エピソード 2ー8

 約束の日。王都にあるエメラルドローズ子爵家の別宅を訪ねた。異世界製のドレスを身に纏ったカサンドラは馬車から降り立ち、さり気ない素振りで周囲を見回す。


 エクリプス侯爵家の別宅に比べればずいぶんと小さいが、手入れの行き届いた温かみのある屋敷だ。その別宅が纏う空気感から、エメラルドローズ子爵の温厚な性格が伝わってくる。


「……権謀術数にまみれた社交界は、彼には生きにくい場所なのでしょうね」


 社交界は化かし合いが常だ。騙す方が悪いことに変わりはないけれど、騙される方も悪いと認識される世界。嘘がつけなさそうなエメラルドローズ子爵は貴族に向いていない。


『原作でもそういう立ち位置だったな。基本お人好しで、だから色々と苦労してた。もっとも、善意で養女にした女性が聖女だったことで、最後には報われるって流れだけどな』

「報われるのなら幸せですね」


 しみじみと呟くと、ほどなくしてコメントがついた。


『そうだな、カサンドラお嬢様は破滅するもんな』

「ぶっとばしますわよ?」

『お願いします!』


 処置なしと溜め息を吐き、カサンドラは案内を名乗り出た使用人の後を追った。そうして案内されたのは応接間。おそらく、この屋敷の最高グレードの応接間だ。

 その部屋でエメラルドローズ子爵が立ち上がって出迎えてくれる。


「カサンドラお嬢様、よくおいでくださいました」

「突然の申し出にもかかわらず、快く迎えてくださったことに感謝いたしますわ」


 ローテーブルを挟んで向かい合い、ソファに腰掛ける。メイドがテーブルの上にお茶菓子を並べるのを横目に、エメラルドローズ子爵を盗み見た。

 彼の表情は決して明るくない。

 少なくとも、好ましい商談を持ち込まれた者のする顔ではない。


(やはり心配させてしまっているようですわね)


 自らを破滅に追いやる要因の一つであるエメラルドローズ子爵。彼と関わることを決意したのは、味方に付けることで破滅を避けようとする意図もある。

 このまま誤解を招いたままにするのは望ましくない。


「先日も申しましたが、わたくしはエメラルドローズ子爵が栽培なさっているトウモロコシの種を譲っていただきたいのです」

「それだけなら、市場で買い付けることも出来るのではありませんか?」


 なのになぜ? と、彼は探るような視線を向けてくる。


「理由はいくつかありますが、まずはエメラルドローズ子爵と軋轢を生まないためです」

「そういえば、他領に売るつもりはなく、食料にするつもりもないとおっしゃっていましたな。一体、トウモロコシをどうなさるのですか?」

「これはわたくしが事業を開始するまでは秘密にしておいて欲しいのですが……」


 カサンドラはそう言って、侍女を通して事業計画を差し出した。


「トウモロコシを餌に鶏を育てる、ですか?」


 この国にも畜産業はあるが、それは自然に放牧して育てるのが一般的だ。土地があまっている世界なので、広大な土地を使用するという面ではそれほど問題はない。

 わざわざ作った餌を与えるのは異例のことだ。


「驚かれるのも無理はありません。ですが、様々なメリットがございますのよ? 詳しくはその計画書に纏めているので、よろしければご覧くださいませ」


 トウモロコシは栄養価が高く、鶏の成長が早くなる。それに放牧する必要がないので、周囲に壁を作り、魔物などによる獣害を抑えることも容易となる。


 カサンドラがリスナーと話し合って作り出した事業計画書だ。それに目を通していたエメラルドローズ子爵はうなり声を上げた。


「これは……本当にこのようなことが可能なのですか?」

『驚いてる、驚いてる』

『日本の近代産業を参考にしてるからな』

『グラフとかも画期的だからなぁw』

『まさに知識チートって奴よね』


 コメントがどやっているが、カサンドラは彼らほど楽観視はしていない。


「現時点で完璧――とは言えません。実際に始めればいくつかの問題が発生する可能性もあると思っております。ですが、それでも、必ず成功させて見せますわ」


 リスナーが付いているから――とは声に出さずに呟いた。


『いま、カサンドラお嬢様がなんか呟いた』

『口が動いてたな』

『デレた可能性があるなw』

『読唇術を使える解析班はどこだ!?』


 カサンドラは無言でカメラをひっつかみ、黙りなさいと笑顔で睨みつけた。それはそれでコメントが盛り上がるが、カサンドラはぽいっとカメラを投げ捨てる。

 そのまま何事もなかったかのように、エメラルドローズ子爵へと視線を戻した。


「という訳で、トウモロコシの種を売っていただけませんかしら?」

「目的は分かりましたが……それならばなおさら分かりません。なぜ、わざわざ私に? トウモロコシの種を買うだけなら、市場で買うことが出来ると思うのですが……?」


 やはり、なにか他に思惑があるのではと疑っているのだろう。彼を相手に、迂遠なやりとりは誤解を生む可能性がある。そう判断したカサンドラは正直に思惑を明かすことにした。


