エピソード 3ー3
エクリプス侯爵家に帰還後。
カサンドラは事の次第を報告するためにレスターの執務室を訪れた。
「――というわけで、聖女が遊びに来ました」
「待て待て待て。なにがどうしてそうなった!?」
「わたくしにもよく分かりません」
「……分からない?」
「分かりませんわ」
不毛なやりとりを経て、そうかとレスターが遠い目をした。
『分かりませんは草w』
『たしかに分からないけど、もう少し説明してやれよ(笑』
カサンドラはコメントを見て、それもそうかと口を開く。
「理由は分かりませんが、私に興味を持ってくださったようです。そういう訳で、エクリプス侯爵家で受け入れることになりました。事後報告になり、申し訳ないとは思っています」
「……まあ、聖女が相手というのは驚きだが、おまえが友人を連れてくるのは事前に報告するようなことではないからな。気にする必要はない」
「ありがとうございます」
セシリアの滞在許可を得たカサンドラは、続けて転移陣の間での一件を報告する。傍系が暗躍している可能性がある、と。
そうして必要な報告を終えた後、カサンドラは自室へと戻った。
「エリス、セリシア様はどうしているかしら?」
「お部屋のベッドの上を転が――いえ、おくつろぎになっておられます」
侍女のエリスが言い直すが、なにを言おうとしたのかは明白だ。
「そ、そう。セシリア様が当家のベッドを気に入ってくださった、ということですわね」
考えることを諦めたカサンドラは、視線を悠久の彼方へと飛ばした。
『カサンドラお嬢様、渾身のフォローw』
『いやでも、客間もたぶん天蓋付きのベッドだろ? 現代人なら転がる気持ちは分かるw』
『ベッドの上でパジャマパーティーが出来そうなレベルだもんな』
コメントを見ながら、そういうものだろうかと物思いに耽る。
それからほどなくして、ふと我に返った。
「エリス、二通ほど手紙を書くからその準備を」
翌朝。
カサンドラの召喚に応じ、ヴェインとセレナの二人がエクリプス侯爵家の門を叩いた。ほどなく、使用人に案内された彼らが、カサンドラの用意した応接間に姿を現す。
ヴェインの横で辛そうな顔をしているのがセレナだろう。ロングの黒髪に、少し色の薄いエメラルドの瞳。儚げな雰囲気を纏ってはいるが、その顔立ちはヴェインによく似ている。
「よく来ましたわね」
カサンドラがセレナに声を掛けるが、彼女はそっと視線を逸らした。
(あら、人見知り、でしょうか?)
だとしても、十六歳の娘が、自分を救おうとしてくれている相手に挨拶もしないのは礼を逸している。カサンドラはともかく、その背後に控える侍女達の目がすがめられた。
そんな侍女達の視線から護るように、ヴェインがセレナのまえに立った。
「久しぶりだな、嬢ちゃん。まさか、俺達を屋敷に招くとは思わなかったぜ」
「あら、わたくしに出向けと?」
カサンドラが眉をひそめると、ヴェインは少し慌てて首を振った。
「いや、そうじゃない。ただ、セレナはともかく、闇ギルドに所属する俺を、この屋敷に招いても大丈夫なのかと、そう言いたかっただけだ」
「あぁ。正直に言えば、反対の声もありましたわよ? ですが、赤い月の皆様はこれから、わたくしの事業のパートナーですから。誰にも文句は言わせませんわ」
ヴェインに――というよりも、背後に控える侍女達に釘を刺す。
それに気付いたのだろう。ヴェインは「感謝する」と表情を綻ばせた。さすが攻略対象の一人だけあって、その笑みは非常に絵になっている。
コメントからも『ヴェイン様も素敵!』みたいな声が上がる。
だが、カサンドラは気にした風もなく「立ち話もなんですから、続きは座って話しましょう」と、ローテーブルを挟むソファに腰掛けるように勧めた。
カサンドラの申し出を受け、二人は揃ってソファに腰掛ける。
『カサンドラお嬢様ってイケメンに弱いだけかと持ったけど、以外とそうでもない?』
『だな。ローレンス王太子に弱いだけかもしれん』
『実は一途な乙女だったか』
『お、俺は認めないぞ!』
『ユニコーンは帰ってどうぞ』
『ソンナー』
(この人達、わたくしをなんだと思っているのかしら?)
