エピソード 2ー3
レスターから、スラム街の改革における行政官の地位を賜った。地域が限定されているとはいえ、正式な役職には違いない。カサンドラはレスターに感謝し、さっそく行動を開始する。
『それで最初に向かうのがスラム街にある闇ギルドというのが笑えるw』
『本気で闇ギルドと取り引きするのかw』
『自分が破滅する原因なのに積極的に関わるのは草すぎw』
「今更――っていうか、皆様も納得したじゃありませんか!」
リスナーは前回のやりとりを忘れたようなコメントをすることがある。これは、リスナーが一人ではない上に、そのリスナーが視聴していない時間帯もある、というのが原因だ。
ただ、それを正しく理解していないカサンドラは小さく息を吐いた。
「乙女ゲームのわたくしが、闇ギルドと取り引きした末に裏切られて破滅することは知っています。でもそれは、わたくしが他人を陥れようとしたから、なのでしょう?」
原作のカサンドラは、聖女を陥れるために闇ギルドを利用する。だが、カサンドラが悪事を依頼した闇ギルドは義賊、いわゆる必要悪に分類される存在だった。
それどころか、闇ギルドのリーダーは攻略対象の一人である。ゆえに、元平民の聖女に危害を加えようとする悪役令嬢を許さない。
結局、彼が裏切ったことにより、悪役令嬢は悪事を企てた証拠を摑まれてしまう。
これこそ、悪役令嬢が悪事を暴かれる最大の理由である。
つまり、悪役令嬢であるカサンドラにとって、闇ギルドは天敵の一つなのだ。
だが、それを聞いたカサンドラはこう判断した。
彼らが弱い者の味方なら、スラム街の復興に手を貸してくれるはずだ――と。
スラムの人々を救うには、彼ら自身が救われたいと願い、努力する必要がある。つまり、エクリプス侯爵家が主導するのではなく、彼らが自主的に動くように仕向ける必要がある。
そのための誘導役として、スラムのまとめ役である闇ギルドに目を付けた。
だが、闇ギルドとの取り引きに懸念を示しているのはリスナーだけではない。
「カサンドラお嬢様、本当に闇ギルドに向かわれるのですか?」
懸念を口にしたのはリリスティア。ローブの下、赤い髪は一つに纏め、ピシッとした服装を纏う綺麗なお姉さん。レスターがカサンドラの補佐として付けてくれた文官である。
「ええ。お兄様にも説明しましたが、彼らから協力を得ることこそが、スラムを復興させる上での成功の鍵だと思っていますわ」
「それは理解できます。ですが、なにもカサンドラお嬢様が出向かずとも……」
リリスティアはカサンドラの身を案じているらしい。
「ありがとう、でも護衛がいるから大丈夫よ」
「……そうして、なにかあれば我々護衛の責任を問うおつもりですか? そもそも、貴女になにかあれば、レスター侯爵の名誉に関わると理解していらっしゃるのですか?」
忌々しげに言い放ったのは護衛騎士のウォルターである。
ブラウンの髪とエメラルドの瞳を持つ整った顔立ちの若い騎士。彼もリリスティアと同様、レスターがカサンドラのために選んだ部下の一人だ。
二人が若いのは、カサンドラの部下として長く使えることを考えてのことだ。しかし、リリスティアはともかく、ウォルターの方はカサンドラの下につくことを不満に思っていた。
(お兄様に忠誠を誓っている期待の新人。将来はお兄様の護衛騎士に……と思っていたら、その妹のお守り役を押し付けられて不満、といったところかしら?)
事実としてカサンドラにはなんの実績もない。ウォルターが不満に思うのは仕方のないことだ。ここから実力を示し、彼を従えるしかないだろう。
カサンドラはそんなことを考えていたのだが――
『リリスティアお姉様素敵!』
『カサンドラお嬢様とのてぇてぇ期待』
『俺はウォルターはいつデレるのか楽しみだな』
『レスター様×ウォルター様の薄い本を希望』
リスナーは暢気に盛り上がっている。彼が忠誠を誓ってくれるかどうか、カサンドラにとっては結構な問題なのだが、リスナーにとっては大した問題ではないらしい。
それが頼もしいような、そうでないような……とカサンドラは苦笑する。
「なにがおかしいのですか?」
自分が笑われたと思ったのだろう。ウォルターがその整った顔に僅かながらも怒りを滲ませた。だが、いつまでもその態度ではいただけないとカサンドラは口を開く。
「なぜ自分が笑われたかは、貴方が一番よく分かっているはずですわ」
「なにをっ!」
「わたくしはお兄様に、闇ギルドに出向くと伝えました。その結果、お兄様はわたくしの護衛として貴方を選んだ。わたくしになにかあれば、お兄様の名誉が傷付くのは当然でしょう」
「それ、は……」
「貴方の不満は理解しているつもりですわ。だからわたくしに忠誠を誓えとは言わない。でも、お兄様に忠誠を誓っているのなら、お兄様の信頼を損なうような真似は止めなさい」
「……肝に、銘じます」
ウォルターは絞り出すような声で応じ、ぎゅっと拳を握り締めた。
『カサンドラお嬢様辛辣ぅw』
『だがそこに痺れる憧れる』
『悪役令嬢なのに正論で叩き伏せたw』
