#32「記憶喪失」
前々から、自分自身が分からなくなることが度々あった。
でもそれは、俺が
しかし、それは俺の勘違いだったのかもしれない。
俺は無意識のうちに記憶の欠如に違和感を覚えており、ずっと不安を感じていたのだと……今ならなんとなく分かる気がするのだ。
そして、自分が『一年前から記憶喪失だった』と知った日から、ますます自分のことが分からなくなってしまった。
もしかしたら記憶を失ったことで自己認識が狂って、今の自分が本来の
だとしたら、一体俺は何者なのだろうか……。
考えれば考えるほど、自分が自分でない気がして、なんとも形容しがたい恐怖に縛られる。
何を覚えていて、何を忘れてしまったのか分からないというのは……例えるならば、今まで現実だと思っていたものがすべて作り物だったような恐ろしさがあった。
――診断書を見てしまったあの日。
仕事から帰ってきた両親に聞けば、答えてくれた。
どうやら俺が記憶を失っているのは本当だったようで、今まで黙っていたのは心の負担を考えて医師と伝えるタイミングを窺っていたというのだ。
聞けば、今までに両親は何度か記憶喪失のことを伝えようとしていたらしいが、俺の心の状態を鑑みて言い出せなかったと言っていた。
心の状態、というのは……もしかしたら俺の花火に対する劣等感のことを言っているのかもしれない。
まぁ、今さらそれを否定するつもりもなかった。何でも出来る姉と何も出来ない自分を比較して、勝手にコンプレックスを抱いていたのは紛れもない事実なのだから。
つまり両親の話を聞くに、一年も記憶喪失のことを黙っていたのは俺のためだったのだ。
それは理解しているつもりだし、両親や花火を責めようという気持ちは一切ない。
だけど、簡単には心の整理が付けられないというのが本音でもあった。
◆ ◆ ◆
あれから数日が経ち、両親が仕事でほとんど家に居ないというのは普段通りだが……花火も夏期講習やら生徒会の仕事やらで忙しくしており、ほとんど話す機会がなかった。
俺も俺で、脚本を書くために部屋に籠ることが多くなり、ここ最近は花火と普段以上に会話がない。いやそれどころか、あれ以来一度も話していないとすら言えた。
「はぁ…………」
閉め切ったカーテンが外の光を遮断し、電気すらも点いていない薄暗い部屋。
俺はノートパソコンの真っ白な画面を眺めながら、深い深いため息を吐いた。
脚本を書くため、こうして毎日のように机に向き合ってはいるのだが……あの日以来一切手を付けれておらず、気が付けば夏休みも終盤に差し掛かっていたのだ。
夏休み明けが脚本の締め切りだと言われているし、そろそろ書き進めないと間に合わないのは分かっているだが、ここ最近はずっと頭が空っぽで鬱々とした気分が続いている。
なんなら、自分自身のことすら分かっていない俺が脚本なんか書けるはずがない……とネガティブになってしまうほど精神的に追い込まれていた。
そうこうしている間に時間だけが進んでいき、俺はどんどん焦燥感を募らせる。
ふと昼を過ぎた辺りで、このままではダメだ……と思い、俺はノートパソコンをバッグに詰め込んで数日ぶりに外出することにした。
茹だるような暑さの中、自転車を最寄り駅まで走らせ、そこから電車に乗って学校へと向かう。
まさか夏休みに学校に行こうと考える日が来るなんて思いもしなかったが、あのまま部屋に籠っていると気分が落ち込んでいくだけと悟り、気分転換に学校の図書室で執筆をしようと考えたのだ。
図書室ならクーラーが効いていて涼しいだろうし、執筆の助けになる資料もあるからちょうどいいだろう。
そう思いながら、三〇分ほどかけて学校に辿り着き、旧校舎三階にある図書室へと向かっている途中だった。
三階に続く階段の踊り場の辺りで、不意に声を掛けられる。
「――あれ~?
振り返れば、そこには生徒会副会長の
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