#31「アルバム」


 花火はなびと二人で家に帰ってきた頃には時刻は午後六時過ぎだった。


 すぐに夕飯の支度をしようとしたが、俺の体調を気遣ってくれた花火によって夕飯はデリバリーのお弁当を頼み……食後、俺は自室に籠って脚本の続きを書いていた。


 花火には安静にしているように……と釘を刺されたのだが、もう具合はすっかり良好だし、執筆作業をしていても問題はないだろう。それに、今日はやけに筆が進むのだ。


 もしかしたら、今日一日中プールで遊んだのが良い気分転換になったのかもしれない。


 そして、小一時間ほど作業を進めて、なんとかキリの良いところまで書き終えると、チェック作業のため一度紙に印刷して読み直そうと思い、プリンターを探して父さんの書斎を訪れる。


 しかし、書斎を探してもプリンターが見当たらず、二階の物置を漁っていた時だった。


「ん、なんだこれ……?」


 不意に、物置の奥の方……クッキーが入っているような古い缶箱を発見したのだ。


 まるで隠すようにして置かれていた缶箱を取り出し、何気に開けてみると中には分厚めのアルバムのようなものが入っていた。


「アルバムか、こんなのあったんだ」


 最近はスマホでなんでも写真を撮るためか、そもそもアルバムの存在を忘れていた。


 それに、今までアルバムの写真を見返したことなんてなかったかも。


 そう思いながらアルバムを開こうとした時だった。


 不意に、強烈な頭痛に襲われる。



 ――わたし、もう泣かない。わたしもあっくんを助けたいから……。



 それはもしかしたらさっき見た、夢の記憶だったのかもしれない。


 しばらくして頭痛が治まると、俺はさっきの夢が妙に気になって……夢の記憶と照らし合わせるように恐る恐るアルバムを開いた。


 すると、思った通り俺と花火の幼少期の写真がいくつも貼られている。


 その中からふと目についた写真。


 家の庭で撮られた小さい頃の俺と花火のツーショットなのだが、花火が恥ずかしそうに俺の背中に隠れているのが印象的だった。


 この写真がいつ撮ったものなのか、まったく覚えていないが、おそらく俺が五歳で花火が六歳の頃の写真だろうか。


 他の写真も見てみると、どれも花火が俺の背中に隠れていたり、俺の服の裾を掴んで不安げに半べそをかいている写真ばかりだった。


 全校生徒の前で堂々とスピーチをするような今の花火からはかけ離れた雰囲気だ。


 それにしても、俺の記憶力に問題があるのか……どの写真もいつ撮ったものなのか、なにをしていたのか、小さい頃の自分や花火がどんな子供だったかすらも思い出せない。


 思えば昔の事とかあまり覚えていないし、単純に記憶力が悪いんだろうな……。


 そんなことを思いながらしばらくアルバムを眺めていたが、ふと目的を思い出した。


「おっといけね、そういえばプリンターを探してたんだ」


 こうして何か探してる時とか、部屋を片付けている時についつい別のことをしてしまうのは全人類のあるあるだと思う。あと勉強の休憩時間とか、気付けば一時間以上経ってたりする。


 俺は当初の目的を思い出し、アルバムをぱたんと閉じようとした――その時。


 ふと、ひらりひらりとアルバムの中から一通の封筒のようなものが落ちた。


「なにこれ?」


 白い封筒の表面には何も書いておらず、中にはなにやら紙が入っているようだった。


 昔の手紙だろうか……と気になって、封筒から中の紙を取り出す。


 だが、それは俺が思っていたようなものじゃなかった。


「…………なんだよ、これ」


 その紙は、一年ほど前に俺が交通事故に遭った際の病院の診断書のようだった。


 当時は足の骨折と全身の打撲、頭を何針だか縫ったと聞いていたはずなのだが、その診断書に書かれていた文字列に俺は思わず絶句してしまう。



 ――



 概要には、部分的な記憶障害が見られる……という旨の記載があった。


 しかし、俺にはこれが一体どういうことなのか、一切分からなかった。


 俺が、記憶喪失……?


 今まで両親にも花火にもそんなこと一度も言われたことはなかったし、実際に自分が何を覚えていて、何を忘れてしまっているのかすら分からない。


 たしかに自分に記憶力がないのは自覚していたことだ。


 だが、自分が記憶喪失だなんて思わない。


 そのはずなのに。記憶障害、という文字列を見た瞬間から、今までまったく意識してなかったはずの記憶の穴が際立つように思い至ってしまうのだ。


 まるで心にぽっかりと穴が空いたようだった。


 気が付けば、手が震えていた。


 なんとも形容しがたいが、孤独感に似た恐怖に全身を襲われていた。


 俺は診断書を握りしめ、とぼとぼと一階にいる花火のもとへ向かう。


 リビングではソファーに座って読書をしている花火の姿があった。


 俺はゆっくりと花火に近付いていく。


 心臓が不穏に拍動していた。


「……花火」


 呼びかけると、花火が顔を上げてこちらに振り返ってくる。


 すると、俺の様子が変だと思ったのか、花火が首をかしげた。


「どうかしたの?」


 俺はゆっくりと診断書を見せ付ける。


「これ、なに……?」

「なっ、どうしてそれを……」


 診断書を見た途端、花火は目を見開き、口許に手を当てた。


 明らかに、この診断書について何か知っているような反応だと思った。


「なんだよこれ、俺って記憶喪失なのか……?」

「…………」


 花火が肩を震わせながら視線を逸らす。


 その反応はもはや肯定しているのとなんら変わりなかった。


「なんで、誰も教えてくれなかったんだよ」

「……ごめん」

「なんで謝るんだ……?」

「…………ごめんなさい」


 やめろ、やめてくれ……謝らないでくれ……。


 花火が謝る度に恐怖が俺の全身を支配していくのだ。


「花火、どういうことか説明してくれ……」

「ごめんなさい……」


 いくら聞いても、花火はただ謝ることしかしなかった。


 謝りながら、花火の目に涙が溜まっていく。


あさひ、ごめん……」


 そう何度目かも分からない謝罪を口にし、花火はリビングから出て行ってしまったのだった。

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