エピソード 2ー10

 カサンドラは最初、異世界と言われてもピンとこなかった。だが、リスナーのコメントを読んで、彼らから見ればここが異世界なのだと理解する。

 つまり、聖女のセシリアは、リスナーと同じ視点でこの世界を見ている、ということだ。


(そうなると話は変わってきますわね)


 セシリアはカサンドラが破滅する原因の一つだ。だが、その彼女の中身が入れ替わっている。であるならば、いまの彼女は破滅の原因とは言い難い。

 もちろん、絶対に破滅の原因にならないという保証はないが、それを言い出せば、この世界の住人すべてがカサンドラの破滅の原因にならないという保証はない。


(セシリア様の思惑は分かりませんが……いまのところ敵意は感じませんわね。ならば予定通り、彼女とは仲良くする方向で動きましょう)


 そうなれば話は早いと決断を下す。


「たしかに転移の魔法陣で患者を連れてくることは可能です。ただ、セシリア様がエクリプス侯爵家に興味を示してくださるのなら、訪問を断る理由はございませんわ」

「本当ですか!?」


 セシリアが目を輝かせる。彼女は可憐な見た目で、年も一つ下だ。こんなふうに懐いてくれるなら悪い気はしないと、カサンドラは表情を綻ばせる。

 だが、その流れに焦ったのはエメラルドローズ子爵だ。


「ま、待ちなさい、セシリア。おまえはまだ、貴族令嬢としてのマナーを身に付けていない。そのような状況で他領に顔を出すなど、なにかあったらどうするつもりだ!」

「えー? カサンドラ様のところなら大丈夫……だよね?」


 他でなら完全にアウトな態度で問い掛けてくる。彼女はすっかり聖女としての化けの皮を脱ぎ捨てている。

 これにはカサンドラも苦笑するしかない。


「エメラルドローズ子爵の心中、お察しいたしますわ」

「えぇ~? カサンドラ様は私の味方をしてくれないの?」

「わたくしは、セシリア様を好ましく思っていますわよ? ですが、エメラルドローズ子爵がどう思うかは別ですもの。わたくしが、貴女を軟禁するかもしれませんし」

「な、軟禁!?」


 その可能性を考えていなかったのだろう。セシリアはびくりと身を震わせた。


「セシリア様は聖女に認定されましたでしょ? なにかと理由を付けて、自分のものにしようとする貴族は少なくないと思いますわ」

「……そうなんだ? でも、カサンドラ様はそんなこと考えてないでしょ?」

「もちろん、考えてはいませんわよ? でも、考えている人が、考えているというはずはないでしょう。警戒はしなければいけませんわ」

「ん~、そうだね。でも、カサンドラ様になら軟禁されるのも悪くないかも」

「……貴女は、なにを……」


 カサンドラは心から戸惑った。

 にへらっと笑うセシリアは小悪魔のようだ。


『これはてぇてぇ』

『キマシタワーっ!』

『ってか、悪役令嬢って知ってるはずだよな? なのに、なんでこんなに懐いてるんだろ?』

『実は悪役令嬢だって知らないとか?』

『それだと初見で驚いたのはなんだったんだって話になるだろ?』

『それより、エメラルドローズ子爵が胃を抑えて死にそうになっている件について』

『胃薬をあげなきゃ(使命感』


 コメントを読んだカサンドラが視線を向ければ、エメラルドローズ子爵はすごく苦しそうな顔をしていた。彼の立場を思って同情するが、カサンドラはひとまず自分の目的を優先した。


「エメラルドローズ子爵、いかがでしょう? 心配はごもっともだと思いますが、わたくしが彼女の言動を咎めることはありません。訪問をお許しいただけないでしょうか?」


 問い掛ければ、彼は長い沈黙を経て「そうですな……」と呟いた。


「では、お許しいただけるのですか?」

「これまでの無礼を許してくださったカサンドラお嬢様の寛容さは疑いようがありません。しかし、いまの状態のセシリアを他領に向かわせるというのは……」


(たしかに不安でしょうね。わたくしでも同じ気持ちになりますわ)


 ローレンス王太子がお披露目を延期したのも納得だ。

 カサンドラが咎めずとも、他の者がどう判断するか分からない。無礼を許すのを条件に、無茶な要望をエメラルドローズ子爵家に突き付けてくる者もいるかも知れない。


 カサンドラが悪事を働いてエクリプス侯爵家が凋落する未来があるように、セシリアの行動によってエメラルドローズ子爵家が凋落する未来だってあり得るだろう。

 養父として、エメラルドローズ子爵が難色を示すのも当然だ。


『聖女やエメラルドローズ子爵と仲良くはした方がいいけど、押しつけはよくないぞ』

『そうだな。カサンドラお嬢様が強く言うと子爵は断れないからな』

「そう、ですわね……」


(セシリア様と仲良くするメリットはありますが、エメラルドローズ子爵の反対を押し切るほどの理由もありませんわね。ここは大人しく引き下がるべきでしょうか?)


