから、彼がカサンドラの正気を疑うのは他の理由。純粋にカサンドラが闇ギルドの者達と関わることを案じているのだ。


(家族に心配されるのは、こんなにも嬉しいことなんですわね)


 喜びを噛みしめて、それでも必要なことだとまえを向く。


「心配してくださてありがとうございます。ですが、大丈夫ですわ。なにも無条件で闇ギルドを信頼する訳ではありません。交渉して、ダメそうなら他の手を考えますから」


 口ではそう言うが、カサンドラはなんとしても交渉は成功させるつもりだった。

 来たるべき災害を乗り越えるためには、あまり悠長にしていられない。闇ギルドの者達の協力を取り付けることこそが、時間を短縮するための秘策だから。

 そんなカサンドラの内心を知ってか知らずか、レスターは小さく頷く。そうして席を立った彼はカサンドラのまえまでやってきて、その大きな手でカサンドラの頬を撫でる。


「……カサンドラ、決して無理をするなよ」


 兄が信頼と心配の感情を抱いて揺れている。それに気付いたカサンドラはこのうえない喜びを感じた。そうして、兄の手に自ら頬を寄せた。


「お兄様、心配してくださってありがとうございます。お兄様の言うとおり、わたくしは無理をしません。無茶は……するかもしれませんが」


 レスターは軽く目を見張って、それから仕方がないなと溜め息をついた。


『妹に呆れるお兄様が尊い』

『さすがレスター様、呆れ顔も絵になるわ』

『いたずらっ子みたいなカサンドラお嬢様も可愛いぞ』

『これはてぇてぇな兄妹愛』


 リスナーのコメントを横目に、兄に撫でられるに身を任せる。そうして家族の愛情を満喫していると、レスターがおもむろに口を開いた。


「ところで、ここに書いてある、トウモロコシの種をエメラルドローズ子爵から買い付けるというのは一体どういうことだ?」

「それは言葉通りですわ。理由はいくつかございますが、エメラルドローズ子爵の領地で育てているトウモロコシの品種が、この領地で育てるのに適しているからですわ」


 これもリスナーから仕入れた情報だ。

 エクリプス侯爵家が没落した後、聖女の支援で復興する。そのときに栽培された作物の一つが、エメラルドローズ子爵領で育てられていたトウモロコシなのだ。


 ちなみに、この世界でも交配による品種改良はおこなわれている。

 科学的な根拠がある訳ではなく、農民の経験から来る知恵という設定。その上で、エメラルドローズ子爵領で育てられているトウモロコシが優れている、という話である。


 もちろん、エメラルドローズ子爵と関わるということは、カサンドラを破滅に導く大きな要因、聖女とも関わる可能性がある、ということだ。

 破滅の要因に関わることに、カサンドラは最後まで迷った。だが最終的には、下手に避けるよりも、積極的に関わった方が安全という結論に至った。

 カサンドラは基本的にアクティブな性格をしている。


「それで、お兄様。わたくしにスラムの改革を任せてくださいますか?」

「いいだろう。おまえに臨時で行政官の地位を与える。文官と護衛の騎士は付けさせてもらうが、よほどのことがなければ口は出さないので好きなようにやってみろ」

「必ず成し遂げて見せますわ」


 賭けるのは自らの運命。

 カサンドラは破滅の未来を打ち破るための一歩を踏み出した。

 

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