エピソード 3ー9

 聖女は憑依者で、前世はノクシアというVTuberだった。ただし、この世界が乙女ゲームをもとにした世界だと言うことは知らなかった。付け加えるのなら、人懐っこい性格でカサンドラを気に入っているため、彼女自身がカサンドラを破滅に追いやることはないだろう。

 カサンドラが破滅回避をして、幸せを手に入れる計画は大きく前進した。ただし、カサンドラが誰かと恋仲になれば、配信スキルが失われることも分かった。

 カサンドラはいつか、大きな選択をしなければいけない。

 そんな想いを抱きながらも、カサンドラは今日も実況を開始する。


「お友達の皆さん、おはようございますですわーっ!」

『おはよう』

『おはようございますですわーっ』


 朝食を取ったあと、リスナーあらため、お友達に向かって挨拶をする。

 それは、セシリアの影響を受けたカサンドラが始めたルーティーン。この数ヶ月で、カサンドラはすっかり配信に慣れていた。

 カメラに向かって笑顔を振りまき、今日の予定を告げる。


「今日は街の視察に向かう予定ですわ。ですのでお友達の皆様、どうか今日もわたくしに知恵をお貸しください。わたくしの破滅を回避するためにも!」

『カサンドラお嬢様、ここ数ヶ月ですっかり配信にも慣れてきたな』

「お友達のみなさんのおかげですわっ! もちろん、スラム街の改革が上手く言っているのも。先日はお兄様からお褒めの言葉をいただいたんですわよ?」

『見た見た。カサンドラお嬢様、むちゃくちゃ嬉しそうだったよな』

「う、うるさいですわよ」

『ツンは入りましたーっ』

「わたくしのこと、ツンデレ呼ばわりは止めなさいって言ってるでしょ!?」


 こうして朝の実況を終え――と言っても、配信はそのままなのだが、カサンドラは侍女を呼んで朝の準備を始める。もちろん、着替え中はカメラを壁に向けることも忘れない。

 朝の準備を終えたカサンドラは、護衛や侍女を連れて視察に出掛ける。


「カサンドラ様、今日も視察に来てくださったのですか」

「ありがたや、ありがたや」

「カサンドラお嬢様、こんにちは~」


 スラム街の比較的浅い地域。カサンドラの貢献を知っている住人達が話し掛けてくる。ここ数ヶ月で、彼女はすっかり住民達に慕われていた。


「カサンドラ様~。――ひゃうっ」


 こちらを向いて手を振っていた男の子が足元の小石に躓いて転んでしまう。それを見たカサンドラはすぐにその男の子の元へと駆け寄って手を差し伸べた。


「ボク、大丈夫?」

「あいたた……あ、カサンドラ様、ありがとうございます」


 男の子は涙目になりながら、気丈にカサンドラの手を取って立ち上がる。その健気な姿を目にしたカサンドラはぽつりと一言。


「……やはり、道の整備は必須ですわね」

『すっかりいい子やん。悪役令嬢どこいった』

『カサンドラお嬢様、マジ天使』

『聖女より聖女をしてる件についてw』

「皆様、うるさいですわよーっ」


 カサンドラは、側に浮かんでいたカメラを引き寄せて囁きかける。周囲に人がいるときに、怪しまれずにリスナーに話し掛ける方法として、カサンドラが思い付いた手段だ。

 ちなみに、リスナーには耳元で囁かれるような声が最高と大好評である。

 しかし、今日もリスナー達は止まらなかった。


『聖女は配信とカサンドラお嬢様に夢中だしな』

『そういや、ノクシアがルミエお姉様や家族と再会したのは感動した』

『あーあれな、俺もむちゃくちゃ泣いた』


 どうやら、セシリアの話題で盛り上がっているらしい。

 VTuberのコメント欄であればマナー違反だが、カサンドラの二十四時間垂れ流し配信では雑談をする者達も珍しくはない。内容的にも問題ないと好きにさせることにした。

 カサンドラはコメントから目を離し、転んだ子供へと向き直る。


「それじゃ、もう転ばないように気を付けなさいね」

「うん。――じゃなくて、ボク、カサンドラ様に話があるんだ! あのね、さっき身なりのいいお兄ちゃんが通りかかったんだけど、その後を怪しい奴らが追い掛けて行ったんだ!」

