第19話 緊急事態

「ゼェ……ゼェ……ちょっと休憩! 体がもたねぇ」


 その場に仰向けで倒れ込んだオースティンは、赤く焦がれた空を見上げながら大きくゆっくりと呼吸をし息を整える。


「はは! まだまだだな、この様子じゃシャルルに着いて行こうなんて夢のまた夢だぞ。と言ってもセンスがあるのは認める、今までまともに学んでこなかったんだろ? まだ荒いが魔力を飛ばせるだけでも大したもんだ」


 特訓の甲斐もあり、手のひらに炎を灯す事しか出来なかったオースティンだが、その炎を飛ばす事に成功した。

 まだ魔法とは呼べない未熟な物だが、それを習得するだけで数時間、気が付けば夕日が空から見下ろしていた。


「ダメだ〜。リアムとかシャルルの魔法を間近で見たから行けそうな気はしてたんだけど……魔法がこれほどまでに奥が深いとは……」


「はは! 分かる分かる、あの2人のイメージはすぐ頭に浮かんでくるよな。けどそれは簡単な事じゃない、2人は簡単にやってる様に見えるが、それだけ基本に忠実で魔力の流れに無駄が無いって事さ」


「先生はやっぱり初めから魔法が得意で?」


「──いやいや全然全然。最初なんて酷かったぞ、魔導士見習いの時の話だけどな? 酔っ払った勢いで覚えたてで出力の制御が出来ない魔法を使っちまってよ、そしたらセルゲイの弟の頭に直撃しちまって毛根が全部焼けちまったよ」


「そんなゲラ笑いする事かよ。……セルゲイの弟? セルゲイってあのセルゲイだよな?

酒ゴリラの」


「──そのセルゲイだ。シルキスって言う双子の弟が居るんだよ、似てるぞ」


「──なんか嫌だな」


 話を弾ませた2人はその後も陽が落ちきるまで談笑していた。


「いっつの間にかこんなに暗くなっちまったなぁ」


「うわ! マジかよ、ちょっと楽にしすぎた」


「いやいや、むしろこれでいいだろ、今はまだ分からないだろうが明日になったら今日の分は一気にやってくるぞ、休める時に休んどかないと」


「──一気にってなにがだ?」


「明日に分かるよ。──よっと! おーい!」


 ノーツは立ち上がると誰かに向かって手を振りながら大声を上げた。

 同じく立ち上がったオースティンはその方向を見ると、遠くの方から馬車がやって来た。


「ラッキーだな、あれは俺の知り合いだからフリューゲルまで乗せてってもらえるぞ」


 そして馬車は2人の前で停止した。

 馬車の操縦士とノーツは少し話し込む。

 『今日の収穫は?』『いや〜最近は波が激しくて』2人はそのような会話をしていた。

 少し離れた位置から盗み聞きしていた為、具体的な内容は分からないが、荷台に積まれた箱を見るに何処か遠くの作物を収穫したのだろうと予想する。

 フリューゲル恒例の冷たい夜風に当てられ体が震え出した頃、話を終えたノーツはオースティンに近づく。


「わりぃな、時間かかっちまったよ」


「勘弁してくれよ……」


「悪かったよ、今度奢ってやるからさ⭐︎」


 冷え切った身体を奮い立たせる様に勢いよく立ち上がったオースティンは足早に馬車を目指した。


「おいおい、積荷の間に隠れてどうしたよ」


「へっくしょん! ズズズ…… ──風を凌がないとマジで凍りつきそう。なにか上着とかないのか?」


「そう言えばここに来たのはつい最近だったな。ほれ、これを使え」


 そう言ってノーツは自身の上着を投げ渡した。


「──いいのか?」


「気にするな、こっちは慣れっ子なもんでね」


「よーし乗ったか? 出発するぞ」


 返事と共に馬車はゆっくりと動き始めた。

 動き始めて数分、2人は一言も言葉を交わさずただじっと座り続けていた。

 何故か分からないが感覚が研ぎ澄まされている。虫の声、流れる川の音、馬の足音、石ころを踏みその都度揺れる馬車、身体に伝わる全ての感覚が非常に心地よい。

 知らぬ間に夢の中──ヨダレを垂らしいびきをかきながら気持ちよく眠りについていた。


〜〜〜〜〜〜


(あれは……リアム? 1人で何を……)


 様子がおかしい、声をかけても反応がなかった。


(何かの鳴き声? リアムの方からだな)


 ふわふわと、ゆっくりと近づきリアムの肩に触れる。


(リア……!?)