 そう思ったそのとき、セシリアが詰め寄ってきた。

 そうしてカサンドラの手を握り、上目遣いを向けてくる。


「カサンドラ様、お願い! お義父様を説得してください!」


(彼女はどうして、エクリプス侯爵家への訪問にこだわるのでしょう? 原作ストーリーを知っていたとしても、彼女がわたくしにこだわる理由はないはずですわよね?)


 分からない。けれど、その理由はたしかめておくべきだ。直感的にそう判断したカサンドラは、エメラルドローズ子爵を説得する材料を必死にひねり出す。


「いかがでしょう? わたくしが彼女のお友達になる、というのは」

「カサンドラ様と私がお友達に? やったーっ!」


 セシリアが無邪気に喜ぶが、いまのは言葉通りの意味ではない。エクリプス侯爵家の令嬢であるカサンドラが、セシリアの後ろ盾になるという申し出である。

 エクリプス侯爵家でセシリアが問題を起こした場合、カサンドラが奔走することになる。セシリアの振る舞いを見た後での発言と考えれば、かなり思い切った提案だ。

 だからこそ予想もしていなかったのだろう。エメラルドローズ子爵は目を見張った。


「カサンドラお嬢様、それは本気でおっしゃっているのですか? その……娘はご覧のように、少々と呼ぶにはあまりに破天荒な性格をしているので、ご迷惑かと存じますが……」

「えぇ、私の性格、そこまで酷くないよ。ねぇ、カサンドラ様?」

「いえ、セシリア様の性格はたしかに破天荒ですわ」

「そんなーっ」


 セシリアが悲鳴を上げた。


『辛辣で草w』

『でも事実を突き付けるのは重要』

『ところで、そんなーがネット用語に聞こえたのは俺だけ?』

『俺も聞こえた』

『俺もw』

『転生者どころか、ネットの住民である可能性まであるなw』


(たしかにセシリア様と話している感覚は、リスナーと話している感覚にいていますわね。だから、でしょうか? わたくしが彼女に親近感を抱いているのは)


 リスナーが聞けば大歓喜しそうなことを考えながら、カサンドラは視線を戻す。


「セシリア様はかなり破天荒な性格ですが、決して不快な気持ちにはなりません。ですから、彼女がエクリプス侯爵家に遊びに来たいというのなら、わたくしは歓迎いたしますわよ?」


 無論、強制するつもりはないけれど――と、エメラルドローズ子爵に視線で問い掛ける。すると、彼は真顔で考え込んでしまった。


『エメラルドローズ子爵は後ろ盾に乏しい家柄だから、これは破格の提案だ。もっとも、彼がエクリプス侯爵家を信用できるなら、だけどな』

『カサンドラお嬢様が聖女を取り込もうとしている、というふうにも見える訳か』


 そのコメントを目にしたカサンドラはたしかに――と思う。カサンドラにとっては純粋な厚意でも、相手からは下心に塗れて見えるかもしれない。

 というか、そういった思惑による、似たような提案はたくさんあったはずだ。


「考える時間が必要であれば、お返事は後日でもかまいませんわよ?」

「……いえ、そのお話、ぜひ受けたいと思います」

「ここで決めてよろしいのですか?」


 その決断は、セシリアの未来を左右すると言っても過言ではない。それをそんな簡単に決めていいのかと、カサンドラの方が不安になった。


「いずれにせよ、後ろ盾は必要だと思っていました。そして後ろ盾は、相応の地位にある方であると同時に、セシリアに理解のある人間でなければ、と」

「……なるほど。わたくしの他に適任者はいなさそうですわね」


 セシリアと気が合う、高貴な身分の人間。

 この二つを満たす人物はそうはいない。


『納得の理由で草w』

『原作の彼女には王太子が味方するが、いまの彼女の性格を考えると……だなw』


 こうして、セシリアをしばらくエクリプス侯爵家で預かることになった。

 その数日後、カサンドラはエクリプス侯爵領へ転移する転移陣の使用申請を出した。一行は王都にある転移陣に集まり、帰還の準備をしていたのだが――


「王太子殿下の命により、カサンドラ様が転移陣を使用することは禁止されています」


 転移陣がある儀式の間に、王国の騎士が雪崩れ込んで来た。

 

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