エピソード 3ー2

 王都にある儀式場。

 一触即発の雰囲気だったのが、セシリアの脳天気な一言で霧散した。コメントは爆笑の渦に呑み込まれているが、現場では気まずい空気に包まれている。


「セシリア、本当に自分の意思でエクリプス侯爵家へ遊びに行きたいと言ったのか? 無理矢理、そう言わされている訳ではなく?」


 ローレンス王太子が、こめかみを押さえながら問い掛けた。


「もちろんです。だって、カサンドラ様は素敵ですから」


 答えているようで答えになっていない。いや、リスナーは『わかりみが深い』とか言っているが、それはともかく。ローレンス王太子はとても頭が痛そうだ。

 そうして、困った顔でカサンドラに説明を促してくる。


「……その。呪いを掛けられた娘を救って欲しいと依頼したのです。当初の予定では、わたくしがその娘をエメラルドローズ子爵家へ連れて行く予定だったのですが……」

「聖女が、エクリプス侯爵家へ遊びに行きたいと言いだしたというのか?」

「ええ、まあ……そうなります」


 カサンドラが同意すると、ローレンス王太子はものすごく困惑した顔になった。それを見たカサンドラも、さすがに少し不安になってくる。


「ローレンス王太子殿下、聖女は王都にいるべきだとお考えですか?」


 聖女は国の象徴だ。

 聖女が何処かの貴族に肩入れすると言うことは、政治的に大きな影響がある。それゆえ、エクリプス侯爵家が、聖女の訪問を断る理由はなかった。

 だが、それでローレンス王太子の不況を買うなら話は変わってくる。もしかしたら、ローレンス王太子にとって不都合があるのかもしれない。そう思っての問い掛け。

 けれど――


「いや、聖女が希望したのなら、エクリプス侯爵領への訪問は問題ない」

「そう、ですか」


 思いのほか、あっさりとローレンス王太子から許可を得た頃でカサンドラは安堵の息を吐く。だが、その直後にローレンス王太子は「だが――」と続けた。


「なぜそのようなことになったのか、詳しい説明を求めたい」

「それは、その……」


 ここで、わたくしもよく分かりませんわ! などと言えるはずがない。だが、セシリアに聞いてくださいという訳にもいかない。彼女からどんな言葉が飛び出すか予想が付かないから。

 ゆえに、カサンドラは必死にローレンス王太子を納得させうる理由をひねり出した。


「……実は、エメラルドローズ子爵にはもう一つ提案をいたしました。エクリプス侯爵領で新たな事業を考えており、その件でエメラルドローズ子爵に相談をさせていただきました」

「あぁ、そういえば、なにやらスラム街の改革を始めたらしいな」


 どうして知っているのかと息を呑む。

 カサンドラが関わっていることは隠していないけれど、スラム街の改革は始めたばかりだ。よほど侯爵領に目を向けていなければ、このタイミングでは知り得ない情報である。


「ん? あぁ、少し興味があってな」


 カサンドラの疑問に気付いたのか、ローレンス王太子は柔らかな笑みを浮かべる。


(それって、エクリプス侯爵領にって、意味ですわよね? わたくしに興味がある訳ではありませんわよね……?)


 チョロインよろしく、カサンドラは胸を押さえた。それから、破滅、惚れたら破滅ですわよと心の中で呪文のように繰り返し、浮ついた心を強引に押さえつける。

 だが――


「そのうち視察させてもらおう」


 ローレンス王太子はそう言った。

 正直、来て欲しくないといえば嘘になる。だが、カサンドラにとって、ローレンス王太子は破滅の鍵となり得る人物だ。出来れば関わらない方がいいに決まっている。

 なのに――


「ええ、その日を心待ちにしておりますわ」


 気付けばそう言って微笑んでいた。


『なんで歓迎してるんだよw』

『聖女とも関わってるのに、破滅する最大の原因を自分から呼び寄せてどうする』

『これは草ぁw』

『これ、スラム街の再開発に失敗したら、悪として断罪される奴じゃない?』


(うるさいですわね。乙女心は複雑なんですわよーっ)


