エピソード 2ー5

「それで、侯爵令嬢様が赤い月になんの用だってんだ?」


 闇ギルド赤い月のアジトにある一室。ソファに腰掛けたカサンドラと赤い月のギルドマスターが、ローテーブルを挟んで向き合っていた。

 ギルマスの名前はヴェイン、年は二十三歳だ。艶やかなブラウンの髪に、強い意志を秘めたエメラルド色の瞳を持つ、整った顔立ちの青年である。

 彼は原作乙女ゲームの攻略対象の一人である。


 義賊と呼ぶに相応しい人格の持ち主であるが、彼はとある理由により権力者を嫌っている。ゆえに、いまもカサンドラに向ける眼差しは険しいものだった。

 また、彼の背後に控えている護衛らしき者達も統率が取れている。


(トップの志が尊くとも、部下を纏められていないのなら意味がない……と思いましたが、すべては誤解だったようですわね)


「話というのは他でもありません。貴方の力を借りたいのです」

「はっ、どっかのご令嬢に嫌がらせでもしろってか?」


 カサンドラは僅かに身を震わせた。いまのヴェインのセリフが、リスナーから聞かされていた原作乙女ゲームにおける、悪役令嬢とヴェインのやりとりと同じだったからだ。


(大丈夫、落ち着きなさい。リスナーから聞いた原作のわたくしとは違う。わたくしが頼むのは力ない者への暴力ではなく、救いの手を差し伸べる手伝いですもの)


 カサンドラは動揺を押し殺し、その整った顔に微笑みを浮かべた。


「わたくしが望むのは、力なき人々への救済ですわ」

「なんだ、妖しげな宗教でも始めようっていうのか?」

「いいえ、エクリプス侯爵家の事業ですわ」


 背後に控えているリリスティアへと視線を向ける。頷いた彼女が、ローテーブルの上に書類を並べた。それは、カサンドラがこの地域の行政官に任命されたという証明書だ。


「……嬢ちゃんがこのスラム街を改革するだって? なんの冗談だ?」

「貴様、誰に向かってそのような口を――」


 ウォルターが声を荒らげるが、カサンドラは片手をあげることで遮った。だが、ウォルターはそれすらも納得がいかないとばかりに口を開く。


「カサンドラお嬢様、ここで立場の違いをハッキリさせなければ舐められます」

「いいえ、それは違いますわ。彼がわたくしを見くびっているのは、わたくしがなんの実績もない小娘だから。結果を出せば、彼も自然とわたくしに敬意を払うはずよ」


 いまの貴方のようにね――と視線を向ければ、その視線に込められた意図に気付いたウォルターがばつの悪そうな顔をした。


「護衛が失礼しましたわね」


 そう言って視線を戻したカサンドラは瞬いた。

 ヴェインが静かに笑っていたからだ。


「嬢ちゃん、中々に面白い女だな」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」


 褒められていると思ったわけではないけれど、挑発に乗るつもりはないと受け流す。

 だけど――


『面白い女w』

『これはw』

『テンプレきたあああああっ!』

『なになに? どうしたの?』

『説明しよう。‘面白い女’とは、性格のキツい攻略対象が、ヒロインに興味や好意を抱いたときに口にする、お約束の言葉なのである!』


 悪役令嬢が攻略対象のフラグを立てた――と、コメントは大盛り上がりである。これには、社交辞令的な感じで褒め言葉として受け取ると口にしたカサンドラも困惑する。


(え? さっきのが本当に褒め言葉なんですの? 面白い女って言われて喜ぶ女性は少ないと思いますが……)