「……怪しい奴ら、ですか」


 カサンドラが視察をしているのはスラム街の浅い場所だ。以前と比べればずいぶんと治安がよくなったとはいえ、少し奥へ足を踏み入れれば治安は一気に悪くなる。

 身なりのよい青年が紛れ込んだのなら、たちまちにカモにされることだろう。


「よく知らせてくれましたね」


 カサンドラは立ち上がって、護衛のウォルターに付いてきなさいと声を掛ける。


「危険です、カサンドラお嬢様。確認なら我らがいたします」

「いいえ、スラムの闇がどうなっているのか、自分の目で確かめたいのです」

「しかし、この大所帯で行動を起こすのは……」


 ウィルターが向けたのはカサンドラの背後。

 そこには侍女のエリスと、カサンドラの補佐役を務める文官のリリスティア。その他に、見習いとして同行しているセレナ、リク、ユナの姿がある。

 対して護衛の騎士はウォルターを含めても三人しかいない。このメンツで厄介事に首を突っ込めば、カサンドラはともかく、他の者が危ないと言うのだろう。


「では、後を追うのはわたくしとウォルターのみ、残りはここに待機です」


 それ以上は譲らない。そんなカサンドラの意思が通じたのだろう。ウォルターは溜め息交じりにかしこまりましたと頷いた。

 そうして、カサンドラスラム街の奥へと足を踏み入れる。


『これが俗にいうスラム街か……』

『初見です。これ、何処の国ですか?』

『国というか、乙女ゲームを元にした異世界。定期』

『カサンドラお嬢様、気を付けてっ!』


 コメント欄を横目に、カサンドラはずんずんと路地裏を進む。ほどなくすると、ガラの悪い声が聞こえてきた。いままさに、誰かを強請っている、そんな声だ。

 カサンドラがウォルターに目配せをすれば、彼は頷き先行する。ほどなく、角を曲がったウォルターの「おまえ達、そこでなにをやっている!」と声が響いた。


 蜘蛛の子を散らすような声。

 カサンドラが遅れて足を運べば、そこには一人の青年がたたずんでいた。ブラウンの髪と瞳。この国では平凡な見た目ながら、そのたたずまいには何処か気品が感じられる。


「そこの貴方、怪我は……なさそうですわね」


 不幸中の幸いというべきか、青年は危害を加えられるまえだったようだ。腕に自信でもあったのか、彼は特別怯えている様子はない。けれど、カサンドラの姿を見て目を見張る。


「おま――っ。いや、貴方のようなご令嬢がなぜこのような場所に?」

「貴様っ、カサンドラお嬢様に助けてもらった身で、先に言うことがあるのではないか?」


 ウォルターが彼の無礼を咎めた。


「ウォルター、止めなさい。彼も戸惑っているのでしょう」


 カサンドラはやんわりとフォローする。そうしてあらためて大丈夫ですかと問い掛ければ、男はハッと我に返るような素振りを見せた。


「カサンドラお嬢様、感謝の言葉が遅れたことを謝罪いたします。私の名前はロー。危ないところを救っていただき感謝いたします」

「まあ、わたくしをご存じなのですか?」


 カサンドラが驚けば、彼は少し苦笑いを浮かべた。


「もちろん。スラム街の人々に手を差し伸べていると噂になっていますよ」

「貴族の娘らしからぬ――とでも言われているのでしょうね」

「……そうですね。ですが、俺は素晴らしいと思います」

「あ、ありがとうございます」


 少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。

 その先でウォルターと目があった。


「――カサンドラお嬢様、この場での立ち話は危険です」

「そうですわね。ではローさん、安全な場所までお送りするのでついてきてください」


 ローと名乗った青年をスラム街の外まで送ることにする。

 そうして歩きながら、ローといくつかの話をする。彼は貴族の家を出た三男で、商売をするために見聞を広めている最中だそうだ。上級貴族ならともかく、下級貴族の生まれなら珍しいことではないと、カサンドラはその話を信じた。


「しかし、侯爵家のご令嬢が、本当にスラム街を視察しているとは思いませんでした」

「あら、噂を聞いたのではなかったのですか?」

「聞きましたが……」


 話題作りで自ら流した噂だとでも思っていたのだろう。

 カサンドラは小さく微笑んだ。


「やはり、報告書だけでは判断できないこともありますから。ですから、スラム街の人々がどのような生活をしているか、自分の目で確認したいと思ったのです」

「それは……本気でおっしゃっているのですか?」


 隣を歩くローが目を細めた。


「わたくし、この数ヶ月で学んだことがありますの。自分はまだまだ未熟で、だからこそ、伝聞では分からないこともたくさんあるのだと」

「だから、自分の目でたしかめようと? それは、侯爵家の娘がすることなのですか?」

「エクリプス侯爵領の民を幸せにするのは、わたくし自身のためでもありますもの」


 それこそが、自分が破滅を回避するための鍵だから――とは口に出さない。けれど、明らかに出会ったばかりの相手に対して話しすぎだ。

 カサンドラ自身それを自覚していたが、なぜかローが相手だと警戒心が薄れてしまう。


(不思議ですわね。初めて会ったはずなのにそんな気がしません)


