エピソード 2ー4
この世界の元となった乙女ゲームで、悪役令嬢が破滅する鍵となる。
その闇ギルドの名前が赤い月だ。
リーダーは攻略対象の一人で、闇ギルドは義賊という立ち位置。悪役令嬢の傲慢な振る舞いが許せず、彼女の悪事を王太子にリークする。
そういった存在だからこそ、カサンドラは彼らと手を結ぶ算段を立てた。だが、その赤い月を名乗るゴロツキが、子供達を奴隷商に売ろうとしている。
許せることではないが、子供達を助ければ赤い月と敵対することになる。
そうすれば、スラムの救済のが大きく遅れることになる。それはつまり、三年後に迫っている、カサンドラの破滅を阻止する可能性が低くなる、ということだ。
『赤い月って義賊じゃなかったのか?』
『まぁ義賊といっても、闇ギルドには変わりないからなぁ』
『綺麗事だけじゃままならないってことなのかな?』
コメントが流れるのを、カサンドラは静かに見つめていた。
綺麗事だけではやっていけない。それはなにも闇ギルドだけの話じゃない。領主の運営だってそうだ。そのことを、貴族として育ったカサンドラはよく理解している。
だから、ここで問題なのは――と、ちょうどそのことを言及するコメントが表示された。
『それより、カサンドラお嬢様はどうするつもりなんだ?』
『子供を救ってあげて!』
『いや、そうしたらスラムの改革が遅れるんだぞ?』
『自分の命は天秤に掛けられないよなぁ』
『あんな小さな子供を見捨てろって言うの!?』
『そりゃ可哀想だと思うけどさ。闇ギルドと敵対したら、スラムの改革が絶対遅れるじゃん。嫌がらせだってされるかもしれないし、そうしたら……』
『犠牲になるのはカサンドラお嬢様だけじゃない。スラムの住人も一緒ってことか……』
『それは、そうかもしれないけど……』
コメントに悲壮感が漂っている。
それを眺めていたカサンドラは小さく笑う。
「リスナーの皆様もそのように迷うことがあるのですね」
そう呟いて、子供達に視線を合わせるように前屈みになった。
「あなた達は、どうして売られそうになっているかしら?」
「それは……うちが貧乏で……」
「それで、借金のかたに奴隷商に?」
「違う! 最初は赤い月で雇ってくれるって話だったんだ! なのにあいつら、俺達を奴隷商に売ろうとしたんだ! だから、俺はユナを逃がそうと……」
「リクお兄ちゃん……」
リクと呼ばれた男の子が、ユナと呼ばれた女の子を必死に背後に庇っている。それを見たカサンドラは「小さくても男の子ですわね」と、リクの頭に手を乗せた。
「……お姉ちゃん?」
「もう大丈夫ですわ。後はわたくしに任せておきなさい」
立ち上がったカサンドラは赤い月の連中に冷たい眼差しを向ける。
「あなた達、この子達の言い分に異論はございますか?」
「異論? あぁあるね。そいつらを買ったのは俺達だ。どう使おうと、俺達の自由だろ?」
「……このような外道と分かっていれば、最初から考える必要はありませんでしたわね。痛い目に遭いたくなければ立ち去りなさい」
手の甲で肩口に零れ落ちた髪を払いのけ、毅然と言い放つ。
『カサンドラお嬢様格好いい!』
『これは惚れる!』
『自分の未来が懸かってるのに、迷わず子供を救うのかよw』
『悪役令嬢らしからぬ行動だな。だが、俺は信じてたぜ!』
『私も信じてたわ!』
コメントが大いに盛り上がり、スパチャが飛び交った。それが見えている訳ではあるまいが、赤い月の連中が激昂した。
「さっきから聞いてりゃ、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
連中の一人が掴みかかってくる。だが、その手がカサンドラに届くより早く、ウォルターがその男の腕を摑んで投げ飛ばした。
「――くはっ!」
「てめぇ、なにしやがる!」
背中をしたたかに打ち付けた男が呻き声を上げ、別の男が声を荒らげた。そんな彼らにカサンドラは冷ややかな視線を向ける。
「なにをするもなにも、先に手を出してきたのはそちらでしょう?」
「うるせぇ! こうなったらおまえも捕まえて奴隷に――っ」
