エピソード 3ー1
王都の儀式場にある儀式の間。そこにある転移陣を使用して領都に帰ることは、エクリプス侯爵家の娘であるカサンドラに与えられた権利の一つである。
にもかかわらず、王国の騎士がその場に乗り込んできて、一方的に転移陣の使用禁止を宣言した。その暴挙に、カサンドラを護衛する騎士達がピリピリとしている。
一触即発の雰囲気にカサンドラは息を呑んだ。
(なぜ、こんなことに……?)
破滅の未来を知り、その未来を回避するための行動を重ねた。少なくとも、いまのカサンドラに断罪されるような要因はないはずである。
なのに、なぜ――と、カサンドラは破滅するかもしれない恐怖に震えた。
『カサンドラお嬢様、しっかり!』
『そうよ、取り敢えず理由を訊きましょう!』
コメントが目に入り、カサンドラはかろうじて我に返った。そうして深呼吸を一つ。平常心を装って、肩口に零れ落ちたホワイトブロンドの髪を手の甲で払いのける。
「静まりなさい! ……これは一体なにごとですか?」
一喝することで味方を抑え、王国の騎士に話し合いを求める。
すると、王国の騎士達の中から青年が現れた。年は十代後半くらい。ブラウンの髪に縁取られた整った顔に、意志の強そうな緑色の瞳が収められている。
『もしかして……ニコラス様?』
『そうよ、ニコラス様よ!』
『ニコラス様きちゃあああああっ』
盛り上がるコメントを横目に、ニコラスという名前を記憶から探し出した。そうして王太子殿下の従者、伯爵家の令息がニコラスという名前であることを思い出す。
「ローレンス王太子殿下の従者がわたくしになんのご用かしら?」
「おや、俺のことをご存じなのですか? これは光栄ですね」
口調は丁寧だが、彼の口調や視線を観察していたカサンドラは、その言葉に隠れた敵愾心を感じ取った。なぜそんなに敵愾心を向けられているのかと困惑するが、その理由はすぐに理解する。切っ掛けは『どうしてそんなに盛り上がってるんだ?』というコメント。
それに対し、
『それは、ローレンス様とニコラス様の薄い本が大人気だからよ!』
という返信があり、
『ニコラス様はローレンス王太子殿下に仕える従者なんだけど、小さいときから一緒で、しかも一つ年上だから、ローレンス王太子殿下を尊敬しつつも、弟のように思っているのよね』
『そうそう。ローレンス様が好きすぎてこじらせちゃってるのよね』
『それで、ローレンス王太子殿下にこの娘は相応しくない。みたいな感じで、ヒロインにも突っ掛かってくるの。そこが、さいっっっっっっっこうに尊いのよ!』
『そうそう。ローレンス×ニコラス本ね』
『はぁっ!? そこはニコラス×ローレンスに決まってるでしょ!?』
『分かってないわね。王子を取られたくなくて嫉妬してるニコラスが、その気持ちを王子に知られて、ローレンス様に責められるのがいいんじゃない』
『バカ言わないで! ヒロインに現を抜かそうとしたローレンスを、ニコラス様がお仕置きする感じのシチュがいいに決まってるでしょ!』
といった感じでコメントが流れている。取り敢えず、ローレンス王太子のことを大切に思っているがゆえに、彼に近付く女性を警戒していると言うことは理解した。
だが、受けや攻めの概念はもちろん、BL知識が皆無のカサンドラには意味が分からない。
(身分的に考えて、表記は王太子殿下の方が先なのでは?)
