#14「メダカの夫婦」
「しぃー……
俺の肩をとんとん、と叩いてきたのは生徒会会計の
「す、すいません……」
普段ほとんど図書室を利用しないのもあり妙な緊張感があったせいか、必要以上に大げさなリアクションをしてしまった。
静かな図書室に自分の声が響いて結構恥ずかしい……。
俺はじんわりと頬が熱くなるのを誤魔化すように凪紗先輩に尋ねた。
「な、凪紗先輩はよく図書室に来るんですか?」
「はい。卒業までにすべての本を読むのが目標なんです」
「全部って……何冊あるんですか、これ……」
他の学校がどうかは知らないけれど、うちの学校の図書室はなかなか広い方だと思う。
少なくとも俺が小中の時の図書室に比べればずっと広かった。
凪紗先輩が読書家なのはわりとイメージ通りだけど、読書好きのレベルが俺の想像を遥かに凌駕していた。まさに本の虫、という表現がぴったりだ。
「ところで、旭さんはどうして図書室に?」
「あ、えーっと、文化祭の出し物でオリジナル演劇をすることになったんです」
「オリジナル演劇ですか、楽しそうですね」
「ええまぁ、それで脚本係になっちゃったんで資料になりそうな本とかないかなと思って」
言うと、凪紗先輩は感心したように顎に指を添え、いつもの無表情に少し色を差した。
「へぇー、旭さんが脚本を。ぜひ観劇させていただきたいです」
「俺のが採用されるかは分からないですけどね。普段、本とか全然読まないし……」
今のところ、どういう話にしたいとか、アイデアすらまともに浮かんでこないし……自信がないというのが正直なところだった。
そこで、ふと思い付く。
「あっ、そうだ。凪紗先輩のおすすめの小説とかってあったりしますか? 脚本の参考にしたくて」
「は、はい。それはもうたくさん……!」
いつもは無表情の凪紗先輩が珍しくテンションが高かった。
相変わらず表情筋が弱いものの、目の奥がキラキラと輝いている。
こんな先輩、初めてだ……。
「そうですね、普段あまり本を読まない人にもおすすめできるのは……あ、この作品とかはどうですか? 一言で言えば『推しが炎上する話』なんですけど、かなり読みやすくておすすめです」
「おっ、これ気になってたんです」
たしか、芥川賞を受賞した作品でかなり話題になっていたはずだ。
さらに凪紗先輩は本棚から数冊手に取って、差し出してくる。
「他には、この作品とかもかなり人気でおすすめですよ」
「あー、これ映画で観たことあります! 最後のシーンがすごく良くて」
「それなら尚更おすすめです。映画では分からなかった細かい心の変化などが描かれているので、さらに楽しめると思いますよ」
「へぇー、読んでみます!」
その後も凪紗先輩はいくつかおすすめの作品を紹介してくれていたが、ふと気になるタイトルでも見つけたのか、本棚に並ぶ背表紙に滑らせていた指をぴたと止めた。
そして一冊の小説を手に取り、ぽつりと囁く。
「この小説、覚えていませんか……?」
「メダカの夫婦? すいません、分からないです」
凪紗先輩が手に取ったのは『メダカの夫婦』という小説。おそらく児童文学だろうか。
しかし、そのタイトルを聞いたこともなければ、読んだ記憶もなかった。
――覚えていませんか……?
ふと、凪紗先輩の「覚えていませんか」という言い回しが気になって首をかしげる。
この前、
まるで俺の無意識の中に共通の何かがあるような……。
だが、俺が凪紗先輩や双葉先輩を知ったのは高校に入ってからのはずだ。
この違和感の正体は一体なんなんだ……。
「凪紗先輩。もしかして俺、むかし先輩に会ったことあります?」
「えっ……」
「あ、いや。さっきの『覚えていませんか?』って言い回しが気になって……」
凪紗先輩は驚いたように目を瞠ったまま、しばし黙っていた。
もしかしてまた変なことを言ってしまったのか……と、不安になり始めたとき、不意に凪紗先輩がふっと笑みをこぼす。
「……いえ、小学校の時にこの『メダカの夫婦』が人気だったので、もしかしたら旭さんも読んだことあるかな、と思っただけですよ」
「あー、そういう……。すいません、変なこと言いました」
凪紗先輩はふふっ、と控えめに笑う。
視線は手元の小説に落とされていた。
「この本も読んでみます」
「え?」
「凪紗先輩、この小説好きなんですよね。なんかすごく思い入れがありそうな感じだったし」
ぴく、と小説を握る手が動く。
「そ、そうですか?」
「はい。先輩が好きな小説、俺も気になりますし」
「…………」
「あれ、違いましたか?」
てっきり、『メダカの夫婦』は凪紗先輩の好きな作品なのだと思っていたけど……。
凪紗先輩はしばし沈黙していたが、やがて顔を上げると。
そこには、いつか見たような柔らかな笑みを称えていた。
「――いいえ、大好きです」
そのどこまでも実直な言葉に俺は思わずドキッと胸を締め付けられた。
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