#27「双葉のお礼」


 トロピカルウォーターランドの目玉アトラクションである『ウォータースライダー』を堪能した後、俺たちは流れるプールのエリアに戻ってきた。


 ふと、日陰に座って休憩している凪紗なぎさ先輩を見つけると双葉ふたば先輩が駆け寄っていく。


「凪紗ちゃん、ただいま~」

「あ、おかえりなさい。ウォータースライダーはどうでしたか?」

「すっごく楽しかったよ~! あっ、でも……」


 双葉先輩が後ろを振り返ると、顔を真っ青にして項垂れている花火はなびと、顔を真っ赤にしながらぽけーっとしている樹里じゅり先輩の姿がある。


 凪紗先輩は二人の様子を見て何か察したのか、小さく息を吐き出した。


「いろいろあったみたいですね……」

「うん、二人とも相当怖かったみたいだね~」


 双葉先輩の言う通り、花火はウォータースライダーが怖すぎて魂を持っていかれたらしい。


 対して、樹里先輩がこうなってしまったのは俺のせいなのだが……双葉先輩はウォータースライダーが怖かったせいだと思っているみたいだった。


 まぁ、樹里先輩から言わない限りはそういうことにしておこう……。


 すると、不意に双葉先輩が空気を変えるようにパンと手を叩いた。


「そろそろいい時間だし、お昼ご飯にしよっか~?」

「そうですね。ちょうどお昼前ですし、もう少しすると混んで来そうですしね」


 その提案に、心ここにあらずの二人もこくりと頷き、俺たちは屋台が立ち並ぶカフェテリアスペースに向かうことにした。


 カフェテリアスペースは海の家を意識したような作りになっており、屋台の周りにパラソルが付いた丸テーブルがいくつも並べられている。


 俺たちは屋台が本格的に混み始める前にカフェテリアスペースに来たつもりだったのだが……みんな考えることは同じなのか、すでに大勢の人でごった返していた。


「す、すごい人の数だな……」


 つい先ほど意識を取り戻したばかりの樹里先輩がぽつりと呟く。


 たしかにどの屋台にも長蛇の列が出来ており、周囲のテーブル席も大勢の人で埋まっている。


 きょろきょろと周囲を見回しながら空いているテーブルを探していると、屋台から少し離れたところに空席を発見した。


「先輩、あっちの席が空いてますよ」


 そして、俺たちはなんとかテーブル席を確保することができた。


 パラソルの下の丸テーブルを五人で囲い、少し離れた位置に並ぶ屋台を眺める。


「いろんな屋台があるのね」

「ねー、どれも美味しそうで迷っちゃうな~」


 悩まし気に屋台の方を見つめる花火と双葉先輩。


 対して、樹里先輩はすでに決まっているらしく一点を見据えていた。


「アタシはやっぱり焼きそばだな」

「たしかに、夏の屋台と言えば焼きそばが定番だよね~」


 焼きそばか、たしかにありだけど……他のメニューにも目移りしてしまう。


「んー、俺はたこ焼きにしようかな」

「あ、私もたこ焼きがいいです」

「それじゃあ私はお好み焼きにしようかしら」

「みんなもう決まった~?」


 そして、双葉先輩はみんなが選んだメニューをスマホにメモするとおもむろに席を立った。


「焼きそばとたこ焼きが二人前ずつと、お好み焼きが一人前だよね~」

「あっ、俺も行きますよ」


 席を確保しておく係は三人に任せるとして。


 双葉先輩も男手がひとつあった方が楽だろう。


「ありがと~、じゃあお願いするね」

「はい。俺がたこ焼きとお好み焼きを買ってきますね」

「うん、お姉さんが焼きそばだね~」


 注文するメニューを確認して、俺たちは屋台の方へ向かう。


 たしか、たこ焼きとお好み焼きの屋台は隣同士になっていたはずだ。


 そして屋台から伸びる列に並んでしばらく……ようやく両方とも買うことができてテーブル席に戻ると、ちょうど花火と凪紗先輩が両手に飲み物を持って戻ってきたところだった。


あさひさんはオレンジジュースで良かったですか?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そういえば、飲み物を買うのを忘れていた。