(少し言い過ぎましたでしょうか? でも、この事業は失敗する訳にはいかない。彼が言うとおり、わたくしの失敗はお兄様の不名誉になるのだから)
彼は上辺でしかそのことを理解していなかったのだろう。でなければ、カサンドラに不満な態度を取って、彼を任命したレスターの顔に泥を塗るような真似をするはずがない。
これでウォルターが反発するようなら、護衛を変えてもらう必要があるだろう。それこそ、レスターの顔に泥を塗る行為だが、後に問題を起こすよりはずっとましだ。
そんなことを考えながらスラム街を歩く。
そうしてしばらく歩いていると、不意に腕を摑まれた。カサンドラの腕を摑んだのはウォルターだ。一体どういうつもりだろうと困惑する。
だが、彼はおさがりくださいとカサンドラを背後に庇い、路地を睨みつけた。そして次の瞬間、その路地から子供達が飛び出してきた。
「おまえ達、そこを動くな!」
急接近してくる二人に対し、ウォルターが抜刀する。
それに驚いた子供達は尻餅をついた。
『ウォルター、子供相手に大人げない』
『いやでも、この世界なら子供が暗殺者、なんてこともあるんじゃないか?』
『それより、ウォルターがツンデレ説』
『さっきあんなに悪態付いてたのに、とっさにカサンドラお嬢様を庇ったからなw』
『カサンドラお嬢様の言葉が効いたんじゃないか?』
(言われてみれば……)
感情で嫌っていても、仕事はちゃんとするタイプ。あるいは、さきほどのカサンドラの言葉に思うところがあったのかもしれない。
どちらにせよ、彼になら護衛を任せられると安堵する。
だけど――と、カサンドラは子供達へと視線を向けた。
男の子と女の子で、年は十歳くらいだろう。身なりからして、スラム街で暮らす人々の中でも、かなり苦しい生活を強いられていると思われる。
そういう意味では、誰かにお金を渡されて、カサンドラの命を狙う可能性も零ではない。けれど、子供達の様子から敵意はないと判断する。
「ウォルター、剣を収めなさい」
「カサンドラお嬢様、自分のお立場というものをもう少し考えてください」
「貴方が護ろうとしてくれたことを咎めたりはしないわ。だけど、ごらんなさい。怯えきっているし、わたくしに対して敵意があるようには見えないでしょう?」
「……かしこまりました」
ウォルターは剣を収めた。
ただし、有事にはカサンドラを庇える距離から離れようとはしない。口ではあれこれ言いながら、やはりカサンドラのことを気に掛けているようだ。
(なるほど。これがツンデレというのですね)
リスナーから少し歪んだ知識を仕入れつつ、子供達へと視線を向けた。女の子は完全に怯えきっており、男の子がその女の子を健気にも庇おうとまえにでた。
「おまえら、あいつらの仲間か!?」
「カサンドラお嬢様になんという口の利き方を」
リリスティアが咎めるが、カサンドラは「止めなさい」と遮った。
「わたくし達がローブを纏っているのはなんのためだと思っているのですか」
いまのカサンドラはフード付きのローブを纏っている。それは、身分を誇示することでよけいなトラブルを持ち込まないためだ。なのに、身分を振りかざしたらなんの意味もない。
「……失礼いたしました」
リリスティアがそう言って下がる。
それを横目に、再び子供達へと視線を戻した。
「あいつらというのが誰のことか分からないけれど、あなた達と出くわしたのは偶然よ」
「そう、なのか?」
「ええ。というか、なにをそんなに怯えて――」
いるのかという問いは意味を成さなくなった。子供達が飛び出してきた路地から、今度はガラの悪そうな二人組の男が飛び出してきたからだ。
「へっ、ようやく追いついたぜ」
「もう逃げられないぜ」
『なんか噛ませ犬っぽいのきちゃーっ!』
『これはテンプレの予感!』
男達の出現に怯えた子供達が、カサンドラの背後へと隠れる。どうやら、子供達はこの連中から逃げていたらしい。
「なんだ、おまえら。俺達の邪魔をするつもりか?」
「理由によりますが……あなた方は、なぜ年端もいかぬ子供を追い掛けているのですか?」
「あん? 女?」
カサンドラの声を聞いた瞬間、男達の態度が悪くなる。
「あいつら、俺達を奴隷商に売ろうとしたんだよ!」
男の子が叫び、カサンドラはぴくりと眉を動かした。この世界には奴隷制度が残っているが、それは犯罪者や借金のある者に労働をさせる制度だ。
人攫いはもちろん、子供の売買も禁止されている。
「いまの話、本当なのですか?」
「あ? だとしたらなんだってんだ」
「子供の売買は禁止されているはずですが」
「はっ、おまえ、赤い月の俺達に説教するつもりか?」
男が馬鹿にするように言い放つ。
その言葉にカサンドラは眉を寄せた。赤い月というのは、この辺りを支配する闇ギルド、カサンドラが取り引きをしようとしていた相手だったからだ。
『スラムを救うか子供を救うか、究極の二択きちゃああああ』
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