#33「相談」
「――あれ~?
旧校舎三階の図書室へと向かう途中、不意に声を掛けられて振り返ると、そこには生徒会副会長の
「ふ、双葉先輩……?」
「こんにちはぁ~、プール以来だね~」
「あ、はい。その節は大変ご迷惑をおかけしました……」
俺が先日のプールでの件で頭を下げると、先輩は優しく微笑みながら両手を振った。
「全然、迷惑だなんて思ってないよ~。それより具合は大丈夫?」
「はい、もうすっかり良くなりました」
「良かったぁ~、なんだか元気がないように見えたから心配しちゃったよ~」
「え?」
ふと、双葉先輩の何気ない一言に思わずピクリと反応してしまう。
「……元気がないように見えましたか?」
問いかけると、先輩はこくりと頷いた。
自分では平静を装っていたつもりだったが、どうやら双葉先輩にはお見通しらしい。
先輩は俺の顔を覗き込むように、一歩こちらに近付いてきた。
「旭くん、なにかあった?」
「……いえ、なんでもないです」
「嘘言ったらお姉さん悲しいよ~? なにか悩みがあるなら言ってみて」
心に染み渡るような優しい声音。
ここ最近ずっと心を支配していた孤独感がゆっくりと溶かされていくようで、思わず胸の奥底から込み上げてくるものがあった。
そんな俺に追い打ちをかけるように、双葉先輩が俺の頭を優しく撫でてくる。
「お姉さん、旭くんの辛そうな顔を見てると胸がギュッと苦しくなるんだ。でも、旭くんはもっと苦しいんだよね……。だからね、一人で我慢しなくていいんだよ?」
記憶喪失だなんて、いきなり言われても困るだけだろう。
こんなことを誰かに言っても迷惑をかけるだけだと分かっている。
だけど、双葉先輩なら受け止めてくれるんじゃないかという不思議な雰囲気があって、思わず甘えたくなってしまうのだ。
俺はしばし葛藤した末、素直に話すことにした。
「先輩、少し相談に乗ってくれませんか……?」
「うん、もちろんだよ~。……場所、変えた方が良さそうだね」
双葉先輩は俺の様子を慮ってくれたらしく、二人でひと気の少なそうな図書室へ場所を移すことにしたのだった。
◆
三階にある図書室に入ると、図書委員が受付に座っているくらいで、他に図書室を利用している生徒の姿はほとんど見当たらなかった。
しーんと静まり返る室内。
せっかくの夏休みなのに全然が人が来ない図書室の開放のため、わざわざ学校に来ないといけない図書委員が可哀想になってしまうくらい人の気配がなかった。
しかし、今の俺たちにはむしろそれが好都合で……受付から少し離れた位置に腰を下ろすと、俺は正面に座る双葉先輩にプールに行った日の夜の出来事から順々に話し始めた。
自分が記憶喪失だったと知ったこと。
それから
今の自分が一体何なのか分からなくなってしまったこと。
俺は、今の自分を取り巻く環境や感情など、包み隠さず洗いざらい……ただ自分が楽になるためという自己中心的な感情で吐き出した。
そして、すべてを話し終えてから罪悪感が生まれる。
やっぱり、こんなことを相談されたって困るだけだろう……。
そう申し訳なく感じていると、不意に双葉先輩がぽつりと呟いた。
「旭くんはさ、記憶喪失になる前のことを思い出したいって思う……?」
「……正直分からないです。もし、前の自分が今の自分とはかけ離れた存在だったら、と思うと怖くて」
仮に記憶を取り戻せたとして、今の俺は一体どうなってしまうのだろうか。
しかし、そんな疑問とは相反する感情も同居していた。
「でも、何か大切なことを忘れてしまっているような気がするんです。それは自分が記憶喪失だと分かる前からなんとなくあったような気がして……」
心にぽっかりと穴が空いていたような、そんな感覚がずっとどこかにあったのだ。
俺が胸の奥に蟠る感情を何とか言語化しようとしている間、双葉先輩は優しい眼差しでずっと見守ってくれていた。
そのおかげで、俺の中で決心が付く。
「やっぱり俺、知りたいです……。このまま何も覚えていないなんて嫌だ。記憶はないけど、きっとそれが大切だったから今も心に残っているんだと思うんです」
言うと、双葉先輩はこくりと頷いた。
そして、意を決したようにこちらに向き直ってくる。
「分かったよ……。だったら、旭くんに言っておかなくちゃいけないことがあるんだ」
「……はい、なんですか?」
「――お姉さんたちは旭くんの記憶がないことを知ってたの」
特に驚かなかった。
それは、俺も薄々勘付いていたことだったから。
もしかしたら先輩たちは知っていたんじゃないか、と。
時々先輩たちと話が噛み合わないことがあった。
まるで俺の無意識の中に共通の何かがあるような感覚……今思えば、お泊り会の時からそれがあったような気がするのだ。
「お泊り会より少し前、花火ちゃんから相談されたんだ。旭くんが記憶喪失だって……。きっと、花火ちゃんは一人じゃ抱えきれなくなったんだと思う」
それまでは誰にも相談できず、たった一人で抱え込んでいたのだろうと双葉先輩は言う。
そのまま、粛々と言葉を続けた。
「二人の間に何があったのか、お姉さんに分からないけど……花火ちゃんは大切な幼馴染だし、旭くんのことも大切だったから助けてあげたいと思ったの」
「……幼馴染?」
ふと引っかかった言葉が口をついて出てしまう。
すると、双葉先輩は真剣な眼差しでこくりと頷いた。
「うん、花火ちゃんと旭くんはお姉さんの幼馴染だよ」
「ふ、双葉先輩が幼馴染……?」
衝撃的な告白。
「もしかして、
「そうだよ、いつも五人一緒だった」
それは自分が記憶喪失だと知る前なら到底信じられないようなことだった。
どれだけ思い出そうとしても、思い出せないのだから。
不意に、お泊り会の時の双葉先輩の言葉が脳裏に浮かぶ。
――旭くんって、昔から素直っていうか、天然さんだよね~。
思い返せば、そんな違和感が何度かあった。
俺は思わず、深くため息を吐いてしまう。
先輩たちは俺に記憶がないことを知った時……俺が先輩たちのことを覚えていないと知った時に一体どんなことを思ったのだろうか。
俺が彼女らとどれくらい仲が良かったのかは分からない。
それでも、もしかしたら傷付けてしまったんじゃないかと不安になった。
「……すいません、何も思い出せないです」
「ううん、今はそれでいいんだよ。さっき勇気を出して言ってくれたよね、記憶を失う前のことを知りたいって……。だったら、一緒に取り戻そうよ」
「取り戻す……?」
「旭くんが本当に知りたいと思うなら、お姉さんたちはなんでも協力するよ」
それはあくまでキミ次第……。
そういうニュアンスが含まれているように感じた。
本当に、記憶を取り戻す方法なんてあるのだろうか……?
記憶を取り戻せたとして、俺は自分を受け入れることができるだろうか……?
そんな疑問が頭の中で渦巻いた。
しかし、そんなことよりも先輩たちの頼もしさを知っているから。
俺が決心するのに、そう時間は必要なかった。
「お願いします。俺、先輩たちのことを思い出したいです」
「うん、樹里ちゃんや凪紗ちゃんも快く協力してくれるはずだよ」
そうして、俺は自分の記憶と向き合うことを決意したのだった。
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