 ローの横顔を見上げていると、カサンドラの視線に気付いた彼が微笑んだ。カサンドラは慌てて視線を逸らし、自分の平常心を取り戻すことに努める。


 そうしてスラムの表通りへと戻り、エリス達と合流した。お付き達はカサンドラの隣に並び立つローを見てなにかを言いかけるが、カサンドラはそれを遮った。


「ローさん、もう少し安全な場所までお送りいたしますわ」

「……よろしいのですか?」


 彼は一瞬、カサンドラの従者達に視線を向けた。


「かまいません。それより、お送りするあいだ、貴方が見たこの町の感想を教えください」

「それくらいなら、喜んで」


 こうして、カサンドラはローを連れてスラム街の外へと向かう。その道すがら、通りかかった人々がカサンドラに挨拶をする。それを目にしていたローが感心した。


「カサンドラお嬢様は、領民に愛されているのですね」

「そうでしょうか? もしそうなら嬉しいですわ」


 本当に幸せそうに笑う。


「……聖女」

「聖女が、どうかしましたか?」

「あぁいえ、噂に聞く聖女のようだな、と」

「あら、聖女様はわたくしより素敵な方ですわよ?」


 セシリアのことを思い出してふわりと笑う。だが、しばらく待っても反応がない。「ローさん?」と問い掛ければ、彼はハッと我に返ったように口を開いた。


「貴女がそのように考えているのなら、エクリプス侯爵領の未来は明るいですね」

「あら、他の領地の未来は暗いような物言いですわね?」

「……そう、ですね。この国は平和が長く続き過ぎました。いまはまだ表面化していませんが、あちこちで腐敗が進んでいます」


 わりと危険な発言だが、ローがこの国の未来を憂いていることは、その言葉の端々から感じられた。だから、カサンドラはもう一度微笑んだ。


「心配ありませんわ。この国はきっとよくなります」


 自信満々に言うと、ローの探るような瞳がカサンドラを捕らえる。


「……それは、なぜですか?」

「わたくし、ローレンス王太子殿下のことを信じておりますの」


 子供が宝物を自慢するように無邪気な微笑み。

 八年前、ローレンス王太子はカサンドラに対し、いつか立派な王太子になると約束した。

 カサンドラはその言葉を信じている。

 事実、彼は王太子としてたゆまぬ努力をしている。カサンドラがローレンス王太子に憧れていたのは伊達ではない。彼の噂には常に耳を傾けていた。

 だからこそ、彼が既に立派な王太子であることをカサンドラは知っている。ローレンスが国王になれば、必ずこの国はよりよい方向に進むだろう。


 なんて口にすれば、現国王に対する批判になってしまうので口に出すことは出来ないけれど。それでも、聞く人が聞けば、カサンドラの想いは伝わったはずだ。

 彼はどうだろうと視線を向ければ、ローはそっぽを向いていた。


「……ローさん?」

「い、いや、なんでもありません」

「そう、ですか……?」


 小首をかしげたカサンドラの視界にコメントが目に入った。


『カサンドラお嬢様、立派になったよな。彼女が悪役令嬢だなんて、いまは誰も信じないだろ。むしろ、聖女と言われた方が信じるレベルだ』

『というか、この男、何処かで見たことないか?』

『俺も思ってた。けど、どこで見たかは思い出せないんだよな』

『わりとどこにでもいそうな顔だけどな』

『それより俺は、カサンドラお嬢様の警戒心が少ないことが気になる』

『元貴族って話だし、兄弟とかがパーティーに出席してたのかもな』


 コメントを横目に、カサンドラは無言になったローをスラム街の外まで送り届けた。


 ――こんな感じで、スラム街の改革は順調だった。

 もちろん、すべてが、という訳ではない。それでも、この調子で改革を進めれば、飢饉や疫病の被害は抑えられそう、という程度の実感はある。

 カサンドラが破滅したり、エクリプス侯爵領が没落する可能性は低いだろう。

 そう思っていたある日、ローレンス王太子から名指しで王都に呼び出された。


「……なぜですの?」

 

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