男はカサンドラに詰め寄るが、そのセリフを言い終えることが出来なかった。カサンドラが男の動きに合わせ、カウンターで回し蹴りを放ったからだ。
ローブがひらりと舞って、その下に隠れていた生足がちらりと見える。次の瞬間、回し蹴りを喰らった男は盛大に吹き飛ばされ、壁にぶつかってくずおれた。
「わたくしを奴隷になどと……ぶっとばしますわよ?」
『盛大に蹴ってから言うなw』
『説得(物理)』
『カサンドラお嬢様すてきいいいいいい!』
コメントが盛り上がっているが、カサンドラはすべて黙殺した。なお、リリスティアやウォルターがなにか言いたげな顔でカサンドラを見つめているが、そちらの視線も黙殺する。
「さて、最後の忠告です。ぶっとばされたくなければ、いますぐ立ち去りなさい」
『だから、蹴ってから言うなってw』
『ってか、カサンドラお嬢様って格闘術も身に付けてるのか?』
『原作でそんな描写ってあったっけ?』
『なかったと思うが、悪役令嬢ってハイスペックだから……か?』
コメントで疑問が上がる中、カサンドラは男に詰め寄った。
「さぁ、どうするのですか?」
カサンドラの圧力に、男達がすくみ上がる。それを目の当たりにしたカサンドラは不意に人差し指を頬に添えて小首をかしげた。
「……というか、彼らを亡き者にすれば、赤い月と敵対せずに済むのではないかしら?」
『発想が物騒w』
『バレなければ犯罪じゃないってかw』
コメントはどちらかといえば否定的だが、カサンドラはわりと本気だ。バレなければ犯罪じゃないというのは、貴族社会においてはわりとありふれた考え方だ。
けれど――と、子供達に視線を向ける。
さきほどのやりとりから考えて、二人は兄妹なのだろう。兄が妹を護ろうとする姿を、カサンドラは無意識のうちに自分と兄の姿に重ねていた。
もしも、カサンドラがいまも兄に嫌われていると思っていたのなら、他の答えを出したかもしれない。けれど、いまの彼女に彼らを見捨てるという選択肢は存在しなかった。
(子供を売るような相手とは取り引きできませんわね。せっかく、わたくしのために、スラムを救う方法を考えてくださったリスナーには申し訳ありませんが……)
赤い月との取り引きは諦め、他の手を考える。
そう決意して、自ら一歩まえに出た。
「ウォルター、彼らを拘束して警備隊に突き出しなさい」
「――はっ」
彼はカサンドラの命令を即座に実行した。その態度がさきほどまでと変わっているように感じたカサンドラは小首をかしげる。
『ウォルター様、急にやる気を出してない?』
『ウォルターなら、カサンドラお嬢様の一撃に見惚れてたぞ』
『あぁ、それでw』
『お嬢様の回し蹴り、格好よかったからな』
『俺らみたいに、お嬢様のファンになったかw』
『切り抜き確定』
(認めてもらえた……ということでしょうか?)
であれば、今後の動きが楽になるかもしれない。そんなことを考えながらウォルターが二人組の拘束するのを見守っていると、リリスティアが近寄ってきた。
「カサンドラお嬢様、どこであのような格闘技を身に付けられたのですか?」
「あぁ……ちょっと入門書をね」
「入門書……ですか?」
リリスティアはよく分からないと首を傾げた。
だけど――
『おい、入門書って、あのショップで買った入門書のことだよな?』
『だと思うけど、本を読んだだけで、あの回し蹴りが出来るか……?』
『出来てたまるかw』
『わい、あの魔術書を読んでるけど、魔力を感知できるようになったお』
『妄想乙』
『つっても、カサンドラお嬢様、一度も実技訓練はしてないんだよなぁ……』
『おいおい。おまえ、ずっとこの配信に張り付いてるのかよw』
『いや、お嬢様の行動を纏めたwikiがある』
『なにそれ詳しくw』
そんなコメントを横目に眺めていると、路地裏から新手の男達が姿を現した。
「おいおい、これは一体なんの騒ぎだ?」
一人、二人、三人、四人と、そこかしこの路地から現れる。気が付けば、カサンドラ達は十人ほどの男達に包囲されていた。
個々の戦力で見れば、ウォルターやカサンドラの方が圧倒的だろう。
