#10「気まずい朝(前編)」


 目が覚めると、朝の九時半を過ぎていた。


 いつもは休日でももう少し早くに目が覚めるのだが、昨日は寝るのが遅かったせいか、それともいろいろとありすぎて疲れていたせいか、もうこんな時間だった。


 というか、ほとんど寝た気がしない……。


 俺はなんとか疲労と眠気を誤魔化して、ベッドから体を起こす。


 ふあ……と、欠伸をしながら一階のリビングに降りてくると、ダイニングテーブルで朝食を食べているたちばな 樹里じゅり先輩の姿を発見した。


 薄手のパジャマを着た樹里先輩は眠そうに舟を漕ぎながらトーストをもぐもぐしている。


 なんか、たまに動画で見るような……赤ちゃんがウトウトしながらご飯を食べている姿と似ていた。


 異性の寝顔をあんまりジロジロと見るのも申し訳ないと思って、俺はリビングを通ってキッチンの方へと向かう。


 すると、物音で俺の存在に気が付いたのか、樹里先輩がハッと目を大きくして睨み付けるような視線を向けてきた。


 そして、頭に寝ぐせを付けた俺に声をかけてくる。


「……ああ、やっと起きたのか。寝ぼすけ」


 それ、樹里先輩のセリフじゃない気がするけど……。


 俺は軽く会釈を返す。


「お、おはようございます」


 ん……?


 ふと、顔を上げた樹里先輩がいつもより優しい印象に感じるのが気になった。


 なんというか、普段の『美人』とか『カッコいい』という印象よりは『』って感じ。


 ――あー、そうか。メイクをしていないすっぴんの状態だからだ。


 樹里先輩がメイクを落とすと、案外童顔なことに驚いた。


 俺がまじまじと先輩の顔を見ていると、樹里先輩は心なしかほんのりと頬を染めて、ふいっと顔を逸らす。


 そのまま横目で睨み付けてくるが、普段よりも圧が弱かった。


「な、なんだよ……。人の顔ジロジロ見やがって……」

「あ、すいません。なんか、いつもと印象が違うなと思って」

「なっ……こっち見んな!」


 言うと、樹里先輩は手で顔を覆って、指の隙間から涙目になって睨み付けてくる。


「へ、ヘンタイ……」

「ちょ、また変態って……」

「ホントのことだろ、この露出狂が……!」

「き、昨日のは事故ですって……」


 大体、勝手に俺の部屋に入った樹里先輩にも非があると思うんだけど……。


 俺が弁解しようとすると、先輩はふんっと不機嫌にそっぽを向いてしまった。


 これ以上何を言っても無駄みたいだし、ここは素直に謝った方が良さそうだな……。


「あ、あのー、樹里先輩?」

「な、なんだよ……」

「昨日は見苦しいものを見せてしまって、ホントにすいませんでした。俺にできる範囲であればなんでもするので、その……通報とかは……」

「……別に」


 樹里先輩は顔を逸らしたまま、しおらしく流し目を送ってくる。


「別に、怒ってない。お前の部屋に勝手に入ったアタシも悪いし……だからその、悪かったな」

「あ、はい」


 まさか、そんな素直に謝られるとは思っていなくて空返事を返してしまう。


「でも、取ったからな」

「え、言質?」

「ああ、お前さっき「なんでもする」って言ったよなっ!」


 こちらに振りかえって、ニッとあどけなく笑う樹里先輩。


 いつもの気が強そうな樹里先輩とのギャップで、俺は思わず見惚れてしまった。


 だが、すぐに気付く。


「ちょ、ちょっと! たしかになんでもするって言ったけど、樹里先輩も非を認めたじゃないですか! ノーカンですよ、ノーカン!」

「はぁ? 男に二言はねぇだろ?」

「ありますよ、ありまくりです」


 さすがに「なんでも」なんて、簡単に言うんじゃなかった……。


 俺が後悔に苛まれていると、樹里先輩が上目遣いで見上げてくる。


「じゃ、じゃあ……アタシも、あさひがしてほしいこと……なんでもひとつしてやるよ……」


「え……。じゃあ、さっきの「なんでも」をノーカンにしてください」

「は?」


 ぽかん、とした顔をする樹里先輩。


「いや、そういうのじゃないだろ普通!」

「ど、どういうことですか……」

「もっとこう、少女漫画みたいな――って、だァーーー言わせるなあああ!」

「は、はぁ……すいません」


 笑ったと思ったら怒ったり……変わった人だな、樹里先輩。


 まぁ、いい人なのはたしかだけど。


「とにかく、言質取ったからな! ノーカンはなしだ!」

「わ、分かりました……。それで、俺なにしたらいいんですか?」

「えっ……。そ、それは……その……また今度言うから……」

「じゃあ思いついたら言ってください」

「お、おう……」


 そこで話が途切れ、俺が朝食を用意するため冷蔵庫に向かおうとしたときだった。


 ふと、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてくる。


「――樹里、早く支度してください。もうみんな準備し終わり――あっ」


 リビングの戸口から顔を覗かせたのは夏目なつめ 凪紗なぎさ先輩だった。


 凪紗先輩は水色のブラウスに白い花柄のロングスカートと、出かける準備万端といったような恰好。


 先輩は俺と目が合うと、ぴたと動きを止めた。


「な、凪紗先輩……おはようございます……」

「お、おはようございます……」


 凪紗先輩の顔を見ると、昨夜の出来事を思い出してなんだか気まずかった。

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