「農民が種子の選別をおこなっていることはご存じでしょう?」

「ええ。種子を選別することで、収穫量が増えるといった話は聞きますな。あくまで農民達の経験に基づく行為で、根拠はないとされておりますが……まさか」


 その根拠を得たのかという視線に対し、カサンドラは静かに微笑んだ。


「わたくしが求めるは、市場に出回っているトウモロコシから得られる種ではありません。エメラルドローズ子爵領の農民が選別したトウモロコシの種なのです」

「……なるほど。ですが、それを聞いて、私が売るとお思いですか?」


 自らの成果を奪われることになるのが分かっているのに、と。彼がそんな反応を示すのは、カサンドラにとっては織り込み済みだった。


「わたくしが求めるのはトウモロコシの種、それに種子を選別する人材の貸し出しです」

「貸し出し、ですか?」

「エクリプス侯爵領の農民を鍛えて欲しいのです。その対価に、派遣してくださった人材には、こちらの技術をお教えしましょう」


 技術を提供してくれるのなら、こちらも畜産業のノウハウを提供するという意味。だが、エメラルドローズ子爵領の技術は既存のもので、エクリプス侯爵領の技術は未知のものだ。

 その破格の条件に気付いたエメラルドローズ子爵が目を見張った。


「それは、大変ありがたい申し出ですが……一体、対価になにをお求めでしょう?」


 トウモロコシの種だけでは足りないと思ったのだろう。実際、彼は知り得ないことだが、カサンドラの計画している事業は、数世紀未来の技術を多く使っている。

 その価値は比べるまでもない。

 だが、カサンドラは穏やかに首を横に振った。


(敵対することでわたくしを破滅に追いやる存在。ここで求めるのは利益ではなく、彼の信頼ですわ。お人好しな彼に合わせて、こちらも善意で応じるべきでしょう)


「こちらがお願いしている身ですもの。トウモロコシの種の件に応じていただけるのなら、それ以上に望むことはありませんわ」


 内心は打算だらけだが、表面上は慈悲深く見える。カサンドラの言葉に感銘を受けたエメラルドローズ子爵は、それならば――と口を開いた。


「どうでしょう? 先日おっしゃっていた解呪、それを無償で引き受けると言うのは」

「……あら、よろしいのですか?」

「もちろんです」


 気軽に言っているが、エメラルドローズ子爵にとって、聖女の力は切り札のようなものだ。その力を必要とする相手には、いくらでもふっかけることが出来る。

 だからこそ、彼の反応は意外で――


(善意には善意で応える。そういう関係もあるのですね……)


 両親を早くに失い、侯爵家の娘として厳しく育てられたカサンドラの知識や思想には偏りがあった。だが、エメラルドローズ子爵と関わったことで、その考え方に変化が訪れる。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」

「ええ、もちろんです」


 いい取り引きが出来ましたと、エメラルドローズ子爵が笑顔を見せた。

 こうして、トウモロコシの種の買い付けと、それにまつわる取り引きは恙無く纏められた。その上で、呪われた娘の症状を、聖女のセシリアに聞かせるという話の流れになった。

 セシリアを呼ぶようにと、子爵が使用人に伝えた。


(いよいよ、聖女様とご対面、ですわね)


 カサンドラが破滅する原因であり、原作ゲームのヒロイン。

 聖女と呼ばれる善人だが、カサンドラにとっては天敵も同然だ。出来れば関わり合いになりたくないところだが、それはそれで破滅の原因になりかねない。


(仲良くなるのが一番、ですわよね。大丈夫。ローレンス王太子殿下のことが絡まなければ、彼女と敵対する理由はないはずですもの)


 だから大丈夫と自分に言い聞かせる。コメントでもドキドキすると言った意見が散見する中、カサンドラは聖女の登場を待った。

 そしてほどなく、美しい少女が応接間に現れた。


 セシリア・エメラルドローズ。

 カサンドラの一つ下、十四歳の女の子。

 吸い込まれそうな水色の瞳。腰まで伸ばされたモーヴシルバーの髪はサラサラで、肌は透けるように白い。その容姿は、とても最近まで庶民として暮らしていたとは思えない。


(癒やしの力が関係しているのかしら?)


 そんなことを考えていると、エメラルドローズ子爵が彼女の紹介をしてくれる。続けて、セシリアにカサンドラの紹介をする。

 けれど――


「え? ……え? 嘘、どうして……?」


 カサンドラを目にした彼女は、あり得ないとばかりに目を見開いた。


『おっと、この反応は……?』

『やっぱり、転生者かなんかっぽいなぁw』

 

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