4章 選択 ②
「どうして俺だったんですか」
「あなたが死にたいってい思ったから都合が良かったのよ。わたしは医学の道を志し、未知の病から娘を救うために奔走していた。でもね、未知の病なんていうのを研究するのは莫大なお金がかかる。どんなに願っても研究が了承されることはなかった。だから方向性を変えざるおえなかったの」
無感情ではない。後悔のようなものは父と違ってあるんだろうが、それは娘のためである。けして俺のためではない。
「長期的に人類が生きるためにはどうすべきか。つまりは永遠の生命の研究。そのためだったらお金を払ってくれる人は少なからずいたわ。自分のためでもあるからね。研究費用が用意できてからは、研究に没頭できるようになった」
娘のためだから、それを理由にすどんなことにでも手に染める。衛さんはそんな母親の理屈をかざして自分を正当化する。
「人間の肉体というものはどうしても劣化する。だからこう考えた。肉体自身を交換する、再生はできなく寄生虫のようにその体を乗っ取りさえすればいいってね。それがものすごく危険な思想だって気づいてた。でもね、娘を救える可能性があればなんでもやれてしまえた。可能性の芽を摘みとることはできなかったわ」
こいつは自分のやっていることをあたかも正当化しようとしていたが、この研究は誰かが犠牲になることを理解したうえで行われるもの。偽善者め。
「眠っている間に脳に記憶されたことを交換しあうことで、生命活動を維持したまま意識を交換する。禁忌に手をだした実験ははじまった。実験は難航したけど何度かやり方を変えていくうちに、ある習慣をみにつけたマウスとそうでないマウスの記憶を入れ替えることに成功した。それからは知能が上のチンパンジー、そして極秘裏に死刑囚をつかった実験も行われ、そのすべてが成功だった。でもこれは人道から外れた行為だわ。公には発表はできず、一部のものしか知らない技術になった」
この研究を成功させた時、衛さんは娘を助けられると歓喜したのだろうか、人道から外れた研究だと後悔したのだろうか。
たぶん両方だろう。それでもこの道しか選べなかったと思っていそうだ。
「実験を成功させた功労者として、わたしも娘の生命を救うために行動を開始した。そこからは人選に入ったわ。死ぬことに恐怖せず、恐れもしない、入れ替わっても大丈夫な死にたがってる人が必要だった。自殺未遂を起こした人のデータをもらい、そこから家庭の状況などを聞いていく。時間がそんなにないから選り好みなんてできなかったけどね。そうしてみつけたのが裕福だったあなたの父親だった」
薄汚い金持ちどもの大人、その厄介払いのために利用されたってことか。
どうせ死のうとしていた、ならいっそのこと人の役に立てってことか。目の前にいるこいつが考えそうなことだ。
「余命がないわたしの娘と入れ替わることで、息子さんに生命の選択をゆだねさせ、本当に死にたいと思っているか試したうえで入れ替える。そうあなたのお父さんにもちかけたの。はじめは信用していなかったみたいだけど、研究資料をみせたら合意してくれたわ」
「ずっとお前は引きこもっていたからな。協力者達がいれば簡単だった。裏のスポンサーなんてごまんといる。眠らせて、病院に運んでもらった。GPSの偽装もしてくれたよ」
「そして幸与とあなたの意識を入れ替えた。すべての脳の構造を書き換えるなんてことはできないけど、記憶だけならできる。幸与が幸与だとだと認識する神経の構築と記憶の定着、それには一週間ほどかかった。記憶があったりなかったりするのは意識が混在したことによりでたノイズね。こうしてあなた達は入れ替わり、今にいたるわ」
理屈を述べ、結果を伝え、なにをしたか俺に解りやすく。だけどそれは患者を安心させるためのものではない。ただ話さなければいけないという義務。責任。後悔。すべてが入り交じり、ただそれをぶつけているにすぎなかった。
「理屈がどうした、原因がどうした、だからってなんなんだよ。ふざけるな!」
行き場のない怒りの渦は俺を吐き出し、すべてを拒絶する。
こんなことしても意味がない。だけどそうしなければ俺はどうにかなってしまいそうだ。
「お前こそふざけるな。お前が死にたいとか望んだせいで、わたしの人生設計が狂いそうになってしまったんだからな。幸い入れ替わった娘のほうは良好だ。死ぬそぶりすらみせない。母さんも喜んでくれている。これ以上はないなと思ったくらいさ」
そうだろな。俺よりも幸与さんの方が、家族にとっては幸せなのかもしれない。誰かを支えられるほうがいいに決まってる。できそこにないな俺なんかよりは。
でもな、それが正論であったとしても受け入れられるわけがないだろうが。
「なんだよその考え方。俺も母さんも幸与さんも道具なんかじゃねぇ。生きてる人間だ」
「母さんとあの娘は認めてやるよ、ちゃんと生きている。だがお前は本当にそうか。そうだとしたら生きる意志をみせろ」
見下したような眼差しのまま、父さんは宣告する。
「選べ、生心。お前が生きるか、あの娘が生き残るかだ」
それは理不尽に死を求める悪魔の囁きのように聞こえた。
俺が生きて、幸与さんが死ぬ。
そんなの嫌だ。もう他人ってわけじゃない。生きたい、生きたいってずっと願ってる幸与さんを死なせたくなんてない。俺が死んでもいいなんて思っているときでも彼女は優しくしてくれた。前を向くための意志をもらったんだ。
「お前は幸福だぞ。真実を黙ったままにしておくことが一番穏便に済む。だが知られたくない真実を話しているのは、お前にちゃんと選択肢をこの女が与えようとしているからだ」
「偽善だと思われてもいい。けど、ちゃんと死にたいと思っている人を選びたかった。娘の生命のためになってくれる人を選びたかった。どちらか選んでくれる生心君……」
「そんなの、選べるわけないだろ」
「いいや選んでもらう。あの娘の屍を超えていくぐらいの覚悟がなければお前はまた自らの生命を絶つかもしれないだろうからな」
「父さんは歪んでるよ、人の生命をなんだと思ってるんだ。俺をなんだと思ってるんだよ!」
「言っただろ、お前は枷でしかないよ。だから選べ。もし生きることを選ぶのはなら、俺が最後まで養ってやるぞ。お前の欲しがっているであろう苦しみのない自由をくれてやる。これがわたしなりの愛情だよ」
こいつは所有物が消えるの嫌なだけ。人としての俺をみていない。何一つみていない。
「そんなのが、そんなのが愛情なわけないだろうが」
「お前の認識なぞどうでもいい。時間はあまりないぞ、よく考えることだな」
父は冷酷に自分の理屈だけを伝え、部屋を後にした。
死ね死ね死ね、あいつが死んでしまえばいいのに。なんだよ、俺を馬鹿にしやがって。
「生心君、本当にごめんなさい」
「お前も帰れよ、この偽善者が」
いまだに自分の立場を解っていない衛さんを睨みつけ、部屋から退けさせる。
いまさら善人きどりでいる衛さんが嫌いだ。冷酷な父親も嫌いだ。
こんな救いのない世界も嫌いだ。死にたがっていた俺自身が嫌いだ。
「俺は、この先どうすればいいんだよ!」
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