〜〜〜〜〜〜


「早く! シャルル! ……ほぇ?」


「……急にどうした。──ちょ、うわ!」


 オースティンの大声に反応した馬は少し動揺し暴れかけたがすぐに落ち着きを取り戻した。


「よしよしいい子だぞ。──何かあったのか? 今の揺れで積荷の下敷きなんて事はないよな?」


「心配すんな、ツレが怖い夢見ただけだ」


 一度止まった馬車は再び動き始めた。

 先程の揺れによって積荷の蓋が少し開き、中に入っている果物の甘い匂いが漂っている。


「──心臓に悪すぎるぜ、俺もちょっとうとうとしてたからさ」


「ごめん……ちょっと疲れてるかも」


「そりゃあさぞお疲れの様子だな、夢の中でシャルル〜♡なんて叫んじまってよ」


「そこまで気持ち悪い声じゃ無いって……」


 小さくため息をつくオースティンを見たノーツが立ち上がると、徐に箱の中身を漁り始めた。

 その行動を不思議そうに見つめていると、振り返ったノーツは果物を投げ渡した。

 人の物を勝手に食べるなんて……そう思っていたはずなのにその果物を手に取った瞬間、夢の出来事を払拭するかの如くムシャムシャと甘い香りを撒き散らし食べ始めた。

 あの出来事が夢であるのは当然わかっている。──思い通りに動かない足、どこかふわふわとした感覚、夢を見る時はいつもそんな感覚だ、しかし夢の中でリアムに触れたあの時……リアムからは想像出来ないほど冷たい身体、そしてその身体から溢れ出る生温かい赤い液体、その不快な感覚だけははしっかりと刻まれた。


「おうおう、いい食いっぷりじゃないか。──そういやシャルルから聞いたけど、お前ってリアムの正体知ってるんだな」


「え? 正体ってりゅ……」


「シー! もう少し静かに、あまりその事は大声で公言するな、俺はいいけど馬車を操縦士しているあいつには聞かれたらマズい」


 ノーツは人差し指を口の前に持って行き声を抑える様に指示を出す。

 その意図が何か読み取ることは出来なかったが、言われた通り声を抑え質問を返した。


「なんだそれ、リアムが竜って事は隠せって意味か? 隠すも何もあの格好じゃ無理だろ、角とか尻尾とかは隠せてもあの目だぞ、竜とは行かなくても普通の人間じゃない事なんて丸わかりじゃないか」


「それがそうでもないんよ。──実は、幻術がリアムに張られてるんだよ」


「げんじゅつ? そこにないはずの物をある様に見せるみたいな感じの? 幻覚を見せるみたいな」


「そんな感じだ。──それを駆使する事でリアムは自分を普通の人間に見せかけてる」


「ちょっと待ってくれ、俺はリアムと初めて出会った時からあの目が普通の人間じゃないって気付いてたぞ(竜とは知らなかったけど)」


「幻術って言っても強い魔力じゃないからリアムの姿を見て違和感を覚える奴も一定数いる、その中の1人がお前って感じだな」


「ごめん、分かんないんだけどなんでそんな事してるわけ?」


「そりゃお前決まってるだろ、この世界、特にこの土地はそうだけど竜がどう言う扱いを受けてるか分かるか?」


「……シャルルから聞いた」


「つまりそう言う事だ、戦争は起こしたくないだろ?」


「──でも……それなら」


 突然馬車が止まる、身構えていなかったオースティンはそのまま積荷に頭を強く打ちつけた。


「ノーツ、俺はここで手続きしてるから。積荷を運ぶ仲間を呼んで来てくれないか? ──奴らはいつもの場所で待機してるはず」


「分かった! すぐ行く。──ありゃりゃ、もう着いたみたいだな、話の続きはまた今度な、行ってくるよ」


 そう言うとノーツは荷台から飛び降りてどこかに向かって歩いて行った。

 しばらくすると馬車の周りに沢山の大男が集まり楽しそうな会話が広がり始めた。

 集まった人達は手慣れた手つきで積荷を一つ一つ丁寧に荷台から下ろし、今度は別の台車に移し替えた。

 最後の積荷を乗せた台車は、暗いフリューゲルの街中を颯爽と駆けて行き姿を消した。


「よし! どこで飲む?」

酒場ギルド? いや、でもたまにはギルドの酒場以外の場所でもいいよな」

「ならあそこか? ほら、裏路地の」


 そんな会話で盛り上がる。

 酒豪のノーツも当然誘われたが、『弟子が待ってるから』と誘いを断った。


(えっと……オースティンは……居ないな、馬車か?)


 体を伸ばしながら荷台を覗き込んだノーツは一言、『飯にしようや』──と。

 しかしその言葉は誰にも届く事なく甘い香りと共に消え去った。

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