節操がないと思われていたなんて失礼な――と、独りごちる。
すると、ヴェインが待ちきれないとばかりに口を開いた。
「それで、治療の準備が出来たというのは?」
「あぁ、そうでしたね。説明をするまえに――このことは他言無用です」
手紙では、治療の準備が整ったとしか書いていなかった。聖女がエクリプス侯爵家に滞在していることを広めるのは、よけいな軋轢やトラブルを生む可能性があるからだ。それこそ、セレナを救ったのなら自分も――と、セシリアの時間すべてを奪ってしまいかねない。
ゆえに他言無用だと念を押せば、二人は神妙な顔で頷いた。
「では、単刀直入に申しますが、いまこの屋敷に聖女様が滞在しておりますの」
「はぁ?」
ヴェインが奇妙なものを見るような目を向けてくる。
「ですから、聖女様が滞在しているんですわ」
「……まさか、こんなにすぐ、聖女を領地に招くなんてな」
「言っておきますが、普通は出来ませんわよ?」
「分かってる。侯爵令嬢様々だな」
「いえ、まぁ……そうですわね」
誰もがその力を欲する聖女。魔術師が使えないような高度な聖属性の魔術を、覚醒したそのときから自在に扱うことが出来る。
そんな彼女を領地に連れ帰るのは、侯爵家の令嬢だって不可能だ。そのことは、ローレンス王太子が飛んできたことからも明らかである。だから、それが出来たのはエクリプス侯爵家の力ではなく、セシリアが遊びに来たいといったから。
――なのだが、わざわざ教える必要はないだろう。
「まぁ……その、色々とありまして。セレナさんのことを説明したら、自らエクリプス侯爵領へ出向くと、セシリア様が申し出てくださったのですわ」
遊びに来たいという発言にはあえて触れずに説明した。
「おぉ……さすが聖女様、なんて慈悲深い」
『ワロタw』
『いまのわざと誤解させただろw』
『まあ、半分は事実だけどなw』
カサンドラはさり気なく視線を逸らしつつ、「それでは、聖女様をお呼びいたしますわね」と、メイドの一人に伝言を頼む。
ほどなく、セリシアが部屋へとやってきた。
「カサンドラ様、お呼びだと聞きましたけど」
「セシリア様、こちらわたくしの部下となったヴェインさんと、その妹のセレナさんです」
「初めまして、セシリアです。呪われてるのは……あぁ、貴方ですね」
他人がいるからか、いまのセシリアは聖女として振る舞っている。
そんな彼女がセレナの顔を覗き込んで断言した。
「……分かるんですの?」
興味を抱いたカサンドラが問い掛ける。
「ものにもよりますが、この呪いは見たら分かります」
「そうですか。それで、解呪は可能ですか?」
「もちろんですよ」
セシリアは微笑んで、それからセレナのまえで片膝を突いた。
「セレナちゃん、いまから解呪するね。解呪の副反応でちょっとびっくりしちゃうかもしれないけど、身体を治すためだから我慢してね?」
素の態度を曝け出し、セレナに優しく語りかける。
それでもセレナはビクッとして、意見を求めるようにヴェインを見上げた。
「彼女はセレナの身体を治すために来てくれたんだ。おまえをこんな目に遭わせた貴族とは違う。だから、信じて大丈夫だ」
「……うん、分かった」
セレナはぎゅっと拳を握り締め、それからこくりと頷いた。
(あぁ……彼女は貴族に虐げられたことで、貴族全体に不信感を抱いていたんですわね。だから、いかにも貴族令嬢なわたくしには警戒していたという訳ですか)
礼を逸していたのは挨拶をしない彼女――ではなく、彼女の置かれている境遇に気付かず、貴族として彼女と接してしまった自分の方だと、カサンドラは自らを恥じる。
だから、セレナに合わせて口調を変えたセシリアが立派だと思った。
「セシリア様、彼女のことをお願いできますか?」
「ええ、お任せください」
セシリアが静かに頷いて――次の瞬間、厳かな雰囲気をその身に纏った。中身が入れ替わったのかと錯覚するほど、彼女の纏う気配が一変している。
艶やかな唇から零れる凜とした声は呪文を紡ぎ、すべてを受け入れるように両手を広げた姿は慈愛に満ちていて、彼女の周囲を金色に輝く光の粒子が舞う姿は神秘的だ。
そして、その幻想的な光がセレナを包み込んだ。
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