 俺と双葉先輩が屋台に並んでいる間に二人が買ってきてくれたのだろう。


 ふと、花火が樹里先輩の飲み物を差し出す。


「はい、メロンソーダよ。それと、これが双葉のアイスコーヒー」


 さすが、花火は双葉先輩の好みを把握しているらしい。凪紗先輩も俺がこの前ファミレスでオレンジジュースを飲んでいたのを覚えていてくれたようだ。


 俺もレジ袋から屋台で買ってきたたこ焼きとお好み焼きをテーブルの上に取り出した。


「おー、美味そうだな。なぁ花火、アタシの焼きそばとシェアしないかー?」

「ええ、仕方ないわね」


 そんな二人のやり取りの最中、ふと凪紗先輩が俺に視線を向けてくる。


「そういえば、双葉は一緒じゃないんですか?」

「はい、双葉先輩は別の屋台に並んでいたので」


 他の屋台に比べて焼きそばは人気が高いのか、長蛇の列が出来ていたし。もしかしたらそれで遅れているのかもしれない。


 そう思ってしばらく待っていたのだが、双葉先輩が戻ってくる気配が一向になく少し心配になってくる。


 それは花火も同じなのか、屋台の方を眺めながら呟いた。


「双葉、遅いわね……」

「迷子になったんじゃねーか?」


 いや、あの双葉先輩が迷子とは考えにくいし……。


「……俺、ちょっと探してきます」


 言って席を立ち、俺は屋台の方へ向かった。


 そして、焼きそばの屋台に並んでいる人の中から探してみるが、そこに双葉先輩の姿はなく……俺は屋台の周辺を探し回る。


 しかし、時間が経つにつれて昼時ということもあり人の数が増えていき、ますます探すのが困難になっていった。


 それから一度、人混みを避けて自販機が置いてある日陰の辺りに来たときだった。


「ねー、いいじゃん。オレらと一緒に遊ぼーよ」

「ごめんなさい、友達と来てるので~」

「え、友達って女の子? じゃあその子たちも一緒でいいよ」


 聞き覚えのある声が聞こえた気がして自販機の方を覗き込むと、日焼けした色黒の男二人に絡まれる女性の姿があった。


 チャラ男に絡まれ、困ったように苦笑いを浮かべるのは双葉先輩である。


「てか、おねーさんめっちゃ可愛くね? もしかしてモデルとかやってる? グラビアの方のさー」

「いやマジそれなー、なんか色気マシマシっつーの?」


 下卑た笑みを浮かべながら舐め回すように双葉先輩の体に視線を這わせる男たち。


 先輩はその視線を嫌うように眉を顰めながら腕で体を隠していた。


 ふと、どさくさに紛れて片割れの男が双葉先輩の腰に腕を回そうとした瞬間。


 俺は咄嗟にその腕を掴んで捻るように持ち上げた。


「俺の連れになにしてんすか……?」

「あー? 誰だよ、お前?」


 俺が正面から睨み付けると、その男は腕を振り解いて睨み返してくる。


 そして片割れの男も威嚇するようにこちらに詰め寄ってきた。


「ちょちょなんの用かな、おにーさん? 今オレら取り込み中なんだけど?」

「取り込み中って……彼女、嫌がってるじゃないですか」

「それが? おにーさんに何の関係があんの?」

「関係ありますよ。その子、俺のなんで」


 正面からじっと睨み付けて言うと、不意にチャラ男二人がチッと舌打ちをして背を向ける。


「んだよ、男連れかよ……」


 そして二人は諦めてくれたのか、そのままどこかに行ってしまった。


 日焼けした背中が完全に見えなくなると、俺は一気に胸に溜まった空気を吐き出す。


「はぁ……。緊張した……」


 もしかしたら殴られるんじゃないか、と覚悟を決めていたが何事もなくて本当に良かった。


 思わず、安心して体の力が抜けてしまう。


 すると、不意にぴと……と背中に指が触れた感触がした。


 振り返ると、双葉先輩が俯きながら俺に寄りかかってくる。


「……先輩、大丈夫ですか?」

「ん、でもすごく怖かった……」

「もう大丈夫ですよ、俺が追っ払ってやりましたから」


 そう言って笑いかけると、双葉先輩が安心したように微笑んだ。


 それからすぐに悪戯っぽい笑みに変化する。


「旭くん、さっきお姉さんのこと『』って言ったよね~?」

「えっ、あ、すいません。その、そう言ったら諦めてくれるかもと思って咄嗟に……。すいませんでした、嘘でも嫌でしたよね……」


 俺が慌てて謝ると、双葉先輩は夏の暑さのせいか、ほんのりと顔を赤く染めながらふるふると首を横に振った。


「ううん、嫌じゃないよ……」


 その言葉は俺に気を使って言ってくれたのだと分かってはいるが……思わず心臓の鼓動が加速してしまうほどの破壊力があった。


 そのまま双葉先輩の魅力に飲み込まれそうになってしまう。


 俺がぽけーっとしていると、双葉先輩が再び悪戯な笑みを作って一歩前に踏み出した。


「ふふっ、じゃあ今日だけお姉さんは旭くんの彼女ね~」

「えっ!?」

「なーんて、冗談だよ~」

「じょ、冗談……」

「さて、みんな待ってるしそろそろ戻ろっか」

「そ、そうですね」


 まったく、そういう心臓に悪い冗談は本当に辞めてほしい……。


 そう思いながら、みんなが待っているテーブル席に戻ろうとした時。



「――ねぇ、旭くん」



 不意に、双葉先輩に呼び止められた。


 振り向いた瞬間――ちゅ、と頬に柔らかい感触を感じる。


「え……?」


 小さな吐息と、耳に残ったリップ音。


 なにが起きたのか分からず、俺が呆然としていると、双葉先輩が照れたようにはにかむ。 



「助けてくれたお礼だよ。ありがと……」



 そして、テーブル席の方へ歩いて行ってしまう双葉先輩。


 さっきの感触がであると理解したのは、それからしばらく経った後だった。

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