侯爵令嬢の破滅実況 破滅を予言された悪役令嬢だけど、リスナーがいるので幸せです
緋色の雨
プロローグ
カサンドラ・エクリプス。侯爵家のご令嬢である彼女は幼くして両親を失った。家門は兄が護ってくれたけれど、妹であるカサンドラは寂しい幼少期を過ごすことになる。
それでも、成長した彼女は想い人である王太子と婚約を果たし、幸せな人生を送る――はずだった。王太子が聖女を選び、カサンドラとの婚約を解消してしまうまでは。
幼くして両親を失い、愛情に飢えて育ったカサンドラは愛する婚約者の裏切りに耐えられなかった。そうして嫉妬に狂った彼女は悪事を働いて破滅する。
壮絶な最期を迎える彼女は、乙女ゲームの悪役令嬢である。
しかし、乙女ゲームの世界を生きる彼女が自らの運命を知ることは決してない。
――本来であれば。
(……これは、なにかしら?)
十五歳の誕生日を迎えた朝。天蓋付きのベッドで身を起こしたカサンドラは目をゴシゴシと擦った。虚空に、光を帯びた半透明の板が浮かんでいたからだ。
手を伸ばすが触れることは出来ない。けれど、その行動に対して反応があった。その光の板に、いくつかのメッセージが浮かび上がったのだ。
『お、目を覚ました』
『おはよう。初実況が睡眠配信とか斬新すぎるだろw』
『ってかこれ、リアルだよな? ヴァーチャルじゃなくて』
『どっかのお城か? セットにしても金を掛けすぎだろ』
『所属を書いてないけど個人勢? 絶対どっかの仕込みだよな?』
寝ぼけ眼を擦りながら、その身を起こしたカサンドラは虚空に浮かぶ板を覗き込む。
(光る半透明の板に、次々と言葉が表示されていますわね。……それに、この内容。わたくしのことを言っていますのよね? 一体、なんですの?)
「貴方、何者ですの?」
『声、可愛い!』
そんな文字がいくつか流れ、続けて『視聴確定』や『チャンネル登録しました』と言った、カサンドラには理解できない言葉が流れていく。
「声を褒められて悪い気はしませんが、わたくしの質問に答えてはいただけませんの?」
『何者かって言われても……あ、リスナーの呼称のことか』
『いや、名称って言ったってさ。設定が分からないと答えようがないだろ?』
『だよな? いまのとこ、寝てる姿を配信してただけだし』
(……先に名乗れと、そういうことでしょうか?)
カサンドラは現状の把握に努める。
けれど、自分の私生活が異世界で配信されており、それを見たリスナーがコメントをしている。そんな事実、カサンドラに分かるはずもない。
とはいえ、複数の人間が文章を書いていることは、コメントの流れから察していた。
「仕方ありませんわね。今回だけは特別に、わたくしから名乗って差し上げますわ」
カサンドラは肩口に零れ落ちたホワイトブロンドの髪を手の甲で払いのけた。
『ツンデレwww』
『ツンデレお嬢様だったかw』
「ツンデレ? なんですの、それは。というか、人の前口上によく分からないちゃちゃを入れるのは止めていただけるかしら? ぶっとばしますわよ?」
『ぶっとばしますわよw』
『ぜひぶっとばしてください!』
『俺はむしろ踏まれたい!』
ウィンドウがそんなコメントであふれ、収拾がつかなくなる。
これが普通の配信者であれば、コメントが流れる中でも自己紹介を進めたかもしれない。だが、状況を理解できていないカサンドラに、そんな対応を求めるのは酷である。
驚くべき動体視力でコメントを読んでいたカサンドラは、気になる一文を目にした。
『コメントばっかり見てないで、そろそろカメラを向いてくれよ。なんでコメント欄の斜め後ろにカメラを設置してるんだ?』
「……カメラ?」
無論、中世のヨーロッパをモデルにしたような世界で暮らすカサンドラにカメラが分かるはずもない。だが、コメントの内容からなんとなく察して振り返る。
そこには、レンズの付いた球体が浮かんでいた。
「……これがカメラ、ですの?」
虚空に浮かぶそれを摑んで覗き込む。
