2章 踏み出す一歩を ②

「…………ということなんだけど」

 母さんが作ってくれた病院での報告書をみせ、一通り事情を説明した。

 生心君のお母さんであるみつえさんは、信じられないと言った感じで唖然としている。お父さんである厳重郎さんは驚くような顔はしていない。その事実に動じてすらいなかった。

「あの、うちの子じゃないってこと」

「はい」

「はぁ」

 みつえさんは、入れ替わりの事実を受け止めるために再び報告書を読みつつも、ちらちらとわたしの方をみていた。

「信じられないことではあるが、事実として受け止めるしかないようだな」

 厳重郎さんの場合は、貫禄ある物腰通りのたちふるまい。ありえないことなのによく受け止めてくれたものだ。まだまだ信じられないとは思っていそうだけど、事情は解ってもらえたのは大きな進歩ではある。

「新道幸与さん、生心の母のみつえといいます。息子が面倒かけると思いますが、暖かい目で見守ってやってください。これからよろしくおねがいしますね」

「父の厳重郎だ。よろしく頼むよ」

 おつきあいを報告した時みたいになってしまっているけど、生心君のご両親とっては大事な息子を預かってもらう。だからこそ礼儀はちゃんとしたいのだろうな。

「こちらこそよろしくお願いします」

 そんな二人の気持ちにこたえられるように、頭をさげた。

「なにか困ってることとかあったら言ってくださいね」

 こんな状況になっても嫌な顔ひとつみせない。みつえさんは息子さんのことを考えたやさしいお母さんという印象だ。厳重郎さんは頑固そうではあるが、わたしを受け入れる度量がある。

 それなのにどうして生心君は心を開けていないのか。疑問は増すばかりだ。

「夕飯冷めてしまう前に食べようか」

 今日の新道家の食卓にはお刺身がたくさん並んでいる。なにかの祝い事かってくらいだ。

 確か生心君はお刺身好きなんだっけ。学校に行ったから嬉しくてそうしたのだろうか。わたしはお刺身が苦手だけど、残さずたべないとな。

「いただきます」

 赤くつららかに光るマグロに醤油をつけて、意を決して飲み込んだ。

 あれ、すごく美味しい。わたし自身は嫌いだったものが、生心の身体だったら美味しく感じるのか。後で教えてあげようかな。

 

「子供達とは違って大きなゾウさんだなぁ」

 夕食を食べ終わり、お風呂で子供達とは違うおおきな男の子のあれをブラブラしてみる。

 某人気アニメで園児がやっていたゾウさんごっご。お姉さん的にはこれまずいシチュエーションかもしれないけど、まぁいいか、ばれなきゃ。やってみたかったし。

「こんなこと知ってること知ったら、あの子は怒るだろうな」

 生心君が怒る姿を想像し、なんとなくにやついてしまった。

 隅々まで身体を洗い、湯につかる。身体が違っていても風呂が気持ち良いことは変わらないんだな。ぽかぽか、ゆらゆら、体の力を抜いて今日起きたできことを振り返る。

「余命のことは話せたけど、スッキリしないな」

 もっと悲しんだり、動揺したりするものかと思って身構えていたんだけど、けしてそんなことはなかった。なんだか『死』を受け入れてる覚悟のようなものすら感じる。

 わたしの場合は苦しんで、子ども達に笑顔に助けられながらも前に進みだすことはできた。

 でも生心君は違う。生きることに興味がないようにどうしても感じてしまうのだ。

「やっぱり、これが原因なんだよね」

 左に残された傷跡。それは生命を投げ出すために行ったものなのか、日頃の不満をぶつけるために行ったのかまでは解らないが、生きることに興味がない証だというのは解る。

 だとしたらわたしはどうすればいいのだろうか。この問題に踏みこんでいいのか、まだ決心はつかない。自分の過去の傷を指摘することは、簡単ではない。きっと大きな負担を与えてしまうだろうし、それがいいことだとはかぎらない。

 わたしのように余命の重さに傷つくなら、この問題を先延ばしにしてしまったほうが、生心君は苦しまないで生きていける。重すぎる『死』を感じないのなら、苦しまないのならそれでいいとも理屈で考えることができしまうのだ。

 湯船に指先をつけて刃紋を生み出し、悩んでいる顔をゆらめかせる。

「とりあえずは余命のことは話せたんだ。それからのことは今は考えよう」

 どうすればいいのか解らないことを隠すかのように、今はまた別の考えに思考を働かせた。

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