だが、多勢に無勢で包囲されているのはいかにも苦しい。最悪は強攻策になるだろう。だが、なんとかこの状況を打開しようと、カサンドラは頭を働かせる。
(そうよ。まだ彼らが赤い月の者達と決まった訳じゃないわ。対抗勢力という可能性も……)
「それで、てめぇらは、俺達赤い月の庭先でなにをやっているんだ?」
「あ、終わりましたわーっ」
淡い希望は儚く散ったと、カサンドラは頭を抱える。
『カサンドラお嬢様、大丈夫か?』
『終わりましたわーっ、じゃねえよw』
『このお嬢様、なんかリスナーに染められてないか?w』
『非戦闘員がいる上に、包囲もされてるんじゃ厳しいぞ、どうするんだ?』
リスナーからも不安の声が上がるが、カサンドラは自分を奮い立たせる。
(そうよ。ここまできたら前に進むだけ。それに赤い月と取り引きをしないなら、区画整理の上で彼らの存在は邪魔になる。覚悟を……決めましょう)
決意を新たに、カサンドラは再びまえに進み出た。
「なにをやっているのかとおっしゃいましたわね。この状況を見て分かりませんか? 子供達を奴隷商に売り飛ばそうとした赤い月の悪党をぶっとばしたところですわ!」
片手は腰に、肩口に零れ落ちた髪をもう片方の手の甲で払いのけた。まさに悪役令嬢のスタイルで相手を挑発する。そうして相手を怒らせ隙を作るのが目的。
だが、相手の反応は、カサンドラが予想したものではなかった。
「なんだと、もう一回言ってみろ」
「……? ですから、ご覧のように悪党をぶっとばしたと申しましたが?」
「そうじゃねぇ。赤い月って言ったか?」
「え? えぇ、言いましたが……?」
それがなにかと、カサンドラが問うよりも早く、カサンドラと話していた男がウォルターが拘束した連中のもとへと近付いてきた。
ウォルターが剣に手を掛けようとするが、カサンドラが待ったを掛ける。
すると、男は拘束されている者達の顔を確認した。
「兄貴、こいつらです。赤い月の縄張りで悪さをしていた連中は」
男は背後にいる仲間に向かってそう言った。
「そうか、これは手間が省けたな。そっちの嬢ちゃん、助かったぜ」
兄貴と呼ばれた男が破顔する。
さきほどまでの、こちらを警戒する雰囲気はすっかり抜け落ちていた。
「……どういうことですの?」
「ん? あぁ、そいつらは赤い月の名を騙って悪事を働いている小悪党でな。懲らしめるために探していたところ、この状況に出くわしたって訳だ」
「……つまり、あなた方が本物の赤い月で、彼らは偽物だと?」
「まぁそういうこった」
(なるほど、それで人身売買なんて悪事を。どうりで聞いた話と違う思いました。ですが、この分なら、彼らと敵対することもないでしょう。不幸中の幸い――っ)
そこまで考えたカサンドラは息を呑んだ。
自分がどれだけ無自覚に危険な道を歩んでいたか気付いたからだ。
赤い月はこの犯罪に関わっていなかった――どころか、それを断罪しようとしていた。
赤い月と手を組むことを優先して悪事を見過ごすことを選択していたら、赤い月の連中はカサンドラを人身売買に手を染めるような令嬢として敵視していただろう。
それはつまり、原作で破滅するのと同じ展開である。
(落ち着きましょう。大丈夫、わたくしは正しい選択をしたはずですわ)
「あなた方の事情は分かりました。その上で申し上げます。彼らの処分はわたくしに任せてくださいませんか?」
カサンドラは兄貴と呼ばれた男の真正面に立った。
「……嬢ちゃんに任せろだ? こいつらをどうするつもりだ」
「もちろん、警備隊に突き出し、断罪させますわ」
「断罪? 馬鹿を言え。証拠不十分で釈放されて終わりだろ」
「いいえ、わたくしがそうはさせません」
「なにを根拠に……」
疑惑の視線を向けてくる。その視線を一身に受けながら、カサンドラがフード付きのローブをバサリと脱ぎ捨てた。
異世界から取り寄せたワンピースを身に付けたその身が露わになる。
「わたくしはエクリプス侯爵家の娘。赤い月と取り引きにまいりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます