#9「ぎこちない笑み」
――
その名の通り、油淋鶏のタレで炒めた炒飯である。
この前、動画でレシピを見つけてからよく作っては食べている一品だ。
俺は丸く盛りつけた炒飯にスプーンを入れ、すくい上げる。
タレで米をよくほぐしてから炒めたからスプーンの上でパラパラと崩れ落ちた。
スプーンを口に運ぶと、酢の酸味が鼻から抜けてその直後、長ネギの甘味が口の中に広がる。ごま油の香りが無限に食欲をそそり、卵でコーティングされたパラパラの米が癖になる。
この時間に食べる罪悪感が最高のスパイスとなり、スプーンを動かす手が止まらなかった。
ふと、向かいの椅子に座った
「お、美味しいです……!」
「良かった、先輩の口に合って」
凪紗先輩は本当に美味しそうに炒飯を食べてくれた。
「
「まぁ得意というか、昔から両親が家を空けることが多かったので代わりに俺が料理をしてたんです。だから慣れですかね。ちょっと、意外かもしれないですけど」
意外かも……と言ったのは、なんでも器用にこなす
そういう意味で言ったのだが、凪紗先輩の反応は予想に反したものだった。
「いえ、花火は不器用なので旭さんが料理を作るのが最適だと思います」
「え、不器用……?」
もちろん、花火が昔から不器用なのは知っている。
だけど、それが些細なことだと思わせてしまうほどの圧倒的な才能と華。
見るものに完全無欠と思わせてしまうのが相模 花火という人間だった。
それは贔屓目を一切抜きにした世間の評価と言っていいだろう。
だから、凪紗先輩が花火を「不器用」と評したのが意外に思えたのである。
「花火とは長い付き合いです。彼女が皆の思うような全知全能の神様でないことくらい分かってます。それに花火は貴方のこととなると……いいえ、やっぱりなんでもないです」
「えぇー、なんですか。超気になるんですけど……」
「秘密です」
「このままだと気になって寝れないですよ」
「ふふっ、花火も普通の女の子ってことです」
凪紗先輩が自然な笑みをこぼす。
いつもは無表情な凪紗先輩の笑った顔はすごく綺麗だと思った。
俺がぼーっと先輩を見つめていると、凪紗先輩は少し照れたように手で口許を隠してすぐにいつもの無表情に戻ってしまう。
なんだかそれがもったいないような、名残惜しいような感じがしてつい口を出してしまう。
「凪紗先輩、もっと笑ったらいいのに」
「え……?」
「いつもの凛とした姿も綺麗だけど、笑った顔も素敵ですよ」
「きゅ、急になにを……!?」
「あ、すいません。俺にこんなこと言われても嬉しくないですよね」
「そ、そんなことは……」
凪紗先輩は困ったように俯いてしまう。
薄暗い部屋では、先輩の表情を窺い知ることができない。
だが、困らせてしまったことには違いないだろう。
また変なことを言って、気まずい空気にしてしまった。
こんなことだからいつまで経っても友達の一人もできないんだな……。
俺はバツの悪さを誤魔化すように空っぽになった皿を重ねた。
「そ、そろそろ寝ましょうか。もう遅いですし」
「そうですね。ごちそうさまでした、すごく美味しかったです」
「お粗末様です」
凪紗先輩が自分の皿と一緒に俺の分までキッチンに運ぼうとしたのを見て、俺は慌てて立ち上がる。
「あ、俺がやっておきますよ。先輩は歯でも磨いてきてください」
「いいえ、ご馳走になったのですからこれくらいは私にやらせてください」
「いや、そういうわけには」
「そんなに気を使わなくても……」
「いやいや、先輩はお客さんですから」
という感じで何度か押し問答を重ねて、互いにふっと笑い出した。
そして、先輩が優しい声音で言う。
「では、一緒にやりましょうか」
「そうですね」
キッチンのシンクの前で二人並んで立ち、凪紗先輩が皿を洗って、俺が皿を拭く。
ふと、隣に立つ凪紗先輩がぽつりと呟いた。
「さっきは……その……」
「ん、さっき?」
「その……私、昔から表情を作るのが苦手だったんです。だから、旭さんが私の笑った顔が素敵って言ってくれたのすごく嬉しかったです」
不意にぴた、と凪紗先輩が皿を洗う手を止めて、こっちに視線を向けてきた。
「――なので、ありがとうございます」
少し照れたような、ぎこちない笑みだった。
だけどそれは息を呑むほど綺麗で、俺はしばし心を奪われていた。
「……さひさん、旭さん?」
「は、はい!」
「お皿、拭いてくれますか」
「はい、す、すいません……」
キュッキュ、と最後の皿を拭き終わり、洗面所で歯を磨いた後。
凪紗先輩がふわぁ……と欠伸をした。
「そろそろ部屋に戻りますね」
「あ、廊下暗いんで気を付けてください」
「はい。じゃあ、おやすみなさい」
言って、凪紗先輩が廊下に出た直後だった。
「――ひゃっ」
小さな悲鳴。
同時に、バタンッという物音が響いた。
「せ、先輩、だいじょ――って、おわっ!?」
心配になって、廊下を飛び出したときだった。
思ったよりも近くで凪紗先輩が転んでいたため、足が絡まって俺も転倒してしまったのだ。
「いてて――ヒッ!?」
転んだ拍子。凪紗先輩に覆いかぶさるように転倒したため、気付けば押し倒したような体勢になっていた。
吐息が届くような至近距離に先輩の顔があって、思わず息が止まってしまう。
「す、すいません……!」
すぐに退こうと、体を起こした瞬間。
凪紗先輩が俺の首に腕を回し、ぐいっと引っ張ってくる。
そのせいで、バランスを崩して再び凪紗先輩に覆いかぶさってしまった。
先輩の細身ながらも柔らかい体が密着して、フローラルのシャンプーの匂いやらコットンのパジャマの触り心地やらが俺の心臓を加速させる。
次第に暗闇に慣れてきた目に映ったのは、ほんのりと頬を紅潮させて蕩けるような目をした凪紗先輩の姿だった。
ぎゅぅぅぅ、といつの間にか背中に腕を回されて身動きが取れない。
「あ、あの……せ、先輩……?」
「旭さんの匂い……」
「え……?」
に、匂い?
そういえば、さっきも樹里先輩に「臭い」って言われたな。
なんだ、もしかして自分で気づいてないだけで俺って臭うのか……?
グサッと心にダメージを受けながら、より一層申し訳なくなってくる。
「す、すいません、臭いですか……?」
「ううん。旭さんの匂い、好きです……」
「え、あの……」
凪紗先輩が俺の胸の中ですぅーすぅーと深呼吸するのが分かる。
生暖かい吐息の感触を肌で感じる。
な、なんだ。どういう状況なんだ……!?
「せ、先輩!? な、なんで、こんなこと……」
「旭さぁん、しゅきぃ…………あっ」
「え……先輩、いまなんて……?」
とんでもない言葉が聞こえた気がして、凪紗先輩の顔を覗き込むと、先輩のうるうるとした瞳に見つめ返される。
「あっ、あの……ち、違うんです……」
「違う……?」
やがて、ふいっと顔をそらした凪紗先輩が腕で顔を隠しながらぼそっと呟いた。
「ね、寝ぼけてただけですから……」
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