こちらは半透明のウィンドウと違って摑むことが出来た。そのカメラを持ったまま振り返り、ウィンドウに視線を戻せばコメント欄が物凄い勢いで流れだした。
『美少女きちゃああああ!』
『やばい、顔のドアップの破壊力が想像以上にヤバイ!』
『ホワイトブロンドの髪は分かるけど……紫色の瞳!?』
『え、カラコン? ってか、これって、加工した画像か?』
『なに言ってんだ。こんなリアルタイムで顔を加工できる訳ないだろ』
『ってか、この顔、何処かで見たことないか?』
『お嬢様、お胸の谷間が見えそうです!』
コメントを眺めていたカサンドラは、その一文を目にした瞬間に硬直した。いままでのやりとりから、そのカメラを通して多くの者が自分の姿を見ていることを自覚する。
(ちょ、ちょっと待ってください。いまのわたくしは、たしか……)
恐る恐る視線を落とせば、自分の上半身が目に入る。
シルクのネグリジェ。決して露出が多いデザインではないけれど、上から覗き込めば胸元がちらりと見える程度には無防備なパジャマ。
「な、なにを見てるんですのよ!?」
カサンドラはカメラを思いっ切りぶん投げた。だが、カメラは壁に叩き付けられる前に自ら制動を掛けて、部屋の隅で静止した。
カサンドラは手元にあった掛け布団を引き寄せて上半身を隠す。
『眼福だった』
『可愛い』
『切り抜かれるやつ』
『イケナイことをしてる気がしてきた』
『通報しました』
『ってか、カメラ投げんなw』
「お、乙女の柔肌をなんだと思っているんですか! あっち向いてなさいよ!」
カサンドラが理不尽に叫ぶ。この状況を視聴しているリスナーは、配信されている動画を見ているだけなので、見るなと言われてもと言ったところ。
だが次の瞬間、虚空に浮かぶカメラが後ろを向いた。
『急に視界が壁に(笑)』
『誰がカメラを回したんだよw』
『スタッフかな?』
ひとまずの難は逃れた。それをコメントから察したカサンドラは呼び鈴を鳴らす。ほどなくして、カサンドラの侍女達が部屋に入ってきた。
「カサンドラお嬢様、おはようございます。お着替えですか?」
侍女の声に『ガタッ』とか『REC』と言ったコメントが流れ始める。
そのウィンドウから視線を外し、カサンドラは「そのまえに、あれを片付けなさい」と、虚空に浮かぶカメラを指差した。
だが、侍女は怪訝な顔をする。
「あれというと花ビンですか?」
「……花ビン? いえ、その手前に浮かんでいるでしょ?」
カメラのことを説明するが、侍女達は首を傾げるばかりだ。まさかと思ったカサンドラが、ウィンドウに付いても聞いてみるが、反応は同じようなものだった。
(……どういうこと? まさか、わたくしにしか見えていない?)
やはり得体の知れないなにかであることは間違いない。そう判断したカサンドラは侍女を下がらせる。そうして上着を羽織り、カメラをひっつかんでこちらに向ける。
だが、コメント欄を目にしたカサンドラはある書き込みを見て瞬いた。
「たしかにわたくしはエクリプス侯爵家の息女、カサンドラ・エクリプスですわよ?」
カサンドラが答えた瞬間、コメント欄の流れが爆発的に加速した。
『やっぱり乙女ゲームの悪役令嬢だ!』
『ってことは……制作会社の宣材か!?』
『いやいや、発売してから何年経ってると思ってるんだよ』
『だな。それに、宣材にしては金を掛けすぎだろ』
と、そのようなコメントがものすごい勢いで流れていく。
(乙女ゲーム? 悪役令嬢? なんのことかしら?)
困惑するカサンドラ。
だが、同じように事情を理解できないリスナーも多くいるようで、『なにそれ?』と言ったコメントも流れている。そして事情を知るリスナーの一人が、彼らの疑問に答えた。
『カサンドラ・エクリプス。ヒロインに嫉妬して破滅する、乙女ゲームの悪役令嬢だよ』
(……破滅? わたくしが?)
この日、乙女ゲームの登場人物でしかなかった彼女が自分の運命を知った。
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