そういう問題じゃないと、腐女子の方々から総ツッコミされそうなことを考える。そうしてコメントを見ていたカサンドラはハッと我に返った。
「それで、王太子殿下が大好きなニコラス様がわたくしになんのご用で――あっ」
コメントの勢いに引っ張られて、思わずよけいなことを口にしてしまう。王国の騎士と、エクリプス侯爵家の騎士が一触即発の雰囲気の中、カサンドラの言葉が不思議と響いた。
そして――
「はっ、はぁっ!? な、なにを言ってるんですか? 俺は別にローレンス王太子殿下のことが大好きなんて思ってませんけどぉ!?」
ものすごい早口だった。
『尊死』
『てぇてぇ』
『これはローレンス×ニコラス』
『解釈一致w』
盛り上がるコメント。もちろん、その場にいる者達にコメントは見えないけれど、ニコラスの反応だけでも、一触即発の雰囲気はぶち壊しになった。
カサンドラは少しだけ申し訳なくなって咳払いをする。
「失礼いたしました。それで、わたくしが転移陣を使えないというのは、一体どういうことですの? 説明くらいは、していただけるのですわよね?」
「それはもちろんです。現在、貴女にはある疑いが掛かっています」
「疑い? ただの疑いでわたくしの行動を制限するとおっしゃるのですか?」
「必要な処置なので、どうかご理解ください。むろん、疑いが晴れれば、転移陣の使用制限は撤回されますが……」
ニコラスはそう言って、カサンドラから視線を外す。彼が新たに視線を向けた先にはセシリアの姿があった。彼女がどうかしたのかと、カサンドラが口を開く直前、神殿の入り口の方がにわかに騒がしくなった。ほどなく、儀式の間にローレンス王太子が現れる。
「先日振りだな、カサンドラ嬢。おまえは他の貴族とは違うと思っていたのだが……」
カサンドラはすぐさまカーテシーで迎える。膝は曲げ、けれど腰は曲げずに、視線はローレンス王太子殿下に定めたままのスタイル。そうして視線を交わすけれど、パーティーで向き合ったときにはたしかにあった好意が、いまはすっかり消えている。
彼がカサンドラを見る視線には警戒心が滲んでいた。
(……この短期間で一体なにがあったというの?)
まるで、リスナーから聞いた断罪シーンのようだ。だが、カサンドラは断罪されるような悪事を働いた記憶はない。なにか誤解があるはずだと口を開く。
「ローレンス王太子殿下、発言をお許しいただけるでしょうか?」
「許そう」
「わたくしが転移陣で領都へ帰還することを禁ずると、ローレンス王太子殿下のご指示があったとうかがいました。その意図をお聴かせいただけますかしら」
「答えるまでもなく、おまえが一番よく分かっているのではないか?」
取り付く島もない――が、だからこそ、なにか誤解が生じているのだと思った。
「わたくしに非があるのなら心より謝罪をした上で償いましょう。しかしながら、わたくしには心当たりがございません」
「……心当たりがないだと? では、なぜそこに彼女がいる?」
ローレンス王太子が視線を向けたのは、カサンドラの斜め後ろにいる聖女だった。
「セシリア様がなにか?」
「とある貴族から密告があったのだ。エクリプス侯爵家の娘が理由を付けて聖女を連れ去り、私欲のために利用しようとしているとな」
静かな、けれど氷の刃を秘めた言葉。ここに来て、ローレンス王太子がなにを誤解しているか理解した。カサンドラは慌てて口を開く。
「誤解ですわ、王太子殿下。彼女はある女性の呪いを解くために、エクリプス侯爵家にまで足を運んでくださるだけですもの」
「それならば、その女性をエメラルドローズ子爵家へ連れて行けばよいではないか」
正論過ぎてぐうの音も出ない。
「それがその……セシリア様が、エクリプス侯爵家へ遊びに来たい、と」
「……カサンドラ、もう少しマシな言い訳をしたらどうだ?」
「なんらやましいことはありませんのに、反論の余地がありませんわ……」
呆れ眼を向けられたカサンドラは頭を抱える。
(……待って、待ってください。もしここで、強制的に領地に連れて行かれそうになっているとセシリア様が証言したら……わたくし、破滅ではありませんか?)
たとえば、密告者がセシリアである可能性。
もしそうであれば、カサンドラは見事に罠に掛かったことになる。
(もしあの脳天気な振る舞いが演技なら……)
自分は騙されたのかもしれない。いままでは漠然と考えていた破滅の可能性が現実味を帯びた。その恐怖に、背筋が凍るような思いを抱いて自らを抱きしめる。
そして――
「ローレンス王太子殿下、私が遊びに行きたいと言ったのは本当ですよ?」
セシリアの脳天気な一言が、カサンドラの深読みを蹴っ飛ばした。
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