エピソード 2ー7
カサンドラが早々に立ち去っていく。その後ろ姿を見送ったローレンスは少しだけ意外そうな顔をした。彼女に逃げられるとは思ってもいなかったからだ。
「殿下、また女性をからかっていたのですか?」
様子を見守っていたのか、呆れた顔の従者ニコラスが近付いてくる。彼は伯爵家の令息で、幼い頃からローレンスに仕える腹心。ローレンスを尊敬するがあまり、彼に近づく女性を値踏みするきらいがある。乙女ゲームにおける小姑のような人物だ。
そのニコラスの言葉にローレンスは眉を寄せた。
「からかうとは人聞きが悪い。俺の事情はおまえも知っているだろう?」
ローレンスは王太子だ。ゆくゆくはこの国の未来を背負って王になる定めであるがゆえに、いつかは王妃に相応しい女性を娶る必要がある。
そして、王妃に相応しいかどうかの条件に、ローレンスの好みは含まれていない。もっとハッキリ言ってしまえば、彼の伴侶を決めるのはいまの国王だ。
原作の彼がカサンドラと婚約することになったのもそれが理由。カサンドラの兄が若くして侯爵の地位に就いた優秀な男だから、味方に付けるべきだと国王が決断した結果だった。
けれど、ローレンスにも自分の意思はある。それゆえ、パーティーで出くわしたカサンドラに声を掛けた。婚約者になる可能性のある彼女の人柄を確認したかったから。
「それで、カサンドラ嬢は王妃に相応しい女性だったのですか?」
「ニコラス、一言二言話した程度で、相手の能力を推し量れると思っているのか?」
真顔で答えるローレンスに対し、ニコラスは呆れた顔をする。
だが、ニコラスはふと気付いたように口を開く。
「ローレンス王太子殿下が判断を保留するとは珍しいですね。いつもなら、一言二言交わしただけで、王妃には相応しくないと切って捨てるのに」
「……そうだったか?」
自覚のないローレンスは首を傾げる。
「……まあ、そうだな。少なくとも、世辞を鵜呑みにするような女性ではなさそうだ」
ローレンスとカサンドラが過去のパーティーで出会っているのは本当だ。そのときの出来事が切っ掛けで、カサンドラはローレンスに淡い想いを抱いた。
そしてローレンスもまた、カサンドラを憎からず思ってはいる。
だが、ローレンスがそのことを話題に出したのは、その想い出に浸りたかったからではない。その話題を出したときの、カサンドラの反応をたしかめたかっただけだ。
ローレンスは攻略対象というに相応しい外見をしている。ましてや、彼はこの国の王太子だ。どんな手を使ってでも、彼の心を手に入れようとする女性は後を絶たない。
もっと踏み込んで言えば心すら求めず、既成事実を作ろうとする令嬢すらいる。
それゆえ、カサンドラのことも警戒していたのだ。
しかし、カサンドラは他の女性達とは違った。ローレンスから親しげな眼差しを向けられ、むしろ警戒するような素振りを見せたのは彼女が初めてだ。
「そのわりに、やたらと動揺はしていたがな」
ローレンスと話す彼女は百面相をしていた。リスナーの書いたコメントを見ていたのが主な原因だが、ローレンスにそれは分からない。表情豊かな彼女を思い返して表情を綻ばせた。
そして、そんなローレンスをまえに、ニコラスは珍しいものを見たという顔をする。
「本気で王妃に迎えることをお考えですか?」
「どうかな? ひとまず、彼女の動向を探っておいてくれ」
「――仰せのままに」
◆◆◆
自らに破滅をもたらす存在、王太子から逃げおおせたカサンドラは、その足でエメラルドローズ子爵を捜して会場を彷徨った。
エクリプス侯爵家のご令嬢である彼女に声を掛けて欲しそうにしている者はいても、相手からカサンドラに声を掛けられる存在は滅多にいない。
カサンドラはほどほどに挨拶を交わしながらエメラルドローズ子爵を探した。それからほどなく、聖女の養父――貴族に囲まれているエメラルドローズ子爵を発見する。
「……まるで狼に囲まれた羊のようですわね」
社交界において、自分より身分の高い相手には、こちらから声を掛けてはいけないというマナーがある。それは、目の前で広がるような光景を避けるためだ。
だが、聖女を養女にしたとはいえ、エメラルドローズ家の爵位が子爵であることに変わりはない。それゆえに、聖女と関わりを持ちたい貴族達が群がっているのだ。
(群がっているのは伯爵以下の家柄のみ……侯爵以上の家柄はいませんわね)
それならば問題ない――と、カサンドラはエメラルドローズ子爵の元へと歩み寄った。
「エメラルドローズ子爵、ご無沙汰しております」
