#15「額の傷」
もとより、俺が図書室を訪れた目的は脚本の書き方が載っている本を探すためである。
ありがたいことに凪紗先輩も一緒に探してくれていた。
ふと、少し離れたところで本棚を見上げていた凪紗先輩に手招きされる。
「
「ホントですか!」
凪紗先輩が見つけてくれたのは『サルでもわかる脚本の書き方』という初心者用の指南書。
まさに俺が探していたものと一致していた。
しかし、その指南書は背の高い本棚の一番上の段に並べられている。
うちの学校の図書室はかなりの蔵書数があるためか、本棚のひとつひとつが大きかった。
一番上の段なんて、バスケ部やバレー部のエースくらいしか届かないだろう。
そのどちらでもないただの帰宅部の俺がぴょんぴょん跳ねたところで、ようやく背表紙に触れられるくらいで本を取ることはできなかった。
すると、凪紗先輩がどこかに歩いていく。
「私、脚立取ってきますね」
「あ、はい」
脚立あるのかよ。ないと思って頑張ってたのに……。
しばらくすると、凪紗先輩がどこからか脚立を持ってきてくれた……のだが。
「大丈夫ですか、これ? 結構ボロいというか……」
「そうですね、かなり老朽化が進んでいますね。ですが、これしか見当たらなかったので……」
試しに俺が脚立に足を置くと、ギシィ……という嫌な音を立てた。
それに、ぐらぐらとしていて不安定だ。
両足を乗せたら壊れてしまいそうな危うさがあった。
俺が脚立に乗るのを躊躇っていると、凪紗先輩が脚立に足をかける。
「旭さん、支えてもらえますか? 私が乗ります」
「えっ、そんな。危ないですよ」
「大丈夫です。私の方が軽いと思うので、旭さんが乗るより安全です」
「いや、でもさすがに……」
「少しは先輩のことを頼ってください」
「……はい。そういうことなら分かりました」
そこまで言われては断ることができなかった。
それに、俺より体重の軽い凪紗先輩が脚立に乗って、先輩よりも力のある俺が支えた方が理にかなっていると思ったのだ。
俺がグッと脚立が揺れないように支えると、凪紗先輩が慎重に脚立をのぼっていく。
そして、少し踵を浮かせて本へと手を伸ばそうとしたとき。
キシキシ、と脚立が悲鳴を上げた。
「先輩、気を付けてくださ――あっ」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
ふと顔を上げたとき、ふりふりと揺れるスカートの裾が俺の目線よりも真上にあって、スカートとは違う白い布が視界に入り込んだのだ。
「はい、大丈夫で――ひゃっ! み、見ないでください……!」
「す、すいません……って、先輩暴れないで……っ!」
「えっ――」
先輩が咄嗟にスカートの裾を押さえた瞬間、ギシギシ……と、脚立の断末魔が聞こえた。
脚立の足が壊れ、大きく揺れた拍子に凪紗先輩がバランスを崩して落下する――。
「な、凪紗先輩ッ……!」
俺は咄嗟に先輩を受け止めようとしたが、落下した勢いに押されてバランスを取り切れず、そのまま床に倒れ込んでしまった。
ドサッ――と、鈍い音を立てて背中に強い衝撃を受けながらも幸いなことに図書室の床に絨毯が敷かれていたおかげでたいして痛みはなかった。
それより、俺はすぐさま胸に抱き留めた凪紗先輩に意識を向ける。
「だ、大丈夫ですか先輩⁉ 怪我は……?」
「……な、ないです」
「はぁ、良かった……」
ほっと安堵した途端、体の力が抜けてしまう。
俺が胸を撫でおろしていると、先輩がぎゅっと胸に密着してきた。
「せ、先輩……?」
胸の辺りに暖かい吐息が当たる。
なんかこの前も同じようなことがあったような……。
思わず週末の出来事を思い出して心臓の音が一層大きくなる。
凪紗先輩は俺の胸に顔を伏せたまま、しばし沈黙していたが……不意に体を起こすとなぜか俺の顔を覗き込んできた。
ち、近い……。
ドクンッ――と、目が合った瞬間、心臓が大きく飛び跳ねる。
吐息が頬に届くほど近い距離にある凪紗先輩の顔はほんのりと紅潮していて、濡れた大きな瞳が俺を見つめたまましばたたく。
艶やかな黒髪が首筋からはらりと流れると、シャンプーのいい香りが広がった。
気付けば、俺は凪紗先輩に馬乗りにされているような体勢になっていたのだ。
桜色の小さな唇。きめ細やかな白い肌。いつもの表情の乏しい顔にほんの少しの朱を差し、凪紗先輩は西洋人形のような綺麗な顔を近付けてきた。
「あ、あの……ちょっと……」
ドキドキしすぎて心臓が痛い。
今がどういう雰囲気で、これからどうなってしまうのか。
俺にも容易に想像が付いた。
思わず、ぎゅっと目をつむってしまう。
だが、予想していたところに予想していた感触がなかなか来ない。
すると、不意にさらっと細い指で額を覆う前髪に触れられた感触があった。
ゆっくりと目を開けると、凪紗先輩が俺の前髪に触れながら心配そうな顔を浮かべている。
「この傷は……?」
「えっ……。あ、そういう……」
どうやら俺が思っていたような展開ではなかったらしい。
ほっとしたような、そうじゃないような複雑な感情に苛まれながらも俺は恥ずかしさのあまり体温が急激に上がったのを自覚した。
それを誤魔化すように俺は自分の額に手を当てる。
「こ、この傷はむかし事故に遭ったときの傷です……」
「事故、ですか……?」
「はい、中三の時に車に撥ねられたらしくて」
「らしい? 覚えていないのですか?」
「なんか気付けば病院にいたんで、事故のことは覚えてないんです」
そう、俺は一年ほど前に交通事故に遭った……らしい。
一瞬のことだったからか、事故に遭った時のことはほとんど覚えておらず、後から両親から伝えられたことだけど。
「痛くないのですか?」
「もうほとんど痛みはないですよ。見た目はこんな痛々しい感じだけど、ハリーポ〇ターみたいだしまぁいいかなって」
痛みと言っても、雨の時にたまに頭痛がするくらいでほぼ完治したと言っていいだろう。
俺が楽観的に笑うと、凪紗先輩が呆れたような顔をした。
というか、そんなことより……。
「あ、あの……先輩、そろそろ退いてもらっても……」
「あっ、す、すいません……」
ふと、俺たちが体を密着させたままだということを思い出したのだ。
凪紗先輩が慌てて俺の上から退こうとしたとき。
不意にパタパタと忙しない足音が聞こえてくる。
「――す、すごい音がしたけど大丈夫ですか……って、あわわわわ」
本棚の隙間から顔を覗かせたのは図書委員の女子生徒だった。
どうやら俺たちを見て、あらぬ誤解をした様子で……。
「お、お邪魔しましたァァァ――!」
「ちょ、ちょっと待って! 違うんですこれはァァァ……ッ‼」
静かな図書室に俺の必死の声が響き渡る。
俺の上で跨った状態の凪紗先輩がこめかみを押さえてため息を吐いたのだった。
◆ ◆ ◆
図書委員の誤解を解き、
つい先日聞いた、幼馴染であり親友でもある
正直なところ、花火の話したことがあまりに耳を疑うものだったため、にわかには信じられないでいた。
だが、彼の反応を見るにそれが事実であると確信に至ったのである。
いや、事実であると思いたかった……というのが本音だろうか。
「やはり、本当に旭さんは……」
凪紗の表情の乏しい顔がどこか寂し気に歪んだようだった。
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