 カサンドラは身も蓋もないことを考えながら、ヴェインへと視線を戻す。


「それで、わたくしに協力していただけるのかしら?」

「まぁ待ちな。嬢ちゃんがお高くとまった娘じゃないのは分かった。だが、だからって俺達の庭で好き勝手にされたらたまらねぇよ」

「……一応言っておきますが、その庭の所有者はエクリプス侯爵家ですわよ?」


 カサンドラの冷静な指摘にヴェインが沈黙する。


『正論は止めて差し上げろw』

『闇ギルドのマスターがマスター(笑)になってしまうw』

『そんなところで悪役令嬢の口の悪さを発揮するなしw』

『カサンドラお嬢様、フォローしてあげて!』


 リスナーにたしなめられ、カサンドラは慌ててフォローのセリフを考える。


「ええっと……その、赤い月がスラムを実質的に管理しているのは存じておりますわ。だからこそ、わたくしはあなた方の協力を得たいと思っているのですわ」

「……どういうことだ? というか、俺達になにをさせようって言うんだ?」

「――リリスティア。彼に資料を」


 カサンドラの声に、リリスティアが資料をヴェインへと差し出した。それは先日、カサンドラがレスターに提出した計画書の写しである。

 ヴェインはその資料に目を落とし、最初は面倒くさそうに、やがて真剣な顔で読み始めた。そうして黙々と資料に目を通すこと数分、ヴェインはおもむろに顔を上げた。


「……これは、本気なのか?」

「なにか問題がありましたかしら?」

「いや、よく出来ている。事業の内容もだが、スラムの連中の使い方をよく理解している。これを本当に嬢ちゃんが計画したのか?」

「ええ――と言いたいところですが、わたくし一人の力ではありませんわ」


 そう言って、含みのある笑みを浮かべる。


『カサンドラお嬢様、悪役令嬢なのに謙虚っ!』

『いや、いまのは違うんじゃないか? 背後に見識のある人間がいるとほのめかすことで、自分の計画が失敗することはないと思わせる作戦とみた』


(わたくしの思惑を見透かすのは止めていただきたいのですが……)


 恥ずかしくなるから――と、コメントを読んでいたカサンドラは少しだけばつが悪そうな面持ちで呟いた。だが、すぐに頭を振って内心を隠す。


「それで、わたくしの要請を受けてくださいますか?」

「……スラムでおこなう事業のまとめ役、か」

「はい。それを出来るのは赤い月のあなた方だけだと思っています」


 赤い月は様々な情報を取り扱っている。そんな連中であれば、複雑な仕事を任せることも出来る。もしくは、任せることの出来る人材を知っているという算段。


「それはつまり、嬢ちゃんの下につけ、と。そういうことか?」

「ええ、その通りですわ」


 カサンドラが頷けば、彼は僅かに目を細めた。


「そう言われて、俺が素直に従うと思っているのか?」

「思います。なぜなら、わたくしはトウモロコシの種を入手するとき、エメラルドローズ子爵に接触する予定ですから。彼が誰を養女にしたのか、知らない訳ではないでしょう?」


 ヴェインがぴくりと身を震わせた。

 だが、それも無理はない。リスナー情報によると、彼には妹がいる。貴族の妾に選ばれ、それを断ったことで呪いを掛けられ、病床に伏すことになった薄幸の妹が。


 ちなみに、原作の乙女ゲームでは聖女がその娘を救う。ヴェインはそのことを感謝し、聖女に味方するようになるのが、彼のルートで描かれるストーリー。


「嬢ちゃん、何処でそれを知った?」

「さぁ、どこだったかしら?」

「……どうやら、嬢ちゃんは情報の扱い方も知っているようだな」


 ヴェインに感心されるが、その実はリスナーから教えてもらっただけである。だが、この誤解を利用しない手はないと、カサンドラは意味深な笑みで応じた。


「貴方が協力してくれるなら、貴方の妹と聖女を引き合わせてあげますわよ?」

「それだけじゃ足りない。呪いを解くと約束しろ」


 厳しい要望だ。聖女が取り合ってくれるか分からないし、聖女に呪いを解くことが出来るかも分からないから。だがそれは、未来を知らなければの話である。


「いいわ。わたくしが責任を持って、貴方の妹を救ってあげる」

「嘘だったら殺す」

「交渉成立ね」


 ヴェインの殺気に晒されながらも、カサンドラは悠然と微笑んだ。


『カサンドラお嬢様かっけー』

『闇ギルドと関わると聞いたときから分かってたけど、やっぱり聖女とがっつり関わることになりそうだな。カサンドラお嬢様、大丈夫か?』

『破滅を回避するのに、破滅の原因に自分から近付くとか男前すぎるだろw』

『この調子だと、王子とも関わりそうな勢いだなw』

『それなw どうなるか気になる!』

『チャンネル登録してきた!』

『俺も!』


 コメントが盛り上がる。その横のメッセージ欄に新たな通知が表示された。


・チャンネル登録数が500,000を越えました。

・配信スキルのレベルが4になりました。

・コラボ機能が実装されました。

 

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