 聞こえる訳もないのに、心の中でリスナーに言い訳をする。

 カサンドラ・エクリプス。破滅すると分かっていても、ローレンス王太子への想いを捨てきれないチョロい……いや、一途な娘である。


「――っと、話が逸れたな。つまり、セシリアはその事業に興味を示した、と言うことか?」


 ローレンス王太子がセシリアへと問い掛けるが、


「……事業って、なんの話ですか?」


 セシリアの答えにその場にいた全員が嘆息した。


「まぁ、いい。少なくとも、強制的に連れ去られる娘の反応ではないからな」


 どうやら、疑惑は晴れたらしい。

 ローレンス王太子はカサンドラに向き直った。


「聖女が誘拐される懸念がある緊急事態だったとはいえ、エクリプス侯爵家に礼を失したことは申し訳なく思う。公式に謝罪することは出来ないが、個人的には謝罪しよう」


 ローレンス王太子は王族としての務めを果たしただけである。また、王族たるもの、軽々しく謝罪することは許されない――という教えが王族にある。

 これは、王族の発言が、多くの人々の未来を左右するからだ。


 にもかかわらず、彼は謝罪という言葉を使った。カサンドラに対して、最大限の敬意を示しているという意思表示である。それを理解したカサンドラは考えを巡らす。


「ローレンス王太子殿下が心を痛める必要はございませんわ。悪いのは、誤った情報を殿下に伝えた何処かの誰かですもの」


 カサンドラはふわりと微笑んだ。


『破滅のピンチまで迎えたのに、カサンドラお嬢様ってば優しいな』

『悪役令嬢は何処行った?w』

『……いや、いまのはたぶん貴族的で迂遠な言い回しよ。悪いのは貴方じゃなくて、貴方を騙した誰かだから、その誰かに責任を取らせろって意味だと思うわ』

『え、そうなのか!?』

『……言われてみると、そんなふうにも聞こえてくるな』

『貴族……怖っ』

『カサンドラお嬢様、マジ悪役令嬢!』


 そんなコメントが流れるが、おおむね正解である。

 今回の件は作為的なものを感じる。おそらく、誰かが自分を陥れようとしたのだろうと、カサンドラは睨んでいる。だから、その誰かを罰して欲しいと願った。

 しかし、ローレンス王太子は難しい顔をする。


「それは……難しいな。故意であることが証明できれば、もちろん罰することは出来るが、勘違いだと言われてしまえばそれまでだからな」

「……軽々しく罰すれば、失敗を恐れて密告する者がいなくなってしまいますものね」


 密告者が明確な証拠を持っていることは少ない。それでも密告させるのは、疑いありという情報を精査して、隠された悪事を暴くのが目的だ。

 なのに、不確かな情報だからと罰してしまえば、他の者が密告をしなくなる。

 たとえ今回の密告者があえて誤った情報を密告したのだとしても、軽々しく罰することが出来ないのはそれが理由である。


「だが……そうだな。もしも次に同じようなことがあったなら、そのときはおまえの味方をすると約束しよう。無論、俺個人の話ではあるが」

「まあ、王太子がそのような安請け合いをしてよろしいのですか?」


 さきほども言ったように、王族の言葉はとても重い。その発言一つで多くの人々の人生を左右することもある。そんな彼が個人的にとはいえ、片方に肩入れするような発言をした。

 カサンドラが驚くのも無理はない。


 だがローレンス王太子は気にした風もなく「今回の一件は想うところもあるからな。カサンドラ、足場はしっかりと固めた方がいい」と呟いた。

 その言葉の意味を理解したカサンドラが目を見張る。


「……やはり、そうですか。ご忠告に感謝いたしますわ」

「なるほど、察しもいいのか。どうやら噂以上に有能なようだな」


 パーティー会場で見せたよきよりもずっと優しげな笑みがカサンドラに向けられた。それを間近で目にした彼女は胸を押さえてぷるぷると震える。


『カサンドラお嬢様大丈夫?w』

『大丈夫? 破滅する?』

『ってか、察しもいいってことは、いまのも迂遠な言い回し?』

『そうよ。密告者を罰することは出来ないけど――という下りのあとに、足場をかためた方がいいという忠告。つまり、放っておけば足元を掬われる。密告したのは、エクリプス侯爵家の傍系ってことじゃないかしら?』

『あぁ、そっか。身内が足を引っ張ってるって気付いたから、ローレンス王太子殿下も次は味方をするって言ったんだな。ってか、よく分かるな。説明されなきゃ分かんないって』

『ほんとだよ。なんで分かるんだってレベルw』

『私は、カサンドラお嬢様が傍系から嫌がらせをされてるって知っててようやく、かな。だから、そういう原作設定を知らずにいまのやりとりを理解する人はほんとにすごいと思うわ』


 そんなコメントが流れる中、不意にセシリアが息を呑んだ。


「カサンドラ様、傍系の人達に嫌がらせをされてるの?」

「――っ!?」


 カサンドラとローレンス王太子が目を見張った。

 これまでのやりとりから、カサンドラとローレンス王太子は、互いに迂遠な言い回しが理解できる相手だと理解していた。

 だけど、セシリアが気付くとは、二人とも思ってもいなかった。


『ふぁっ!?』

『セシリアも分かるのかよw』

『あれだけ天然っぽかったのに、マジかw』

『セシリアですら分かったのに、おまえらときたら……』

『いやいや、セシリアは原作のストーリーを知ってるからじゃないか?』

『知ってるのかなぁ? いままでの言動的に、知らない気もする』


 コメントまでもが驚く中、カサンドラはまったく別のことを考えていた。


 セシリアが迂遠な言い回しを理解できるはずがない――と、決めつけることは出来ない。けれど、お世辞にも迂遠な言い回しが得意には見えない。

 だから、もしかしたら――と、カサンドラは虚空に表示されるコメントに視線を向けた。

 

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