「これは……カサンドラお嬢様ですか。しばらく見ないうちに大きくなられましたな」
テレンス・エメラルドローズ。子爵家の当主である彼は今年で45歳だ。奥さんとの関係は良好であるが、子宝に恵まれず、聖女のセシリアを養女にしたという経緯がある。
ちなみに、一般的には聖女を養女にしたことになっているが、原作ストーリー的には、養女にしようとしたセシリアが、実は聖女だった――という時系列だそうだ。
子供にも優しい、お人好しの貴族、という感じである。
「エメラルドローズ子爵、実は貴方に少し相談があるのです」
「相談、ですか……」
彼は周囲を囲んでいる貴族達に視線を走らせた。カサンドラは素早く周囲へと視線を向け「みなさま、申し訳ありませんが席を外していただけますか?」と声を掛けた。
侯爵家の娘にそう言われた彼らは、しぶしぶといった感じで席を外す。
「お話中に申し訳ありませんでした」
「いえ、正直に申し上げると助かりました。彼らはエメラルドローズ子爵ではなく、聖女の養父である私との縁を望んでいましたから。それで、私にどういったご用でしょう?」
助かったと言いつつも、貴女も聖女目当てではないかと牽制を入れてくる。そうやって警戒するほどに、周囲が聖女との縁を強引に求めてきたのだろう。
だからこそ、カサンドラは単刀直入に切り出した。
「実はとある少女が呪いを受けて苦しんでいます。対価をお支払いするので、噂の聖女様にその娘を救っていただきたいのです」
「……それはつまり、エクリプス侯爵家に娘を派遣しろ、と言うことでしょうか?」
彼の探るような視線がカサンドラを捕らえた。聖女をエクリプス侯爵領に招き、理由を付けてずっと領地に留めおく。そういう可能性を警戒しているのだろう。
「いいえ、許可をいただけるのであれば、エメラルドローズ子爵のお屋敷に向かわせます」
「では、その呪いを解くだけでいい、と?」
「セシリア様にお願いするのはそれだけですわ」
エメラルドローズ子爵が静かにカサンドラを見つめた。本当にそれだけなのかと、疑っているのだろう。そのタイミングを見計らい、カサンドラは本題を口にした。
「実は、それとは別にエメラルドローズ子爵にお願いがありますの」
「……私にお願い、ですか。うかがいましょう」
「単刀直入に申しますわ。実は、トウモロコシの種を売っていただきたいのです」
「なるほど、トウモロコシの種を……トウモロコシの種?」
エメラルドローズ子爵がパチクリと瞬いた。
『ワロタw』
『これは絶対、聖女の身柄を要求されると思ってたやつw』
『ってか、なんでトウモロコシの種を買い付けるのに、そんな大げさなんだよw そりゃ、そんなこと言われると思わないし、警戒する方が普通だってw』
『だが、上手いやり方だ。もしお願いの順序を逆にしていたら、聖女と関わりを持つことこそが、カサンドラお嬢様の本題だと思われたはずだ』
『かもしれないけどさ。カサンドラお嬢様みたいな美少女から真顔でトウモロコシの種を売って欲しいとか言われたら、絶対困惑するってw』
好き勝手に言われているが、カサンドラは「トウモロコシの種ですわ」と繰り返した。
「……その、トウモロコシの種を買い付ける理由はなんでしょう?」
「もちろん、エクリプス侯爵領でトウモロコシを栽培しようと思っているからですわ」
その言葉に、エメラルドローズ子爵がぴくりと反応した。
互いの領地は物流的に近い位置関係にある。エクリプス侯爵領で大規模なトウモロコシの栽培をおこなえば、エメラルドローズ子爵領の産業に影響が出ると思ったのだろう。
「まずエメラルドローズ子爵に申し上げたいのは、そうして栽培したトウモロコシを他領に卸す予定はない、と言うことですわね」
「エクリプス侯爵領だけで消費すると言うことでしょうか?」
「ええ、その予定です。そもそも当面は食料として消費するつもりもございませんわ」
「それは……どういう?」
困惑するエメラルドローズ子爵。
カサンドラは周囲を見回し、静かに首を横に振った。
「申し訳ありませんが、人の耳があるここでは話せませんわ。もしよろしければ、日をあらためて、エメラルドローズ子爵の屋敷を訪ねてもよろしいでしょうか?」
困惑しながらも、エメラルドローズ子爵は頷いた。こうして、カサンドラは自らを破滅させる原因となり得る、聖女が暮らす屋敷を尋ねることになる。
(さぁ、聖女とご対面ですわ)
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